第3章:冬の沈黙、フユキとEの拒絶
ナツミちゃんの強引なドラムで熱くなったスタジオの空気は、一通のメッセージによって一気に冷え込んだ 。 返信は、一言だけだった 。 『音楽をやる時間は、もう僕にはない』
送り主は、フユキくん 。かつてアキと共にバンドの屋台骨を支えていた、冷徹なまでに正確なベーシストだ 。
「……あいつ、またこれだよ。フユキのバカ! イーが泣いてるってのに!」 ナツミちゃんがスティックを床に叩きつける 。リンコちゃんは静かにノートPCを閉じ、僕を見た 。 「ハルタくん、直接行こう。フユキくんのところへ」
僕たちは大学の図書室の隅、いつも彼が座っている「指定席」に向かった 。そこには、数式がびっしりと書かれたノートを前に、眼鏡を指で押し上げるフユキがいた 。彼の足元には、黒いハードケース 。中には、沈黙を守り続けるベース**「イー」**が眠っているはずだ 。
「……帰れよ。今の僕にとって、ベースはただの重い木の塊だ」 フユキくんは視線すら上げずに言った 。
『シー..........おいハルタ。こいつの目は死んでる。だが、足元のケースを見てみろ。微かに震えてやがるぞ。主人が凍りついてるせいで、楽器の方が悲鳴を上げてる。……無様だな』
シーの毒舌は、僕にしか聞こえない 。僕は深呼吸をして、フユキの机を叩こうとして筆箱をひっくり返し、盛大に中身を散らばらせた 。 「あわわ、ごめん! ……でも、フユキくん。アキくんは、まだ終わってない。僕たちが止まったら、アキくんの季節は一生、秋のままなんだよ!」
フユキくんの手が止まった 。彼はゆっくりと顔を上げ、氷のような瞳で僕を射抜いた 。 「ハルタ……君にはわからない。アキのあの事故の日、僕が隣で何を見ていたか 。完璧だったコード進行が、一瞬で崩れ去ったあの音を……僕は、もう二度と聴きたくないんだ」
その時。閉じていたはずのベースケースが、カタン、と鳴った 。
『イー……フユキ。嘘をつくのはおよしなさい。あなたの指は、まだあの夜の続きを弾きたがっている。……地面がなければ、ハルタさんの春も、ナツミさんの夏も、ただ空中に消えてしまうのですよ』
人間には聞こえない、ベース「イー」の重厚な声 。 フユキくんは無意識にケースの取っ手に手をかけた 。だが、すぐにかぶりを振って立ち上がる 。
「リンコ、ハルタを連れて帰れ。……僕は、効率の悪い感情論には付き合えない」
逃げるように立ち去るフユキくん 。 リンコちゃんは、彼が去った後の椅子を見つめ、静かに「エー」を起動した 。画面には、フユキくんが発した「拒絶の言葉」とは裏腹に、彼が座っていた場所から検出された、不規則で激しい心の振動波形が記録されていた 。
「ハルタくん。フユキくんの心は、まだ『E』の音で叫んでるよ。……ただ、それを認めるのが怖いだけ」
冬の静寂は、思ったよりも深くて鋭い 。 けれど、僕たちは知っている 。凍った土の下で、春が芽吹く準備をしていることを 。
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