第1章:春の陽だまり ハルタとCの現実
大学のキャンパスは、僕にとって「情報の地雷原」だ。 新入生勧誘の喧騒、色とりどりのサークルビラ、スピーカーから流れる音楽。 ADHD気味の僕の脳内は、それらの刺激をすべて等倍で受け取ってしまい、パンク寸前だった。
「陽太くん、深呼吸。まずはあっちのベンチまで行こう?」
隣を歩くリンコちゃんが、僕の袖を軽く引く。 彼女の手のひらの温かさを感じて、ようやく僕は地面に足がついている感覚を取り戻した。 リンコちゃんとは高校からの付き合いだ。 僕の「扱い方」を、僕自身よりもよく知っている。
「……ねえ、リンコちゃん。あの時も、こんな風に助けてくれたよね」
僕の記憶は、高校時代のあの放課後へと引き戻される。 人混みから逃げるようにして僕が辿り着いたのは、駅裏の寂れた楽器店だった。 店内に一歩足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように消え、そこには古い木材と金属の匂い、そして沈黙だけがあった。
壁に掛けられた何十本ものギターの中で、一本だけ、僕をじっと見つめているような気がするものがあった。 少し色あせたサンバーストのボディ。 ところどころに小さな傷があるけれど、それがかえって「戦ってきた証」のように見えて、妙に誇らしげだった。
「それ、気になるのかい?」
奥から出てきた店主が、僕に問いかける。 僕は導かれるようにそのギターを手に取った。 ずっしりとした重みが肩に伝わる。 その瞬間、頭の中の雑音がピタリと止まった。
『おい。ようやく俺を見つけたか、このうっかり者』
-え? 今、誰か喋った? 驚いて周りを見たけれど、店主は静かに微笑んでいるだけだ。
「下を見るな、現実を見ろ。お前の指は震えてるぞ。そんな不確かな手で俺を鳴らすつもりか?』
空耳じゃない。 確かにこのギターから、冷たくて、でも芯の通った「声」が届いてくる。 僕は震える指で、一番簡単なコードを鳴らした。 ――C。 真っ直ぐで、誤魔化しようのない、基本の音。
「ふん。ピッキングが雑だ。だが……音の芯だけは腐ってないな。合格だ、陽太』
そのギターの名前は「シー」これからずっと僕の「現実(リアル)」を支えてくれてる、世界一現実主義で毒舌なギター。
「店主さん……これ、僕に買わせてください」
僕は財布の中に、リンコちゃんに入学祝いで渡された封筒が入っているのを思い出した。 ……あ。封筒、どこに置いたっけ。
「陽太くん、カバンの一番外側のポケットだよ。さっき自分でお守りだって言って入れたでしょ」
いつの間にか店に入っていた凛子ちゃんが、あきれたように笑って僕の手元を指差した。 彼女の脇には、すでに愛用のノートPCが抱えられていた。
「このギター、いい音しそうだね。ねえ、エーもそう言ってるよ」
凛子ちゃんが画面を開くと、DTMソフト「A」のスペクトラム・アナライザーが、まだ誰も弾いていないはずのシーの微かな共鳴に反応して、静かに揺れていた。
春の陽だまりの中。 僕と、彼女と、毒舌なギター。 ここから、僕たちの「止まった季節」を動かすための物語が、本当の意味で始まったんだ
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