プロローグ:不協和音の産声
「ハルタくん、また靴が左右逆だよ」
その声は、僕の頭の中に渦巻くパニックの嵐を、すっと凪に変えてくれる魔法の呪文だ 。大学の屋上、春の生ぬるい風が僕のぼさぼさの髪をなでていく 。目の前には、あきれたように、でも温かい眼差しを向けてくる凛子ちゃんが立っていた 。
僕は発達障害という、少しだけ「世界とピントがズレてしまう」特性を持っている 。右が左で、左が右の靴 。忘れ物は日常茶飯事だし、一つのことに集中しすぎると周りの声が聞こえなくなってしまう 。
『嘘をつけ。単に寝ぼけて現実が見えていないだけだろ。お前の脳内はいつも春の嵐か?』
膝の上で、愛機**「シー」**が冷たく弦を震わせた 。高校生の時に出会ってからずっと一緒の相棒だ 。僕にはその言葉は聞こえないけれど、指先から伝わる微かな振動が、なんだか「しっかりしろ」と僕を叱っていることだけは理解できた 。
「ごめんね、シー。……あ、リンコちゃん、準備はいい?」 「いつでもいいよ。エーも、やる気満々みたい」
凛子ちゃんがノートPCを開く 。画面の中のDTMソフト**「エー」**が、電子的なつぶやきを波形に乗せた。
『(エー)……凛子、陽太くんの心拍数が上がっているわ。また何か忘れているんじゃないかしら? でも安心して、彼の不確かなリズムを、私が完璧なグリッドで捕まえてあげる。さあ、最高のデジタルとアナログを融合させましょう』
僕はギターのシーをかき鳴らす 。後ろではナツミちゃんがドラムの**「ビー」を激しく叩く
『(ビー)……待ってたわよ、ナツミ! この皮を、この金属を、壊れるくらいにぶっ叩いて! 鬱陶しい静寂をブチ抜いて、あの鈍感なハルタの脳みそまで私たちのビートを叩き込んでやるんだ! さあ、夏を始めるぞ!』
僕たちはバラバラだ 。季節も、性格も、抱えている傷も、何もかもが違う 。けれど、僕たちの「不協和音」は、どんな綺麗な旋律よりも高く、遠くへ響くんだ 。
「ワン、ツー、スリー、ゴー!」
ナツミちゃんの叫びとともに、僕たちの「一年」が動き出した 。春が跳ね、夏が暴れ、冬が支え、秋が鳴り、そして空がすべてを包み込む 。これは、僕のリアルと、彼女のデジタルと、あいつの止まった季節が、一つの歌になるまでの物語 。
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