第三章 剥き出しの大人の世界
「ふぅーーーーーーーーーー」
しんど。
マイルドセブンの煙を吐き出す。その中に日頃の疲れ、母親歴まだ六年の甘っちょろさが
混ざっている。もうとっくに離婚した。
「プシュッ」缶はとても、冷たい。
一回り上の元旦那、口だけが達者であっさり家を去って行った。稼ぎも何も最初に聞いてた話と違っていた。
大体、結婚自体が間違いだったのだろう。半ば依存症に近い性格のうちを、その気にさせといて。
あっさりと、姿を消した。
離婚届は向こうが勝手に出してた。子供一人、ポンと置いて。
新築に近い家の住宅ローン、全部うちが払えと父母は言う。そもそも元旦那の稼ぎあっての採算。その分の補填はうちが全部持つ事になった。小さい子連れのうちに、か。
「うちな、パンパンやろかな?」
「勝手にやったらええやん」
うちの父母、こいつらは、あかんわ。でも、かろうじて実際に堕ちることはなかった。
この子を産む時、お腹、ほんまに痛かった。でもこの先、うちの人生には大輪の祝福がこれからフワッと広がると思っていた。
でも、全然、違った。
数年は良かったのかも知れない。その後現れた感情の始まりは「子供なんか勝手に出て来ただけやん。顔も元旦那にそっくり。正直、心底可愛くないわ」これがうちの素直な気持ち
やねん。
「ドスっ」「バチっ」
いらん子。
あほな子。
こんな言葉、どこから出てくんやろ?
競走馬は鞭打てば早くなる。うちの生活も競走馬。鞭打たないと成り立たてへんし。働く。
働いて、働いて昼も夜もなく。
小さい競走馬を、心底、邪魔な存在にも鞭打って。
掛け持ちの仕事
毎日毎日、朝は必ず定刻通りにスタートを切る。よーい、ドン。
今日も朝から配送、夜はスナック。考える暇も、ない。あの子が帰れば残った配送をやらしたら良いし、スナックも常連さんにサービスすれば良い。ただ、疲れが抜けない。
眠りたい。
夜が増える度、日を追うごとに、うちのクローゼットに薄くヒラヒラした衣装が、化粧台には様々な禍々しいものが増えて来た。こういう女の象徴を、男は好む。
しゃあないやん。
確かに仕方がない。生活全部が薄氷の上で成り立っているのだから。
ああ、今夜はいつも以上に疲れている。
眠りたい。
あの子に言う「あんたな、お客さん来たらうち呼んで」「---」黙って呼べばいい。
あんたの今日の仕事や。
「おかん、お客さん来たよ」はぁーーー。
スナックの鍵を掛ける
アフターに子連れで行くスナックのママはかなり珍しい。時間も時間。今日は太客と鍋に
行く事になった。
タクシーの中はあの真っ白い香りが漂っている。
「あんたな、嬉しいやろ?社長が鍋連れて行ってくれるんやで!」
「---ありがとうございます」
何やこの態度、気に入らんわ。後でちゃんと太腿つねり上げとこ。
「返事はちゃんとせんかい!」帰り道で放った運転席側からの左拳は、ちょうど顔の位置にフィットしていた。
「今日はこの人、明日はあの人。はー、しんど」CHANELの九番、という香り。
母親歴六年前後で迎える夜の剥き出しの世界は、ドス黒い男の下心を優しさというただの薄皮で包んであるだけだった。
「この子、送っといたって」タクシーの料金は先払い。
剥き出しの大人の世界
この世界は、知らず知らずのうちに、当たり前だと思っていた純粋無垢な母親の「子育て」というワードを、根っこから取り除いていた。うち、頑張ってるし。せやから何とかなるやろ。なんとかなる。
週明けの朝
月曜日、午前。喫茶店。眼の前に子供。余りあり得ないシチュエーション。もう疲れている。
パン、ベーコン、卵、サラダ。ブラックのコーヒーで流し込んで今週が始まる。
あの子「コーヒーにシロップ入れてください」やて。偉そうに。
たまたま電話に出たん。「…調子、どうだい?」元旦那の声。忘れるわけないやん。何なん、その質問。「今、あの辺にすんでるんだ」
咄嗟に
「遊びに、行こかな?」
うちの気持ちとは真逆の事、口にしてる。もっと汚い言葉が出るはずやのに
「遊びに、行こかな」。
父母には嘘、ついた。月曜日の朝早く、「あの辺」から帰ってきた。何なんよ。
近くもなく遠くもない距離に住んでいるっていうから。うち、悪くないやん。出掛けたのは土曜日、今は月曜日の午前中。あの子の学校、後で行かせたらええやろ。
ほんま、嫌になるわ。
「子供に会いたいな」なんて突然言って来た。頭に血が上るのがわかる。
「あんたのせいで…」それと、うちの行動は真逆のもんやし。
車を走らせる。そして濃厚な夜、子供は立ち入る事が出来ない門。
ただ体をくねらせて、うちはそれを許しと、錯覚する。だって疲れてるんやもん。
父親らしくなくてええ。
たまに会うだけでもええやろ?
母親?違うで。
うちは女や。
*少し、息を整えてから次に進んでください。
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