さよなら鈍色、鮮やかな青い嵐

お く い (o ku i)

第一章 第二章 道路の向こうとこちら側、広がりを持つ小さな国へ

「ドスっ」「バチっ」

 

もう少しで溢れて出る涙。頬を伝わないのは次に来る鈍い波を受けたく無いからだ。時には棒を使い、時には平手を刃のように。

 

いらない子。

 

あほな子。

 

出て行けばいい。

 

母親は僕の存在を音で表現した。

 

「大人は怖い」大人は、怖いのだ。

 

幼い頃からこんな体裁を取るようになっていく。

剥き出しの世界を上手に生きるために生きる技術。

 

 

母親の重し

 

正直なところ、母親の出生についてはよく分かっていない。酒とタバコと、大人の人。

学校帰り、早ければ配送、夜は店番と称して母の務めるスナックへと連れ出された。僕の役割は母親の呼び出し係、兼、大人の遊び道具として。

 

母親の「そういう夜」は家でポツンとしていた。

 

初めて「あんたも働け」と言われたのは小学校に入る前の話だ。父親が家を去り、

住宅に課されたローンは母親が受け持つことになったようだ。

 

母親が運転する軽自動車。配達をするのは二人。働くにはあまりにも小さ過ぎた僕には、

配送した荷物と引き換えにぎゅっと握った夏目漱石がこちらを苦く見ることもあった。

そのまま母親の右ポケットに入って行く運命なのは、市場の流れ作業のようだ。

 

 

日が昇る

 

朝は必ず定刻通りにスタートを切る。よーい、ドン。

 

朝食と呼ばれるものを口にすることはほとんどない。もちろんねだることもない。ただ、制服を着て、ナップサックを背負い、家を出る。

 

昔ながらの工業地帯には良くあることだろう。細い路地、狭い町並み。少しずつ時代から

離れていく商店街とシャッターの数。入り組んだ人間関係がそこには存在している。

大人にはなく子供には存在する道路を挟んだ向こうとこちら側。難しいレゴの要塞。

 

奥まったところに存在する築数年の「我が家」は異質で浮いた存在だった。

母と祖父母の四人で過ごすこの空間。「我が家」を出て真っ直ぐに進むと片側二車線の幹線道路が存在する。

 

ただ…

 

 

道路の向こう

 

道路はまるで国境のように、二つの学校がナップサックと制服、ランドセルと私服という

装備で国を分けていた。小さい学校と大きな学校。

 

一クラスと四クラス。小国と大国。

 

 

眩い光

 

毎日ではない。ただ、逆にその方が珍しいと言えるタイミングで…

 

とても淡く、でも、とても真っ直ぐに

 

鈍くそびえ立つ道路の向こうから、ランドセルを背負った彼女が登校する姿がスッと心に入ってきた、いや、飛び込んで来た。いや、心の内側から光を散らしてくれた。

 

赤いランドセルは眩い光だ。

 

ランドセルの留め具から反射する閃光は、とてつもない速度で僕の心を素早く貫いて

いった。

 

 

学校

 

小国の一クラスでも成績でグウの音も出ないのは僕の問題だ。

日々の生活から、僕へは軽めのイジメのような物が始まっていた。何故なら知らず知らずのうちに発する「大人向け笑顔」は子供の「じゃれ合い」の格好の的だった。

男子にも、ましてや女子になんて相手にされる訳もなく。生徒から先生にまで。

 

成績はかける言葉も無いぐらいの数値だった。

 

好きな科目は音楽。音楽室から流れる整理整頓された曲はクラシックと言うらしい。そしてもう一つ、大事な食物としての図書室が食卓に。

 

 

帰り道

 

細い隙間を縫うようなタイミングでランドセルの少女はスカートの縁の部分を尖らせて

帰る姿を見た。それがシンプルなドレスを纏ったように凛とした姿、それは音楽のように

見える。ただ歩みを進める姿は赤いジャンヌ・ダルクのそれを彷彿とさせる。

 

 

道路の向こう、朝

 

月曜日、午前。小学生には余りあり得ないシチュエーションが時として訪れる。

道路の向こうには、パン、ベーコン、卵、サラダが咲いたモーニングを提供する喫茶店が

あった。信号一つで越えられる、なのにこんなにも複雑でシンプルなシチュエーション。

 

「コーヒーにシロップ入れてください」

 

母は時として祖父母には内緒で軽自動車に乗り「遠く」へと出掛けた。月曜日の朝早く、

その「遠く」から戻るタイミングで僕は道路の向こうの扉を開ける。

 

そして僕は今「道路の向こう側」に存在している。

 

怪訝な顔で見られることもあるだろう。母親はそんなものは関係が無さそうな顔をする。

何せ月曜日のこの時間。僕にはそこに選択肢がない。

 

ただ、僕は「道路の向こう」に存在しているのだ。

 

全校生徒から大きな時差を抱えた僕は一人、学校へと行った。教室からは余り受け入れを歓迎してくれるムードは、ない。

月曜日、昼過ぎ。普通の感覚とは違う捻れ。波は広がりを持っていて、抗う術を僕は

知らなかった。

 

帰ろう。

 

 

冒険から戻る戦士

 

閃光がものすごい勢いで耳から心臓を駆け抜けた。

 

「あんたなー!何してんのーん?」

 

心から「ハッ」とした。突然、何の脈絡もなく、道路の向こうから声がした。凄くハッキリと、そこには凛と、そして好奇心が存在する、そんな声。

 

ランドセルの少女だった。これからの未来を予測するような一つの、連なるように二つの声。

 

「あ、帰るとこやよー!」

 

その瞬間だけ、振り絞る様な声が出た。

 

「いつも何してんのーん?」

「ねえちゃん、何してんの?」「おーい!」

 

壁の向こうには三姉妹がこっちを眺める。僕は、その瞬間だけ、大冒険から戻る戦士に

なった。大きく手を翼のように広げたから。

 

「ーーー!」

 

薄くて大きな隔たりの向こうには、

 

口元に手を当てて声を出すランドセルを背負った少女と、

 

手を大きく振るナップサックを背負った僕の物語が

 

 

鮮やかな赤色と共にちゃんと存在している。



ーーーーーーーー



第二章 広がりを持つ小さな国へ

 

あんな、ちょっとした疑問やねんけど

 

「あの子、いつも何してんねんやろ?」

 

見かける度に一人斜め下を向いて歩くあの子の姿を、あたしは道路の向こうから軽く目を向ける。存在なんていつもはそんなに気にして無いんよ。

 

あたしは長女。しっかりせな。

 

妹が二人いる三姉妹の長女。

お母さんはずーっと前から夜の蝶。そんなん、あたしがしっかりせなあかんやん。

 

 

ランドセルを背負う

 

「よいしょ」学校までは本当に遠かった。あたしの家はランドセル王国の国境線付近。

すぐ目の前はナップサック国やし。通学路には今後通うことになる学校と、その隣には学区内屈指の名門学校が聳え立つ。

 

あたしは、その間をツンとした姿で、二人の妹を従えて歩いていく。行くで、えっへん。

 

「おはよー!」「おはよー!」いつものメンバーが散り散り途中合流。

 

それにしても、たまに気になるん。

 

時々見かけるあの子、誰なんやろ?うちの母親同士は友達みたいやけど。あたしがお母さんの店に行った時、たまに見かけるし。喋ったこと、あったっけな?あたしの母親のこと、

「姐ちゃん」ってあの子のお母ちゃんは言うとったな。

 

 

お父さん

 

なかなか家に戻らない。いつも空車か賃走のどっちか。おとん、ほんまはおかんちゃうやろ。他所に目が行ってるんよね。それも大人の暗黙の了解なんよね。

 

 

三階建ての本当にどうしようもないほどに古いアパート

 

向こうのあの子、なんか良い家に住んでるやん。でもな、あの子、お父さんとか居てない

やん。あたしは母親同士の会話の紡ぎ方から読み解いてるで。多分やけど、大人の会話、

ちょっとは分かんねん。

 

 

帰り道

 

あたしはシュッと背中を伸ばして歩く。今日はランドセルの鍵は開けてある。歩く音に

リズミカルに反応する

 

カチャッ!カチャッ!ジャンヌダルクの行進みたいやん?

 

ランドセルを置いて、妹と家の表道に出た。

 

「あっ」

 

道路の向こう、あの子が歩いてる。何してるんやろ?何があったんかな?

 

 

声にしてみた

 

「あんたなー!何してんのーん?」

 

驚きの中に、あの子は目一杯の優しさに近い笑顔をあたしらに向けて来る。

 

「あ、帰るとこやよー!」

 

返事に間があった。考える間。でも、ちゃんとこっちを見てるやん。んー、そうなんや。

 

「いつも何してんのーん?」

 

妹達も続いていく。

「ねえちゃん、何してんの?」「おーい!」

 

ナップサックのあの子、何かしんどそうやなぁ。あたしの直感はな、大体が正しい、と

思ってんねん。

 

 

届くかな?

 

「あんたなー、こっちで遊ばへんー?」

 

幹線道路は混雑していて、その言葉は届いてへんかったと思う。大きく手を振って、

あの子は家に帰って行った。

 

そや、二人の妹、遊んだらな。

 

夕暮れから夜の闇へのスピードはな、

 

 

うちは特別早いねん。

 

 



*少し、息を整えてから次に進んでください。

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