第5話観点:聖奈月夕奈

「聖奈月夕菜さん、あなたもこちらに」


 医師の言葉に従い、力の入らない体を無理やり動かして病室から出る。息子を1人残すのは心苦しいが、記憶の中の姿とあまりにもかけ離れた今の姿をこれ以上見続けるのは、とても精神が持ちそうになかった。

 2週間。そう、たった2週間で私たちを取り巻く環境は180度変わってしまった。星也おとうとに会わせろと詰め寄る我の強い娘たちを宥めるのには手を焼いているし、県外に単身赴任中の夫とは半年以上連絡すら取っていないのだ。それなのに突然、自分の息子が女になったなんて告げられても首を傾げるだけだろう。タチの悪い冗談だと一蹴されるのが目に見えている。

 そもそも、重要なプロジェクトが控えているので当分連絡は控えてくれと言ってきたのは向こうのほうだ。ちょっとくらい話すのが遅くなってもバチは当たらないはず。


 ただ、本音を言うのなら。


「……つかれた」


 全てを投げ出してしまいたい。頭の中がずっとぐちゃぐちゃでこんがらがっている。出口のない迷路を延々と彷徨っているようだ。情けない。あの子の混乱は私の比ではないだろうに。


「気持ちは分かります」


 勧められたベンチに腰を下ろし項垂れる私に、医師が優しく話しかける。


「私も、冷静ではなかったのかもしれません。あまりにも杜撰ずさんな対応だったと。目覚めたばかりの患者に対して然るべき処置を怠った。主治医失格です」


 女ばかりの家庭。夫は家を空けることが多く、過干渉気味な姉たちに囲まれ、幼い頃から窮屈な思いをさせてきただろう。待望の男の子を授かったと、この世の何よりも深い愛情を注いできた大事な一人息子。昔から過度な期待をかけすぎてきたことは否めないが、それでも、あの子はひねくれることなく誠実に育ってくれた。自らを犠牲にしても、誰かを救うことができる人間に。


 その結果がこれ……?


「お子さんにはすぐに別の担当医ものを向かわせます。問題がなければ、後日改めて精密な検査をさせていただく予定です」


 どこまでも勝手に話は進んでいく。足踏みしているのは私だけだろうか。


「私は……自信がありません。あの子が事件に巻き込まれて意識不明の重体だって聞いたとき、頭がどうにかなりそうでした。急いで駆けつけても顔を見ることすら叶わず、あの子は手術室の向こう側。実際に会うことを許されたのは4日後です。その間、ずっと、どんな気持ちだったのか分かりますか?」


 医師を責める醜い言葉がせきを切ったように溢れ出す。止まらなかった。

 

「詳しい説明もないままリスクだけを話されて、もし手術が失敗したらどうしよう。後遺症でも残ったらなんて、不安で胸が張り裂けそうだった」


 頬を熱いものが伝う。自分一人では到底抱えきれなくなった大きな塊を手放すように、直情のままを吐露しぶちまけていく。やっていることはただの八つ当たり。この人に落ち度などない。どんな形であれ、息子の命を救ってくれたのだから。


「別人になってしまったあの子の側で、この少女が私の息子だと必死に思い込ませて見守りました……当然ですよね」


 血液、毛髪、皮膚、唾液。多くの鑑定結果が証拠を示しても、最後まで確証を持つことができなかった。私だけではないだろう。実際に手術に立ち寄った者ならまだしも、あの子の中身が本当に聖奈月星也だと証明できるのは本人以外にいない。

 極端な話、息子はすでに死んでいて別の誰かが入れ代わっていたとしても、それを完璧に否定するなんてできないのだから。


「だけど、あの子が目を覚ましたとき。たどたどしくも言葉を発したとき。どうしようもなく、中身はあの子のままだってことが分かったんです。これって理屈じゃないんだと思います」


「親と子の繋がりは、姿形が変わっても決して切れるものではないということなんでしょう。独り身の私が言っても何の気休めにもなりませんが」


「そうだとしても、今まで通りとはいきません。現にこうして逃げて来たわけですから」


 乾いた笑みをこぼす私に、医師も同じ反応をした。


「聖奈月さん。あなたは一度家に帰って、体を休めご家族の方と話し合ってください。今後は我々一丸となって全力でサポートいたしますので、どうか悲観的にならず、何事も前向きに捉えていきましょう」


「はい。ご迷惑をおかけいたしますが、どうかよろしくお願いします」


 家族、親戚にはどう説明しよう。あの子の友達にはなんて伝えればいい。学校には? 万人が納得のいく理由付けなんて到底思いつかない。他にも手術の費用や諸々の手続きなど、責任が重く肩にのしかかる。言葉1つで奮い立たせられるほど単純な性格だったらよかったのに。


「いいですか。最後に、尊重するべきは息子さんの自主性だということをお忘れなく」


 返事こそしなかったが、医師の意味深な言葉が楔のように胸に打ち込まれた気がした。

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