第一章-2 探していた人


 翌日、約束通り二人で下校する。馬車道に好きな喫茶店があるので、そこに行こうと誘われる。高校生の寄り道と言えばファストフードだと思うが、念の為に多めに現金を持って来てよかった。

 学校から駅へと続く道を並んで歩いていると、倫の手がスッと腕に絡みつく。まるでそうするのが当然であるかのような、自然な動き。香水なのだろうか、甘いバニラのような香りが鼻に届く。また断りもなく触れられていることに驚きと違和感を覚えたが、とりあえず私は様子見に徹して振り解かなかった。

「一応念のために確認するけど、私は男子じゃないって、知ってるよね?」

 自分でもおかしなことを聞いていると思ったが、万が一誤解しているなら、早めに解きたい。私を見上げた倫は驚いている。そしてすぐに面白そうに笑った。

「それって、本気で聞いてる? 馨くんが男子だったら、こんなにくっつかないし、二人きりで出掛けないよ」

 どうやら変なことを尋ねてしまったようだが、これでひと安心だ。笑われても、確認できたことを良しとする。

「繁華街を通ると夜の店の呼び込みに声を掛けられたり、駅ビルのトイレに入った時に『こっちは女性用ですよ』っておばさんに叱られたこともあったから。念のため」

「何それーっ、面白いけど失礼過ぎ。確かに馨くんはイケメン枠だけど、本物の男子みたいに汚くないのにね」

 鈴を転がすように笑いながら、倫は腕に身体を密着させてくる。彼女のやわらかい胸が私の腕にふにっと押し付けられた時、諌めようかと迷ったが、私はまた留まった。

 胸が触れていることよりも、今の会話が示す意味の方に、より意識が向いている。十把一絡げに『汚い』と切り捨てる様子から、倫は男子が苦手なのだろうか。となると、私の立ち位置は中学時代同様の『仮想カレシ』なんだと納得する。『デート』と言われた意味を納得できるロジックを見つけ、やっと安心した気持ちになれた。


 馬車道にある喫茶店は横浜伝統の赤煉瓦造りの建物で、テレビや観光ガイドブックに取り上げられることも多い有名な店だった。メニューもレトロな表記を採っていて、看板メニューの『横濱プリンアラモード』は、『浜』ではなく、もちろん『濱』の漢字が使われている。倫はそのプリンアラモードを頼み、甘いものが得意ではない私はホット珈琲を注文する。オーダーを取りに来た女性店員は、黒いワンピースにフリルがついた白エプロンという、昔の『女給さん』を思わせる時代掛かった制服だし、珈琲のサーブには蝶ネクタイをした白髪はくはつの紳士が登場し、恭しく注文の品をテーブルに並べてくれた。初めて入った店だったが、まるで文明開花のテーマパークのようだと感じた。店内には年代物の調度品が多く、客の年齢層も高くて値段も観光地価格だ。地元民でも高校生には敷居が高い店で、ここを愛用しているとは、さすが自分の力で稼いでいる人は違うなと思ってしまった。

「ねぇねぇ、馨くんはインスタやってる?」

「やってるよ。グラフィックデザインの授業で、課題の提出先がインスタっていうのがあるからアカウント作った。倫が自己紹介の時に作品を見せていたのも、インスタだったよね?」

「よく覚えてるね。じゃあ相互フォローしよ。馨くんの課題も見たいし。あとね、私、昨日帰ってから新作を描いてアップしたんだけど、見てほしいんだ」

 昨日交換したばかりのラインに情報が送られてくる。それを頼りにインスタ上の倫の作品にすぐアクセスできた。

「あれ?」

 四月の自己紹介の時に見た作品は、全てがどこか倫に似ている美少女たちだったが、新作は方向性が違い、黒髪黒服の華奢な体型の男性キャラが描かれている。スクロールして遡ってみると、夏休みの前くらいからこのキャラが度々登場している。美少女作品では、キャラクター達は皆、微笑んだり、はにかんだ表情を浮かべているのに、この男キャラは無表情だ。『鴎馨シリーズの新作です』とコメントが付いているので、彼の名前は『鴎馨』なのだろう。私と同じ漢字が使われていることにはすぐ気づいたが、そもそも読み方がわからなかった。

「男性キャラも描き始めたんだね。もしかして仕事で?」

「ううん、これは趣味の活動。えっとね、鴎馨うきょうは馨くんがモデルなんだ。だから名前の漢字を使わせてもらったの。あと横浜っぽさも欲しくて、カモメと掛け合わせたんだよ」

「え。……私がモデルなの?」

 モデルにされたことを、どう捉えれば良いのかわからない。神絵師の作品のモデルになれたと光栄に思う所なのか。それとも断りもなく勝手にモデルにされたことを、咎めるべきなのか。

「初めて教室で馨くんを見た時に、インスピレーションがピピピッて降りてきて、すぐにキャラ設定して生まれたの。だから見て欲しかったんだ」

 私の戸惑いをよそに、倫は楽しそうだ。これをどう判断すべきか、まだ答を見つけられない私は、もう一度スマホに視線を落とした。

「あんまり似てない気がする……けど」

 名前の漢字も使われているし、これで顔が私そのものだったら同級生たちにはバレてしまうだろうが、その心配はなさそうだ。安堵を含む声で呟くと、前方から『ふふふっ』と笑う声が返ってくる。

「似せて描かなかったんだ。馨くんと二人だけの秘密にしておきたいし、降ってきたイメージ通りに表現したかったから。でもね、同じ魅力を表現できたと思ってる。だから鴎馨は、間違いなく馨くんそのものだよ?」

 視線を倫へと戻すと、輝くような笑顔だ。そこには、モデルにしてあげたなどの、上からの目線はない。自分がいだいたイメージを、上手く形に落とすことができた時に感じる、表現者としての幸福な満足感だけだ。

「自分のことってよくわからない……。や、これ、照れくさいな。でも、ありがとう」

 社交辞令ではないお礼が、考えるより先に口を突いて出る。倫は終始、嬉しそうな笑みを絶やさなかった。


 喫茶店を出て、駅へと続く石畳の道を歩く。ここでも当たり前のように、倫は私の左腕に巻きついている。駅から先はお互いの自宅は逆方向。改札はもう目の前だ。

「モデルにしたから、声を掛けてくれたんだね? 一度も話したことがなかったのに、どうして誘われたんだろうって、考えちゃったよ」

 見下ろすと、倫も顔を上げて微笑んでいる。身長差がある恋人同士が腕を組んで歩く時、男から見たカノジョはこんな構図で見えるのかと、職業病的なことを考えてしまう。上目遣いはいつも以上に可愛く見える角度だ。

「逆だよ。モデルにしたからじゃなくて、モデルにしたくなるほどいいなって思ったからだよ。本当はもっと早く声を掛けようか迷ったんだけど、少し、見てたんだ」

「見てた? 観察してたって意味?」

「うん」

「え、気が付かなったな。鴎馨を描く参考に?」

「あのね、馨くんは私がずっと探していた人なんじゃないかって、見てたの」

「……今のよくわからなかった。『探してた人』って?」

 これはどういう方向の会話なのだろうか。その言葉選びから、微妙に恋愛的な意味が含まれているのではと疑ってしまう。

 だが倫は、ここで突然私の左腕から身体を離した。

「まだ教えない。もっと仲良くなったらね。じゃ、また明日、バイバーイ!」

 可愛らしい笑顔で手を振って、先に改札に向かって走って行く。いつもスカート姿の彼女の裾が、動きに合わせてひらひらと舞っている。突然会話を打ち切られてしまった私は『うん、また明日』と、既に聞こえないであろう遠い背中に向かって、小声で呟いた。


 夕飯と風呂を終えると、いつも自室に籠っている。リビングでテレビを観る習慣はなく、予習復習と課題を終えた後はタブレットを使ってデザインをすることが多い。だがその日は全く集中できず、早々に諦めて、ベッドに寝転ぶ。さっきの倫との会話を頭の中で反芻してしまった。

 倫の言動には恋愛的な雰囲気があるが、あれはそれを狙っているのか、それとも無意識なのか。まるで漫画や小説で『百合』と括られるジャンルの作品の中でえがかれる、少女たちのようだ。性的な恋愛には発展せず心の絆を求める、恋愛のきれいな上澄みだけを掬う作品が圧倒的に多い。繊細な感情の襞が理解できないため、苦手としていた。

 感情を伴わない平坦な世界で生きてきた私は、他人から精神的な干渉を受けることに慣れていないし、それを快く思わない。思わず溜息が漏れた。

 恋愛。それそのものに全く興味が湧かない。相手の性別は別にどちらでも構わないと思うが、それ以前に恋愛感情を感じたこともないし、この先感じるともあまり思えない。そう生まれついたのか、それとも感情を捨てた時に一緒に消してしまったのかはわからない。だが、そんな生き方を問題とは捉えていないし、解決しようとも思っていない。独りで生きても問題がない時代に生まれて良かったとだけ認識している。

 シーツに横たえた左腕に、倫が絡みついていた感覚が突然再現される。私は独りで居る自由を取り戻すために、左腕を大きく振って、肉体に刻まれた記憶を払拭した。

 翌朝通学電車の中でインスタを開くと、倫が新作をアップしていた。昨日の店を背景に、今回も黒づくめで無表情な鴎馨が珈琲を飲んでいる。目線がこちらを向いている構図は、このシリーズでは初めてだ。画像の下には『念願叶ってついに鴎馨とお茶して来ました』と書かれてあり、それを読んだ私は心の中で大いに仰反のけぞった。だが、私の意識はすぐに違う方向へと流れていく。投稿時間が四時間前ということは、明け方だ。彼女は昨日あれから朝まで、このお金にならない趣味の作品と向き合っていたのか。

 拡大して確認すると、細部まで描き込み量がすごい。しかも、スマホで記録もしなかったのに、店内の景色が驚くほど正確に描写されている。鴎馨が着ている服、そして手にしているカップの柄も、昨日の私と瓜二つだ。このビジュアルの記憶力は生まれ持った才能なのか、それともプロとしての観察眼なのか。そしてこの熱量と作品への思い入れ。

 何か、私の手には負えない未知の怖さのようなものも感じてしまう。どれひとつを取っても、倫は私とは違うレベルに居る存在だと感じられた。

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