第9話 盤の外
お父様は、屋上にいた。
夜景を背に、手すりに片手を置いている。
中華街の灯りが、遠くで滲んでいた。
呼ばれたわけじゃない。でも、ここだと分かっていた。
「来たか」
振り向かない声。
私は、数歩離れた場所で立ち止まる。
劉の血が、まだ指に残っている。洗っても、消えない気がした。
「……全部、あなたの計画?」
問いは、震えていなかった。
父は、ゆっくりこちらを向く。
その目は、いつも通り深い。でも今日は、少しだけ疲れて見えた。
「そうだ」
否定しない。
「抗争も、裏切りも、死者も」
胸の奥が、痛む。
「劉も?」
父は、目を伏せた。
ほんの一瞬。
「必要だった」
その答えが、何より残酷だった。
「必要って、何」
声が、熱を帯びる。
「誰のため?」
父は、私を見る。
「お前のためだ」
即答。
「黒林を継ぐなら、
甘さを残したままじゃ、喰われる」
私は、一歩前に出る。
「だから、全部奪えばいい?」
「違う」
父の声が、低くなる。
「全部、与えた」
私は、笑ってしまった。
「血を?」
「選択肢を」
父は言う。
「生かすも、殺すも、疑うも、任せた」
頭では、理解できる。でも。
「私は、盤じゃない」
絞り出す。
「人間よ」
お父様は、私を見つめる。長い沈黙。
「……それを、捨てる覚悟は?」
その言葉で、何かが冷えた。
私は、答えなかった。
代わりに、言う。
「私は、あなたみたいにはならない」
お父様の眉が、わずかに動く。
「なれると思うか?」
「ならない」
私は、目を逸らさない。
「黒林を、違う形で継ぐ」
お父様は、息を吐いた。
初めて見る、弱さの混じった仕草。
「甘いな」
それでも、否定はしなかった。
「……だが」
お父様は、歩み寄る。
「その甘さで、生き残れたら」
距離が、近い。
「それは、俺の敗けだ」
その言葉に、胸が詰まる。
「試してる?」
私が聞くと、お父様は頷いた。
「最初から」
夜風が、二人の間を抜ける。
「次で、決まる」
お父様は、背を向ける。
「俺か、雪花か」
私は、その背中を見る。
憎い。愛してる。許せない。
全部、本当だ。
「逃げない」
私は言った。
お父様は、立ち止まらなかった。
それでも。
その背中が、ほんの少しだけ、軽くなった気がした。
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