第5話 守られる位置

 銃声が響いた瞬間、空気が跳ねた。


「伏せて」


 低い声と同時に、背中を掴まれる。


 昊だった。


 黒いジャケットに身を包んだ大柄な身体。

 無駄な装飾のない服装は、彼の性格そのまま――

 前に立つためだけに作られた人間。


 私は、彼の腕の内側に引き寄せられる。まるで壁だ。


 廃倉庫のコンクリートの陰。埃と血の匂い。


 私は、息を整える。今日の私は、黒のスーツ。

 動きやすく仕立てられたそれに、深紅のチャイナベストを重ねている。


 髪は低い位置でまとめ、一本の簪が留めているだけ。揺れない。邪魔にならない。


 仕事用だ。


「お嬢、状況を」


 背後から、景明の声。彼はいつも通り、きちんとしたスーツ姿だった。

 皺ひとつない黒。銃を持つ手さえ、落ち着いている。


 表情は穏やか。それが逆に、怖い。


 視線を前に戻す。


 倉庫内を走り回る影。敵は六人。


 二階の手すりに二人。入口付近に三人。そして――柱の影で、逃げ道を探す一人。


 銃声の合間に、笑い声が混じる。


「いいねぇ、今日はよく鳴る」


 烈。派手な柄のシャツに、血が飛び散っている。

 ネクタイは最初からしていない。楽しげに動くその姿は、戦場というより遊び場だ。


 彼は、わざと音を立てて歩く。敵を怯えさせるために。


「指示を」


 景明が、もう一度言った。私は、目を閉じてから開く。


「右の二階」


 声は、思ったより冷静だった。

「撃たせない。下に落とす」


 昊が無言で頷く。

 次の瞬間、銃声。鈍い衝撃音とともに、身体が転がり落ちた。


 私は、目を逸らさない。


「入口の三人は包囲」


 景明が即座に指示を出す。無駄がない。私の言葉を、完璧に形にする人。


「逃げ腰の一人は?」


 私は、柱の影を見る。烈が、肩をすくめた。


「捕まえる? 壊す?」


 その聞き方に、胸がざらつく。


「捕らえて」


 私は言った。


「殺さない」


 一瞬、烈の動きが止まる。それから、舌打ち。


「はいはい」


 それでも、従う。

数分後、銃声は止んだ。


 残ったのは、血と荒い呼吸。


 捕らえられた男は、床に膝をついている。汗と涙で顔がぐちゃぐちゃだ。


 私は立ち上がる。


 足が、少しだけ震えた。でも、歩く。昊が、半歩前に出る。私を隠す位置。


「名前は」


 私が聞くと、男は即答した。声が裏返る。


 私は、景明を見る。


「連絡網、洗える?」


「可能です」


 その答えは、感情を含まない。


「連れて帰る」


 烈が、私の横に来る。


 近くで見ると、彼の目はやけに澄んでいる。人を壊すのが好きな目。



「お嬢」


 低い声。


「前に出すぎですよ」


 私は、彼を見返す。


「前には出てない」


 事実だ。


 私は、守られている。

 でも。


「判断は、私がしてる」


 烈の口元が歪む。楽しそうだ。


「……その通り」


 倉庫の外に出ると、夜風が冷たい。

 私は、深く息を吸う。血の匂いが、まだ残っている。



「怖いですか」


 景明が、静かに聞く。


「……怖いまま」


 それでも、私は続ける。


「だから、見える」


 誰が逃げるか。誰が折れるか。誰が使えるか。


 車に乗り込む直前、烈がぽつりと言った。


「守られてるうちは、まだ人間だ」


 私は、答えなかった。車の窓に映る自分。


 黒い服。動かない髪。冷えた目。


 ――仕事は、した。


 それだけが、確かだった。

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