第3話 白い手、黒い血。

 白蘭の部屋は、地下の最奥にある。


 扉の前に立っただけで、わかる。 ここだけ、空気の質が違う。

 冷たく、薄く、感情が削ぎ落とされたみたいだ。

 中に入る。まず目に入ったのは、白だった。


 壁も、床も、天井も、徹底的に白。清潔というより、無機質。血の色さえ、ここでは異物になる。

「立ち止まるのね」

 声がした。

振り向いた瞬間、私は息を止めた。


 白蘭は、白衣を着ていた。

 だが、それは“医者の服”というより、彼女自身の一部みたいに馴染んでいる。


 肌は異様に白い。病的なほど血の気がなく、

 触れれば冷たいと確信できる色。


 髪は銀白色。染めた白ではない。

 老いとも違う、金属みたいな色をした髪が、

 一切の乱れなく、低い位置で束ねられている。

 目が、怖かった。


 黒でも茶でもない、濁った灰色。

 感情を映さない硝子玉みたいな目。


 年齢はわからない。四十代かもしれないし、ずっと昔からこのままなのかもしれない。


「いらっしゃい、お嬢」


 白蘭は、私を見て微笑んだ。


 それは、人に向ける笑顔じゃない。標本を前にした学者の表情だ。


 彼女の指先は細く、長い。骨ばっていて、血管がうっすら透けて見える。

 その手が、金属トレイの上のメスを取る。


 きぃん、と澄んだ音。


「今日は、何?」


 視線は私に向いているのに、

 興味は私の後ろ、治療台に横たわる男に向いていた。

「治す?」


 それとも、と白蘭は首を傾ける。


「片付ける?」


 私は、喉が乾くのを感じながら言った。


「……生かす」


 白蘭の眉が、ほんのわずかに動いた。それだけで、彼女が驚いたとわかった。


「へえ」


 楽しそうだった。


「珍しい選択ね。林の娘」


 白蘭は男の胸に聴診器を当てる。その仕草は丁寧で、優雅で、なのに慈悲が一切ない。


「覚えておきなさい」


 彼女は、私に視線だけを向けた。


「生かすっていうのはね、殺すよりも、ずっと残酷なの」


 麻酔。縫合。止血。


 白蘭の動きは、無駄がなく、美しかった。

 舞踏みたいに正確で、

 命を“部品”として扱う手つき。


 私は、目を逸らせなかった。


「助かる?」


 自分の声が、遠く聞こえた。


 白蘭は、くすっと笑う。


「“助ける”かどうかは、私が決める」


 その灰色の目が、私を貫く。


「あなたもよ。お嬢」


 針が皮膚を貫く。

 ぷつり、という小さな音。



「林 鴉玄の娘でも」


 針が引き抜かれる。


「壊れたら、直す」


 白蘭は言った。


「直らなければ、捨てる」


 最後の縫合が終わる。

 白蘭は手袋を外し、その白い指で、私の顎を軽く持ち上げた。


 冷たい。


「でも、あなたは今はまだ」


 彼女は、私を覗き込む。


「数えられない」


 その言葉に、背筋が冷えた。


 部屋を出たあと、私は自分の手を見た。血はついていない。汚れてもいない。


 それなのに――


 白蘭の灰色の目が、いつまでも離れなかった。

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