第2話 壊さない選択

 私の黒髪は、腰のあたりまで真っ直ぐに伸びている。だがただ下ろしているわけではない。

 後頭部で低く結い、細い簪(かんざし)が一本、光を反射している。

 飾り気はない。動くための髪型だ。白いブラウスに、深紅のチャイナベスト。

 裾は短く、身体に沿うように仕立ててくれている。下は黒のスラックス、足元は音を立てない革靴。どれも上質だが、派手さはない。

 “守られる娘”でありながら、“現場に立つ者”の服だった。

 烈の視線が、一瞬だけ私の足元から顔へと這い上がる。

「随分、様になってきましたね」


 からかうような声だった。烈は男の顎を掴み、顔を無理やり上げる。指先が、次の“遊び”を選ぶように彷徨った。


「そろそろ指を一本――」


「やめて」


 短く、鋭い声。


 私は動かなかった。だが、私の黒い瞳は烈だけを射抜いていた。

「それ以上やったら、聞けるものも聞けなくなる」

 烈の動きが止まる。口元の笑みが、ゆっくりと薄れていった。


「……お嬢、これは仕事です」


「知ってる」


 私は一歩近づく。 裸電球の下、血の跡を踏みながら。


 白いブラウスの袖口は、いつの間にか赤く染まっていた。それでも、私は眉一つ動かさない。


「でも、あなたは“楽しみすぎる”」


 その言葉に、空気が凍る。


 景明が、わずかに息を吸った。

 烈は男から手を離し、ゆっくり立ち上がった。

 その目に宿るのは、苛立ちではなく――興味だった。


「止める、ということは」

烈は、低く言う。


「代わりに、お嬢がやる?」


 私は一瞬だけ、唇を噛んだ。

 それでも視線は逸らさない。


「……いいえ」


 そして、はっきりと言った。


「今日は“壊す日”じゃない。“使う日”」


 沈黙。


 陳は肩をすくめ、手袋を外した。

 血に濡れたそれを床に落とす。


「了解です。今日は、ここまで」

 その声には、従順と失望が混じっていた。私は、椅子に縛られた男へと向き直る。


 私の影が、男の顔に落ちる。


「話して」


 静かな声だった。私でも驚く程の。それは拷問よりも、ずっと逃げ場のない音だった。


 男は、震える唇で言葉を吐き出した。途切れ途切れに、しかし確かに。

 取引先の名。裏切った理由。次に狙われる場所。

 私は一言も挟まず、ただ聞いた。

 質問は短く、無駄がないように。拷問よりも冷たい沈黙が、男を追い詰めていく。


 最後の言葉を吐き終えた瞬間、男は泣き崩れた。


「……連れて行って」


 私は、烈ではなく景明を見る。


「拘束。治療して」


 景明は一拍置いてから、静かに頷いた。


「承知しました」


烈が、舌打ちをする。


「甘いなあ」


 その声に、私は振り返らなかった。


「甘いのは嫌い?」


私が問いかける


 烈は肩をすくめる。


「黒林には似合わない」


 私は、ようやく陳を見る。黒い瞳が、揺れもせずに言った。


「似合うかどうかは、私が決める」


 一瞬、烈の口元が歪んだ。

 怒りでも嘲笑でもない――楽しさだ。

「……はい、お嬢」


 地下室を出ると、廊下の奥に人影があった。


 お父様は、壁に寄りかかるように立っていた。


 私は、血の匂いが染みついた袖口を、無意識に握りしめている。


「どうだった」


 低い声。


 景明は一歩下がり、答える。


「線を引きました。壊さず、使う判断です」

お父様は、ほんの僅かに笑った。


「……十分だ」


 烈は、視線を伏せたまま言う。


「化けますよ。あの子」


「だろうな」


 お父様は、私を見る。


 守るために与えた世界が、

 いつか私を縛る鎖になると知りながら。


「甘いままでいい」


 その声は、祈りにも似ていた。


「黒く染まるのは――最後でいい」


 裸電球が、静かに揺れた。

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