Case1.泣けない姉と泣きすぎ妹②
「早く着きすぎちゃいました、すみません」
肩までの長さがあるストレートの黒髪。猫を思わせるつり目がちな瞳は美人の部類に入るが、無表情なので冷たい印象に見える。
20歳くらいの細身の女性は、聞き取りにくい音量の声で言い頭を下げた。
彼女の挙動に合わせて、その背に貼りついた薄茶色の頭が覗く。彼女は小さく「んしょ」っと言って軽くジャンプし、背中に乗せたもうひとりを抱え直した。
「……なんでおんぶしてんの?」
「エレベーター、ないから」
「ああ、そうね。ごめんね」
ハハァと乾いた笑いを添えながら、逢坂は予約の名前を思い出す。
「あー……、で。どっちが
「わたしです!」
女性の背中から響く対照的な明るい声。ハイッと元気よく挙手する姿勢で主張する少女――雫結月は逢坂と目が合うと、子犬を思わせる顔で微笑んだ。
くせ毛なのかフワフワと揺れる薄茶色のロングヘア―に、黒目が大きな垂れ目がちの瞳。人懐こさの滲む童顔も手伝って、柔らかい印象を受けた。
2人を例えるならば、月と太陽。陰と陽。人に懐かない猫と、人懐こい犬。
「お姉ちゃん、ありがとう。わたし降りるよ」
「うん……平気?」
「だーいじょうぶだって! 階段だってたぶん大丈夫だったよ?」
「それはダメ……」
「ふふっ、分かったわかった」
姉と呼ばれた女性は、結月によって「
事務の女性が初診患者用のアンケートを書かせている間に、逢坂は予約表を確認する。
愛用の万年筆をくるりと回した逢坂は、事務の女性にいつでも呼んでいい旨を告げた。
白いドアをスライドさせ、結月と真優が2人で入ってくる。
「あ、お姉さんは外で待っててもらっていいんだけど」
真優はビクッと体を震わせ瞳をさ迷わせた後、キュッと唇を結ぶ。
「でも、何かあると困るから」
「俺、そんな信用ないかい?」
「そういうわけじゃ」
冗談のつもりで言った言葉に、真優はパッと顔を上げて反論しかけた。けれども出だしの勢いはすぐにシュウと萎んでしまう。
「先生、そうじゃないです。わたしが余命わずかってやつなんで、姉は心配してくれているんです」
「は? えぁ……えぇ?」
結月が軽く発した言葉に面をう食らう間に――
「病院抜け出してきてるし……だから」
さらなる爆弾発言をぶっこんでくる真優。
「はあ……? ああ、……って、はああ!?」
思わず大声を上げた逢坂に向けて、姉妹は揃って唇の前に人差し指を立てて「しー」と黙れの合図をした。2人の圧に気圧された逢坂は、不本意ながらもうぐぅと唸って声を収めた。
「でもこの時間は病室に誰もこないし、病院も近いから大丈夫」
真優は感情の読めない表情のまま、クリニックの窓から見える白く巨大な建物を指さした。確かに逢坂のクリニックから徒歩10分の距離に、地域医療の中枢を担う総合病院がある。
「それに姉は看護学校の学生なんです! 最終学年だし、成績優秀なんで大丈夫」
「ああ、そう。君たち忘れてるかもしんないけど、俺も一応医者だからね?」
あ、と同時に声を上げて顔を見合わせる2人。逢坂は本気の溜息をついて、電子カルテに向き直る。
「んで、結月さんの主症状は――泣きすぎる、と」
「はい、そうなんです」
丸椅子の上でスゥと背筋を伸ばし、真剣な声音で応える結月。
はきはきと明るい態度のせいで確かに目につきにくいが、柔らかそうな白いブラウスから覗く腕は極端に細く、点滴の針を刺した痕が痛々しいほど刻まれていた。
時折違和感を感じる呼吸音も、彼女が患っていることを知らせてくる。
「余命宣告を受けたのは1年以上前です。それからは好きなことをたくさんして、美味しいものもいっぱい食べて。思い残すことなんて、もうないはずなのに……」
ハッ、と微かに呼吸が乱れる。一瞬、喉が引きつる音を立てた結月は、予兆もなく眦から涙を零した。
それは一粒では収まらず、次から次へと溢れて零れた。
「いつも、こうなんです。哀しくもない、痛いわけでも、辛いわけでもない。なのに涙が出るから周りに気を遣わせてしまって……本当にもう、嫌で」
結月は芯の通った声のまま言い、目元をソッとハンカチで拭う。口調からも態度からも、確かに彼女の涙は感情からくるものには見えなかった。
「わたしの涙を止めてもらえますか? 先生」
過ぎるほどの真剣な眼差しに込められた意図は、それだけだろうか。
逢坂は微かに視線を上げて、結月の背後に添うように立つ真優を見る。
わずかに俯けた顔には影が浮かび、小さく唇を噛んでいるように見えた――こっちの方が、よっぽど痛そうだ。
逢坂は数秒考え込んだ後、ふむとひとつ頷いてデスクの上の採取瓶と検査薬を手に取り立ち上がる。
「処置室で詳しく調べさせてもらう。姉の方は悪いけど、ここか待合で待ってて」
「え……」
「俺も医者だって言っただろうが。何かあったらすぐに呼ぶから」
「……はい」
真優は小さく溜息を吐きながらもなんとか折れて、処置室へ移動する結月と別れて診察室を出て行った。
処置室に入った逢坂は、溢れ続ける結月の涙を採取した。検査薬を垂らして振ると、水彩絵の具を解いたようにジワァと色が滲んでくる。
その色は――紫。偽りの涙の色だ。
逢坂はムッと顔をしかめて、しれっとした表情でいる結月に視線を据えた。
「……お前、見かけによらず
「かもしれないです」
フフッとまるで悪戯な春風のように、結月は愛らしく首を傾げて笑ってみせる。
「こうでもしないと、姉をここに連れてこられなかったから」
「ほう……?」
「わたし多分、先生と同業者になれる才能があって――見えるんです。人の涙が」
「んぁ?」
間の抜けた声を出す逢坂に、結月はまた春風の笑みを零す。
「体の中に涙が押し込まれていて、溜まりすぎて心臓が溺れちゃう病気、ありますよね?」
「――【
涙腺には異常がないのに、流すべき涙が体内に溜まっていく病。そのまま放置すればやがて、心臓が溜まった涙に圧迫され機能を果たせなくなり、「水没」するのに似た症状を起こして死に至る。
結月は逢坂が呟いた病名にコクンと頷く。
「水没しかけているなら早急に措置が必要な症状だが……その患者はお前の姉か?」
「はい。……あ、先生」
「なんだ」
「わたし、特に思い残すことがないって言ったのも嘘です」
「……なんとなく分かってきたよ、お前のこと」
またしれっと虚偽を白状した結月に、逢坂は眉間を押さえて低い声を出した。
結月は体を揺らして笑っていて、その声だけを聴いていると生命エネルギーに溢れているように見える。
それでも事実、余命わずかだという彼女が、静かに固い願いを告げる。
「先生。わたし、姉を助けたいんです」
逢坂は漏らしかけた息を喉奥へ押し込んで、唇の端を持ち上げた。
「……ああ、わかった」
白衣に差した万年筆を手に取りくるりと回して言う。
「泣けない姉も、泣きすぎの妹も――俺の魔法で治してやんよ」
万年筆の黒に部屋の照明が反射して、まるで魔法の杖のように微かに光った。
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