第9話 君の名前を教えてくれ

 戦闘が終わった。


 残りの魔物は、駆けつけた他の魔法少女たちが片付けた。

 被害は大きかったが、死者は出なかった。


 神崎は救急車で病院に運ばれた。


 ひよりとなぎさも同行した。


 凛は、その場に残ってぬいぐるみに魔物の死骸を食べさせている。

 ただ、視線は走り去る救急車を追っていた。


 ***


 病院の廊下。

 神崎は病院につくなりそのまま奥に運ばれていった。

 病院の手続や医者からの説明は五十嵐室長が対応するので付いていったが、ひよりとなぎさは邪魔にならないように廊下の端に寄って二人で待っていた。


「神崎さん、大丈夫かな」


 なぎさが不安そうに言った。


「命に別状はないって言ってたよね」


「うん。

 でも……」


 二人とも、神崎が倒れた瞬間を見ていた。

 血が流れていた。

 動かなくなった。


 怖かった。


 魔物と戦うのとは、違う怖さだった。


「──早月さん、檜原さん」


 声をかけられて振り返ると、五十嵐室長が立っていた。


「神崎は大丈夫。

 傷は深くない。

 数日で退院できるそうよ」


「本当ですか」


「ええ。

 あなたたちも、今夜はもう帰りなさい。

 お疲れ様」


 ひよりは頷いた。

 でも──


「あの、室長。

 桐生さんは……」


「彼女なら、さっき来たわ」


 五十嵐は廊下の奥を指さした。


「神崎の病室の前にいる。

 ──話しかけてみなさい」


 病室の前に行ってみると、小さな影があった。


 桐生凛。


 壁に背を預けて、ぬいぐるみを抱きしめて、じっと立っていた。


 ひよりとなぎさが近づくと、凛がこちらを見た。


「……何」


「あの、桐生さん──」


「凛でいい」


 ひよりは少し驚いた。


「……凛、さん」


「さんも要らない」


「じゃあ……凛」


 凛は視線を逸らした。


「……神崎さん、大丈夫だって。

 命に別状はないって」


「知ってる。

 さっき聞いた」


 沈黙が落ちた。


 なぎさが口を開いた。


「あんた、なんでここにいるの」


 凛は答えなかった。


「逃げないの? いつもみたいに」


「……うるさい」


「あ、違う、ごめん。

 こんなことを言いたいんじゃなくて。

 ただ──」


 なぎさは言葉を探した。


「──来てくれて、嬉しい」


 凛が顔を上げた。


「今日、一緒に戦えて嬉しかった。

 あんたが援護に反応してくれた時、すっごい嬉しかった。

 ──だから」


 なぎさは頭を下げた。


「ありがとう。

 神崎さんを助けてくれて」


 凛は何も言わなかった。


 ただ、ぬいぐるみを抱く手に、少しだけ力がこもった。


 病室のドアが開いた。


 看護師が出てきて、「面会できますよ」と言った。


 ひよりとなぎさが顔を見合わせた。


「……凛も、来る?」


 ひよりが聞いた。


 凛は少し迷った後──小さく頷いた。


 病室に入ると、神崎がベッドに横たわっていた。


 脇腹に包帯が巻かれている。

 顔色は悪いが、目は開いていた。


「おう。

 来たか」


「神崎さん、大丈夫ですか」


「ああ。

 かすり傷だ」


「かすり傷で手術はしないですよ」


 なぎさが呆れた声で言った。


「無茶しすぎです」


「そうかもな。

 ──でも、後悔はしていない」


 神崎の視線が、凛に向いた。


「君も来てくれたのか」


 凛は答えなかった。

 病室の隅に立って、こちらを見ている。


「……座れよ。

 立ってると疲れるだろう」


「……別に」


「いいから」


 神崎が椅子を指さした。

 凛は少し躊躇してから、ゆっくりと椅子に座った。


 ひよりとなぎさも、ベッドの反対側の椅子に座った。


 しばらく、誰も話さなかった。


 神崎が口を開いた。


「今夜は、助かった。

 君たちのおかげだ」


「私たちは、何も……」


 ひよりが言いかけると、神崎が首を振った。


「A級を倒したのは、君たちだ。

 三人で。

 ──一人じゃ、無理だった」


 凛がわずかに身じろぎした。


「三人とも、そろそろ帰れ。

 もう遅い時間だ」


「でも──」


「俺は大丈夫だ。

 気になるなら明日また来い」


 ひよりとなぎさは顔を見合わせた。


「……わかりました。

 お大事に」


「ああ」


 二人は病室を出て行った。


 凛だけが、残った。


 病室に、二人きりになった。


 神崎は天井を見つめていた。

 凛は椅子に座ったまま、ぬいぐるみを膝の上に置いていた。


「……帰らないのか?」


 神崎が聞いた。


「……帰る場所なんか、ない」


 神崎は凛を見た。


「あるだろう。

 君の叔母さんの家──」


「あそこは、私の家じゃない」


 凛の声は平坦だった。


「居場所じゃない。

 私がいると、みんな困った顔をする。

 だから、出て行った」


「…………」


「……なんで、私を庇ったの」


 神崎は少し考えてから、答えた。


「君を死なせたくなかったからだ」


「なんで」


「なんで、か」


 神崎は苦笑した。


「目の前で死なれたら──寝覚めが悪い」


「……そんな理由」


「十分な理由だろう」


 凛は黙った。


 神崎が体を起こそうとした。

 顔をしかめる。

 凛が思わず立ち上がりかけた。


「動かないで」


「ああ、悪い。

 ──少し、話しづらくてな」


 神崎は枕を背中に当てて、半身を起こした。

 凛を真っ直ぐに見た。


「君の名前を教えてくれないか」


「……知ってるでしょ。

 調べたって、言ってた」


「書類上の名前は知っている。

 桐生凛。

 十五歳。

 六月の災害で両親を亡くした」


 凛の肩が、わずかに強張った。


「でも、俺は君の口から聞きたい。

 君自身の言葉で」


「……意味、わかんない」


「意味なんかない。

 ただ──」


 神崎は言葉を探した。


「──君と、ちゃんと話をしたい。

 それだけだ」


 凛は黙っていた。


 ぬいぐるみを抱きしめる手が、小さく震えていた。


 神崎は、その震えを見ていた。


 怒っているのだと思っていた。

 最初に会った時から。


 大人を信じられない。

 組織を信じられない。

 だから、突き放す。

 拒絶する。


 怒りだと思っていた。


 でも──違った。


 この子は、怒っているんじゃない。


 怖いんだ。


 誰かに近づくのが怖い。

 信じるのが怖い。

 また失うのが怖い。


 だから、壁を作っている。

 誰も入れないように。

 自分を守るために。


 十五歳の子どもが、たった一人で、必死に自分を守っている。


 その姿が──痛々しかった。


「無理に話さなくていい。

 でも、一つだけ──覚えておいてくれ」


 凛が顔を上げた。


「俺は、君の味方だ。

 信じてくれなくてもいい。

 でも、俺は君を見捨てない。

 君が何度逃げても、何度拒絶しても──俺は諦めない」


「……なんで」


「それが俺の仕事だからだ。

 ──いや」


 神崎は首を振った。


「仕事だから、じゃないな。

 ──放っておけないからだ。

 理由なんかない。

 ただ、そう思う」


 凛の目が、揺れた。


「……わかんない」


「わからなくていい。

 今は」


「大人って、みんなそう言う。

 『わからなくていい』って。

 『大丈夫』って。

 ──でも、全然大丈夫じゃなかった」


 声が震えていた。


「お父さんとお母さんが死んだ時、大人は『大丈夫』って言った。

 『私たちがいる』って言った。

 ──でも、何も大丈夫じゃなかった。

 誰も、何もしてくれなかった」


「…………」


「だから──信じられない。

 信じたら、また裏切られる。

 また、一人になる」


 凛はぬいぐるみを抱きしめた。


「一人の方がいい。

 一人なら、誰も失わない。

 誰にも裏切られない」


 神崎は黙って聞いていた。


 何も言えなかった。


 凛の言葉は、正しい。

 彼女の経験から言えば、正しい。


 大人は、この子を守れなかった。

 だから、信じてもらえない。


 当然の帰結だ。


「──でも」


 神崎は静かに言った。


「君は今日、俺を助けた」


 凛が顔を上げた。


「一人でいいなら、助けなくてよかった。

 自分の戦いだけをしていればよかった。

 ──なのに、君は俺を見捨てなかった」


「…………」


「君は、本当に一人でいたいわけじゃないんだろう。

 本当は──誰かを、信じたいんだろう」


 凛の目が、大きく見開かれた。


「でも、怖い。

 また裏切られるのが怖い。

 また失うのが怖い。

 ──だから、自分から壁を作っている」


「違う──」


「違わない」


 神崎は凛を真っ直ぐに見た。


「君は優しい子だ。

 だから、傷つきやすい。

 傷つくのが怖いから、誰も近づけないようにしている。

 ──でも、それじゃ君は、ずっと一人だ」


 凛は何も言えなかった。


 唇が震えていた。


「俺は、君を傷つけるつもりはない」


 神崎は言った。


「でも、約束はできない。

 俺も人間だ。

 失敗することもある。

 君を傷つけてしまうこともあるかもしれない」


「…………」


「それでも──俺は、君の傍にいたい。

 君が一人で戦わなくていいように。

 君が一人で泣かなくていいように」


 揺れ続ける凛の目から、涙が溢れた。


 声もなく、ただ涙だけが頬を伝った。


 本人も気づいていないようだった。


「……っ」


 凛は慌てて顔を背けた。

 袖で目を拭う。

 でも、涙は止まらなかった。


 神崎は何も言わなかった。


 ただ、待っていた。


 長い沈黙の後。


 凛が、小さな声で言った。


「……凛」


「え?」


「聞かれたから。

 私の名前。

 ──桐生、凛」


 神崎は、少しだけ笑った。


「ああ。

 知ってる」


「……聞かれたから答えただけ」


「そうだな」


 凛は顔を背けたまま黙り込む。


 また沈黙が訪れる。

 でも、凜にとってその沈黙は──嫌じゃ無かった。


 ***


 凛は結局、病室に残った。

 椅子に座ったまま、ぬいぐるみを抱きしめて、いつの間にか眠っていた。


 様子を見に来た看護師が気を利かせて毛布を掛けてくれた。


 ──安心して眠れただろうか。


 神崎は傷の痛みに耐えながら考える。


 十五歳。

 まだ子どもだ。


 こんな子が、一人で戦ってきた。

 一人で、傷ついてきた。


 神崎は、静かに誓った。


 ──必ず、この子を守る。


 窓の外では、夜明けが近づいていた。


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