第10話 もう良いのか?
目を覚ますと、知らない天井があった。
白い天井。
蛍光灯の光。
消毒液の匂い。
病院だ。
私は椅子に座ったまま眠っていたらしい。
体にはいつの間にか毛布が掛けられてる。
体が痛い。
首が凝っている。
膝の上には、ドゥー太郎。
「……起きたか」
声がして顔を上げると、ベッドの上で神崎が目を開けていた。
「朝だぞ。
よく寝てたな」
「…………」
私は何も言えなかった。
なんで、ここにいるんだろう。
なんで、この人の傍で眠っていたんだろう。
わからない。
でも──嫌じゃなかった。
朝食の時間になって、看護師が来た。
私はそのまま病室を出た。
神崎が「また来い」と言ったけど、返事はしなかった。
病院を出て、街を歩く。
朝の光が眩しい。
人がたくさん歩いている。
通勤の人。
通学の人。
普通の朝。
私には関係のない風景。
でも──昨日までとは、少し違う気がした。
何が違うのか、わからない。
ただ、胸の奥に、何かがわだかまっている。
廃ビルに戻った。
いつもの場所。
いつもの部屋。
コンクリートの床と、割れた窓。
座り込んで、ドゥー太郎を見た。
「……ねえ」
話しかけた。
返事はない。
いつものこと。
「昨日、私──泣いた」
ドゥー太郎は答えない。
「あの人の前で。
神崎って人の前で。
──泣いちゃった」
自分でも信じられなかった。
涙なんて、もう枯れたと思っていた。
あの日から、一度も泣いていなかった。
泣けなかった。
なのに、昨日──
「なんでだろう」
ドゥー太郎に聞いた。
返事はない。
ボタンの目が、じっと私を見ている。
***
夜になった。
魔物を探す。
いつものように。
昨夜の大規模災害で、まだ残っている魔物がいるかもしれない。
探して、倒す。
それが私のやること。
──復讐。
そう思おうとした。
でも、その言葉が、頭の中で空回りする。
復讐して、それからどうする?
お父さんは帰ってこない。
お母さんも帰ってこない。
わかっていた。
最初から、わかっていた。
でも、目を逸らしていた。
考えないようにしていた。
そうしないと、立っていられなかったから。
なのに──昨日から、その考えが頭から離れない。
神崎の言葉。
ひよりやなぎさとの共闘。
あの人たちを──信じてもいいのかもしれない。
そう思ってしまった瞬間から、何かが狂い始めていた。
ずっと張り詰めていた糸が、緩んでいく感覚。
ドゥー太郎が震えた。
魔物の気配。
近い。
──集中しろ。
今は戦いだ。
私は頭を振って、駆け出した。
廃工場の奥に、魔物がいた。
人型。
腕が六本ある。
昨夜の残りだろう。
すぐ片付ける。
私はドゥー太郎を振りかぶって、突っ込んだ。
***
苦戦している。
おかしい。
いつもならもう終わってるのに。
体が重い。
動きが鈍い。
ドゥー太郎を振るう。
魔物の腕に弾かれる。
反撃が来る。
避ける。
遅い。
肩を掠められた。
「──っ」
痛い。
でも、立てる。
まだ戦える。
もう一度、ドゥー太郎を振りかぶる。
魔物の六本の腕が、同時に振り下ろされた。
多い。
捌ききれない。
二本はドゥー太郎で受けた。
三本目は避けた。
四本目が──腹に入った。
体が吹き飛ばされる。
壁に叩きつけられた。
息ができない。
肋骨が軋む。
なんで、こんなに苦戦してる?
魔物が迫ってくる。
立ち上がろうとする。
足がもつれる。
頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。
集中できない。
考えがまとまらない。
──疲れている。
気づいてしまった。
ずっと、疲れていた。
一人で戦って、一人で眠って、一人で起きて。
誰とも話さず、帰る場所もない。
張り詰めて、張り詰めて、張り詰め続けて──もう、限界だった。
昨日、神崎の病室で眠ったとき、久しぶりによく眠れたと思う。
誰かが傍にいることが、こんなに安心できるなんて、忘れていた。
そして──思い出してしまった。
誰かに頼ることを。
誰かを信じることを。
だから──私は自分がひどく疲れていることに、気付いてしまった。
魔物の腕が振り下ろされる。
ドゥー太郎を盾にして受け止めた。
衝撃。
腕が痺れる。
握力がなくなっていく。
追撃。
また受ける。
また衝撃。
衝撃をこらえきれずに吹き飛ばされて、地面に倒れた。
ドゥー太郎を握りしめたまま、仰向けに転がってしまった。
私を吹き飛ばした魔物が、ゆっくり近づいてくる。
すぐに起き上がらないといけないのに、体が重いし、あちこちが痛い。
──終わり、かな。
不思議と、怖くなかった。
疲れていた。
もう、いいかな、と思った。
その時。
頭の中に、声が響いた。
『──もう良いのか?』
低い声。
かすれた声。
聞き覚えがある。
あの日──路地裏で聞いた声だ。
「……ドゥー、太郎……?」
『力は、もう要らないのか?』
私は息を呑んだ。
その問いかけの意味が、わかった。
あの日、ドゥー太郎は聞いた。
「力が欲しいか?」と。
私は答えた。
「欲しい」と。
それは、つまり契約だった。
私はドゥー太郎に魔物を食べさせる。
ドゥー太郎は私に力を与える。
お互いに利用し合う関係。
だから、安心できた。
対等だから。
裏切られることもないから。
ここで、私が力を要らないと言えば、契約は終わる。
私が負ければ、契約は終わる。
ドゥー太郎との繋がりも、終わる。
──力は、もう要らないのか。
自分に問いかけた。
疲れている。
限界だ。
誰かに頼ることを思い出してしまった。
だから、もう──力なんか、なくてもいいんじゃないか?
今すぐ逃げて、神崎たちに保護されて、普通の生活に戻って、戦わなくなって──
それで、いいんじゃないか?
──本当に?
頭の中で、別の声がした。
私自身の声。
本当に、それでいいの?
思い出した。
ひよりとなぎさが魔物に苦戦していた時、私は助けに入った。
神崎が魔物に殺されそうになった時、私は庇った。
あの時──力がなければ、何もできなかった。
見ているだけだった。
あの日みたいに。
お父さんとお母さんが死んだあの日みたいに。
本当は──
お父さんとお母さんを助ける力が欲しかった。
でも、あの時の私は何もできなかった。
それが──ずっと、悔しかった。
本当に望んでいたのは、復讐なんかじゃない。
本当は、助けたかった。
助ける力が欲しかった。
もう、あんな思いはしたくない。
もう、誰にも──私と同じ思いをさせたくない。
魔物が、腕が振り上げた。
私は──ドゥー太郎を握りしめた。
「力が欲しい」
声が出た。
「誰かを助けることができる力を──!」
体の奥から、熱が湧き上がった。
あの日と同じだ。
路地裏で、初めて力を手にした時と同じ感覚。
私は跳ね起きた。
魔物の腕が振り下ろされる──その前に、私は動いていた。
ドゥー太郎を振りかぶる。
魔物の顔面に、叩きつけた。
「ドゥー」
魔物がよろめく。
追撃。
腹に一撃。
「ドゥー」
魔物が折れ曲がる。
跳躍。
落下しながら、頭に──
「ドゥー」
魔物が崩れ落ちた。
動かなくなった。
息が荒い。
体中が痛い。
でも──勝った。
ドゥー太郎を見た。
「……しゃべれるんじゃん」
返事はない。
「おまえ、結局なんなの?」
返事はない。
「あの時も一言だけ喋って、今日も一言だけ喋って。
──なんなの、本当に」
返事はない。
試しに、軽く叩いてみた。
「ドゥー」
いつもの音。
それだけ。
「…………」
わからない。
こいつが何なのか、結局わからない。
でも──
ドゥー太郎は、私を否定しなかった。
「もう良いのか?」と聞いた。
「力は要らないのか?」と聞いた。
私の答えを、待っていた。
私が「要らない」と言えば、たぶん、そのまま終わりにしてくれた。
私が「欲しい」と言ったから、また力をくれた。
それだけ。
押し付けない。
強制しない。
ただ、寄り添って、私の選択を待ってくれた。
こいつは──たぶん、そういう存在なんだ。
ドゥー太郎が魔物の死骸を食べ終わるのを待って、私は廃ビルに戻った。
座り込んで、ドゥー太郎を膝の上に置いた。
「……ねえ」
話しかけた。
「私、どうすればいいのかな」
返事はない。
「復讐なんかしたって、意味ないってわかってた。
でも──他に何すればいいか、わかんない」
返事はない。
「あの人たちと──一緒にいて、いいのかな」
やっぱり返事はない。
私はドゥー太郎を抱き上げた。
「一緒に、考えよう。
──二人で」
窓の外には、星が見えた。
あの日と同じ星。
お父さんとお母さんと見た星。
今は──ドゥー太郎と見ている。
一人じゃない。
──本当は、最初から、一人じゃなかったんだ。
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