第7話 普通の朝、普通の一日
目覚ましが鳴った。
朝六時。
早月ひよりは布団の中で目を開けた。
眠い。
でも、起きなければ。
今日も学校がある。
のろのろと起き上がり、カーテンを開けた。
朝日が差し込む。
普通の朝。
普通の一日の始まり。
制服に着替えて、階段を下りる。
「おはよう、ひより」
母が朝食を用意していた。
トーストと目玉焼き。
いつもの朝ごはん。
「おはよう」
「昨日は遅かったでしょう。
大丈夫?」
「うん、平気」
嘘ではない。
慣れた。
夜中まで戦って、朝は普通に学校に行く。
そんな生活に。
母は心配そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
ひよりが魔法少女になったのは、四年前。
十二歳の時だ。
妖精マスコットのピリカが現れて、契約した。
最初は怖かった。
今でも怖い。
でも、やるしかない。
自分にしかできないことだから。
両親は最初、反対した。
でも、組織の人が来て、説明して、最終的には認めてくれた。
「応援してる」と、父は言った。
「でも、無理はしないで」と、母は言った。
二人とも、今でもひよりを支えてくれている。
それがどれだけありがたいことか、ひよりは知っている。
学校に着くと、なぎさが校門で待っていた。
「おっそーい、ひより」
「ごめん、ちょっと寝坊した」
「昨日、遅かったもんね。
私も眠い」
二人で教室に向かう。
廊下ですれ違うクラスメイトたちが「おはよう」と声をかけてくる。
ひよりとなぎさも「おはよう」と返す。
普通の学校生活。
普通の日常。
誰も知らない。
ひよりとなぎさが魔法少女であることを。
昨夜、魔物と戦っていたことを。
組織の方針で、正体は秘密にしている。
普通の生活を守るために。
魔法少女である前に、一人の少女であるために。
また、魔法少女は変身すると認識阻害が働き変身前の個人を特定することができない。
このことも少女達の日常を守ることにつながっていた。
教室に入ると、友達が手を振った。
「ひよりー、昨日のドラマ見た?」
「あ、ごめん、見逃しちゃった」
「えー、めっちゃ良かったのに! 今日の昼休み、話すからね!」
ひよりは笑って頷いた。
昨日の夜は、ドラマを見る余裕なんてなかった。
魔物と戦って、帰ってきたらもう深夜で。
でも、そんなことは言えない。
言う必要もない。
これが、ひよりの日常だった。
昼休み。
ひよりとなぎさは、屋上で弁当を食べていた。
他の生徒は来ない、二人だけの場所。
「ねえ、ひより」
なぎさが箸を止めて言った。
「この前のこと、まだ考えてる?」
「……うん」
桐生凛のことだ。
あの子の言葉が、まだ頭から離れない。
『あんたたちには、あるんでしょ、全部』
家があって、学校があって、仲間がいて、信じられる大人がいて。
全部ある。
ひよりには、全部ある。
当たり前だと思っていた。
魔法少女として戦いながらも、日常を送れることが。
でも──桐生凛には、何もない。
「私、あの子に何も言えなかった」
なぎさが俯いた。
「『おかしい』って言ったけど……あの子にとっては、おかしくないんだよね。
だって、それしかないんだもん」
「なぎさ……」
「私、恵まれてるんだなって、思った。
家があって、ひよりがいて、神崎さんたちがいて。
──当たり前じゃ、なかったんだ」
ひよりは黙って聞いていた。
なぎさは普段、弱音を吐かない。
強がりで、勝ち気で、いつも前を向いている。
でも、あの日のことは、なぎさにも堪えたのだろう。
「私さ」
なぎさが続けた。
「魔物と戦うの、怖いよ。
毎回怖い。
死ぬかもって思う時もある」
「うん」
「でも、ひよりがいるから頑張れる。
神崎さんたちがいるから、安心できる。
──あの子には、それがないんだよね」
ひよりは頷いた。
「一人で戦って、一人で怖くて、一人で耐えて。
──どうやって、そんなことできるんだろう」
わからない。
ひよりにも、わからなかった。
自分だったら、耐えられない。
一人で戦い続けるなんて、絶対に無理だ。
なのに、桐生凛は──私たちより年下なのに、三ヶ月以上も、一人でやってきた。
「……すごいと思う」
ひよりは言った。
「あの子、すごいと思う。
強いと思う。
──でも、だからこそ、助けたい」
「うん」
「一人で頑張らなくていいって、伝えたい。
──伝わるまで、何度でも」
なぎさが顔を上げた。
目が少し赤かった。
「……ひよりは、優しいね」
「なぎさだって」
「私は──ただ、悔しいだけ」
なぎさが拳を握った。
「あの子に何も言えなかったのが、悔しい。
あの子を一人にしてるのが、悔しい。
──次は、絶対に」
言葉が途切れた。
でも、ひよりにはわかった。
次は、絶対に──何か、届けたい。
二人とも、同じことを思っていた。
***
放課後。
組織の施設で、訓練があった。
魔法の精度を上げるための、地道な反復練習。
ひよりは光の矢を放ち、なぎさは炎の槍を投げた。
的に当たる。
また放つ。
また当たる。
単純な作業。
でも、これが命を守る。
「早月、檜原。
少し休憩しろ」
神崎の声がした。
二人は頷いて、ベンチに座った。
神崎が近づいてきて、スポーツドリンクを渡してくれた。
「ありがとうございます」
「ああ。
──調子はどうだ」
「大丈夫です」
ひよりが答えると、神崎は少し笑った。
「無理はするなと言っただろう。
顔色が悪いぞ」
「……すみません」
「謝ることじゃない。
君たちは十分頑張っている」
神崎はベンチの端に腰を下ろした。
「この前のことは、気にするな。
あの子との接触は、まだ始まったばかりだ」
「でも──」
「簡単に心を開いてもらえるなんて思っていない。
特に、あれだけ傷ついた子ならなおさらだ」
神崎は訓練場を見つめていた。
「俺たちにできるのは、諦めないことだけだ。
何度でも手を差し伸べる。
何度拒否されても。
──いつか、届く日が来る」
「……来ますかね」
なぎさが小さく言った。
「来る」
神崎は断言した。
「あの子は、まだ誰かを助けようとしている。
君たちを助けたように。
──完全に心を閉ざした人間には、できないことだ」
ひよりは、あの夜のことを思い出した。
苦戦した時、彼女が現れて助けてくれた。
何も言わず、何も求めず。
あの子は──まだ、人を見捨てられない。
それが、希望だと思った。
「神崎さん」
ひよりは言った。
「私、あの子と友達になりたいです」
神崎が少し驚いた顔をした。
「友達?」
「はい。
保護とか、支援とか──そういうのじゃなくて。
ただ、友達になりたい。
一緒にご飯食べたり、くだらない話したり。
──普通のこと、一緒にしたい」
なぎさが隣で頷いた。
「私も。
あの子と一緒に戦いたい。
背中を預け合いたい。
──仲間になりたい」
神崎は二人を見て、静かに微笑んだ。
「……そうか」
それだけ言って、立ち上がった。
「君たちは、いい魔法少女だ。
──いや、いい子たちだ」
歩き去る背中を見送りながら、ひよりは思った。
桐生凛。
次に会った時、今度こそ──何かを、伝えたい。
***
魔物が現れるようになって八年。
現在では、魔物の出現はある程度の精度で予測できる。
また、監視班による二十四時間体制の警戒も行われている。
魔法少女は監視班からの要請を受けて出動する役割なので、持ち回りで待機する当番制になっていた。
そして今日の当番は、ひよりとなぎさだった。
「ねえ、ひより」
「なに?」
「あのぬいぐるみ、魔物を食べるんだよね」
「うん、見た」
「あの子のパートナーなのかな、ぬいぐるみ」
「たぶん、そう。
私たちのマスコットとは、全然違う感じだけど、ただのぬいぐるみとは思えない」
魔法少女のパートナーは、妖精マスコットだ。
ひよりのピリカは小さな鳥の姿をしている。
なぎさのカグラは狐の姿。
どちらも喋るし、アドバイスもくれる。
桐生凛のパートナーは──あのぬいぐるみなんだろう。
だとしたら、普通のマスコットとは全然違う。
「普通じゃない。
──でも、あの子にとっては、大事な相棒なんだろうね」
ひよりは頷いた。
桐生凛は、いつもあのぬいぐるみを抱きしめていた。
たった一つの、味方。
たった一つの、繋がり。
あの子にとって、あのぬいぐるみは──きっと、かけがえのない存在なんだ。
「ピリカ」
ひよりは、肩に止まっている小鳥に声をかけた。
「ん? なに、ひより」
「ありがとう。
いつも一緒にいてくれて」
「……急にどうしたの。
気持ち悪いんだけど」
「ひどい」
なぎさが笑った。
「ピリカ、素直じゃないよねー」
「うるさいな。
カグラだって似たようなもんでしょ」
「カグラは優しいもーん」
「はいはい」
軽口を叩き合う。
いつもの夜。
いつもの当番。
でも、今夜は少しだけ──いつもと違う気持ちがあった。
当たり前の日常が、当たり前じゃないこと。
隣に誰かがいることが、どれだけ幸せなことか。
それを、ひよりは噛みしめていた。
戦うのは怖い。
いつも、怖い。
でも──隣に、なぎさがいる。
だから、戦える。
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