第5話 魔物を殴り殺す。それだけ。

 朝が来た。


 私は廃ビルの一室で目を覚ました。


 コンクリートの床。

 埃っぽい空気。

 割れた窓から差し込む朝日。


 ここが今の「家」だ。

 三日前に見つけた場所。

 人が来ない。

 雨風がしのげる。

 それで十分。


 隣には、ドゥー太郎がいた。


 胴の長いウサギのぬいぐるみ。

 ボタンの目。

 いつものように、じっとこちらを見ている。


「……おはよう」


 声をかけた。


 ドゥー太郎は答えない。


 わかってる。

 こいつは喋らない。

 あの日、路地裏で一言だけ喋って、それっきり。


 でも、声をかけないと、自分が人間じゃなくなっていく気がする。


 誰とも話さない日が続くと、声の出し方を忘れそうになる。


 立ち上がって、窓の外を見た。


 朝の街。

 人が歩いている。

 車が走っている。

 普通の日常。


 私には関係のない風景。


 学校に行くべき時間だと思った。

 ふと。

 もうずっと行っていないけど。


 叔母さんの家にいた頃、一度だけ学校に行った。

 災害の後、しばらくしてから。


 教室に入った瞬間、みんなの目が私に向いた。


 ──あの子、両親が死んだんだって。


 ──魔物に殺されたらしいよ。


 ──かわいそう。


 ひそひそ声。

 憐れみの視線。

 どう接していいかわからない空気。


 先生が「無理しなくていいからね」と言った。

 クラスメイトが「何かあったら言ってね」と言った。


 みんな優しかった。


 でも、その優しさが重かった。

 私は「かわいそう」なんだってずっと突きつけられてる気がした。


 私は翌日から学校に行かなくなった。


 そして、叔母さんの家からも出て行った。


 お腹が空かない。


 最後にちゃんと食事をしたのは、いつだっただろう。


 叔母さんの家を出てから、ほとんど何も食べていない。

 パンを買って少しかじったこともあったけど、すぐにやめた。


 空腹を感じない。

 お風呂も入ってないのに、体が汚れてない。

 そういえば髪の毛も爪も伸びてない。


 不思議だった。

 人間は食べなければ死ぬし、清潔にしてないと病気になるはずなのに。


 最初は気づかなかった。

 戦いに夢中で、そんなことを考える余裕がなかったから。


 でも、一週間、二週間と経つうちに、おかしいと思い始めた。


 食べていない。

 なのに、動ける。

 力が出る。

 むしろ、前より体が軽い気がする。


 どうして?


 答えは──たぶん、隣にいる。


 ドゥー太郎を見た。


 こいつは、魔物を食べる。


 戦いが終わるたびに、魔物の死骸を丸呑みにする。

 最初は気持ち悪いと思った。

 でも、すぐに慣れた。

 こいつがそういう存在なのだと、受け入れた。


 こいつが魔物を食べると、私は少し元気になる気がする。


 因果関係があるのかはわからない。

 でも、たぶん──こいつが私を生かしてくれている。


「ありがとう」と言うべきなのかもしれない。


 でも、言わなかった。


 こいつが何なのか、私はまだ知らない。

 あの日、なぜ私に声をかけたのかも。

 なぜ力をくれたのかも。


 全部わからないまま、一緒にいる。


 夜になった。


 パトロールに出る。

 私はそう呼んでいる。


 魔物を探して街を歩く。

 ドゥー太郎を抱えて。


 こいつは魔物の気配がわかるらしい。

 近くに魔物がいると、体が少し震える。


 だから私は、ドゥー太郎の反応を頼りに魔物を探す。


 今夜も、反応があった。


 工場地帯。

 人気のない場所。


 魔物がいた。


 犬みたいな形。

 四本足。

 目が赤く光っている。

 感じる気配からみて、弱い部類だ。


 私は駆け出した。


 戦いは、すぐに終わった。


 ドゥー太郎を振り下ろす。

 魔物の頭に叩きつける。


「ドゥー」


 あの音。


 魔物が崩れ落ちる。


 もう一撃。

 念のため。


「ドゥー」


 動かなくなった。


 私は息を整えた。

 汗もかいていない。

 心臓の鼓動も、そんなに速くなっていない。


 最初の頃は、もっと必死だった。

 怖かった。

 でも、今は違う。


 慣れた。


 魔物を殺すことに、慣れてしまった。


 ドゥー太郎が動いた。


 私の腕の中で、もぞもぞと身をよじる。


 わかってる。

 食事の時間だ。


 私はドゥー太郎を地面に置いた。


 ドゥー太郎の口が開く。

 縫い目のところが、ぱっくりと。


 そして、魔物を食べ始めた。


 犬くらいの大きさの魔物。

 それが、みるみるうちに消えていく。


 ありえない光景。

 最初は目を背けた。

 今は平気で見ていられる。


 これも、慣れだ。


 やがて、魔物は完全に消えた。


 ドゥー太郎の口が閉じる。

 また元のぬいぐるみに戻る。


 私は、少し体が軽くなった気がした。


 ドゥー太郎を抱き上げた。


「……ねえ」


 話しかけた。


「あんた、何なの」


 返事はない。


「どこから来たの。

 なんで私に力をくれたの。

 なんで魔物を食べるの」


 返事はない。


「……なんで、喋らないの」


 返事はない。


 わかってる。

 聞いても無駄だって。


 でも、聞かずにはいられなかった。


 私の周りには、もうこいつしかいない。

 話せる相手は、こいつしかいない。


 喋らないくせに、いつも一緒にいる。


 武器になって、盾になって、私を守ってくれる。


 なのに、何も教えてくれない。


「…………」


 ドゥー太郎を見つめた。


 ボタンの目が、こちらを見ている。

 何を考えているのか、わからない。


 試しに、軽く叩いてみた。


「ドゥー」


 いつもの音。


 それだけ。


「……そう」


 私は、ドゥー太郎を抱きしめた。


 答えなんか、なくていい。


 こいつがここにいる。

 それだけでいい。


 今は、それだけでいい。


 帰り道、あの男のことを思い出した。


 昨夜会った男。

 神崎晋一郎と名乗った。

 特務対策室の対策官。


 君を傷つけるつもりはない。

 話を聞いてほしい。

 君を支える仲間がいる。


 嘘じゃないんだと思う。

 たぶん、本気でそう言っていた。


 でも、関係ない。


 仲間なんか、要らない。


 組織なんか、要らない。


 あの日、誰も間に合わなかった。

 お父さんとお母さんが死んだ時、誰も助けてくれなかった。


 今さら「助ける」と言われても──


 信じられない。


 信じたら、また裏切られる。

 また失う。

 また一人になる。


 だったら、最初から一人でいい。


 一人なら、誰も失わなくて済む。


 廃ビルに戻った。


 コンクリートの床に座り込む。

 ドゥー太郎を膝の上に置く。


 夜空を見上げた。

 星が見える。

 あの日も、星が綺麗だった気がする。


 お父さんとお母さんと、三人で星を見たことがある。


 キャンプに行った時だ。

 小学校四年生の夏。

 山の中で、テントを張って、夜に外に出たら、星がたくさん見えた。


 お父さんが星座を教えてくれた。

 あれが北斗七星、あれがカシオペア。

 お母さんが「お父さん、詳しいのね」と笑った。


 あの夜の星と、今夜の星は、同じなんだろうか。


 同じ星を見ているのに、隣にはもう誰もいない。


「…………」


 涙は出なかった。


 もう、とっくに枯れている。


 ドゥー太郎を抱きしめて、目を閉じた。


 明日も、戦う。


 魔物を見つけて、殴り殺す。


 それだけが、私にできること。


 それだけが、私に残されたこと。


 ──お父さん、お母さん。


 私は、まだ戦えるよ。


 だから──


「……見ててね」


 誰もいない部屋で、私は呟いた。

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