第3話:退化した未来と、魔法という名の横着

 シルバータワーの最上階。

 そこには、世界最強の魔導師にのみ許された、広大なシエルの自室があった。

 ゲートを潜った先に広がっていたのは、研究室というよりは、整理整頓の概念を忘れた宝物庫、高価なゴミが散らかった物置だった。


「……これが、現代の最高峰の 冒険者の部屋か?」


 俺は思わず、深く長い溜め息を吐き出した。

 棚には希少な魔晶石が雑多に積み上げられ、机の上には幾何学模様が描かれた羊皮紙が重なり合っている。

 かつての俺が過ごした、塵一つ許されないクリーンルームと精密測定器に囲まれた研究所とは、比べるべくもない惨状だ。


「そうよ。国からの予算もたっぷり降りているし、世界中の貴重な素材も揃っているわ。文句はないでしょ?」


 シエルが自慢げに胸を張る。

 俺は無言で、壁際に無造作に立てかけられた一振りの剣を手に取った。

 シエルの愛剣『紅蓮の炎剣』。

 国宝級の価値があるとされる逸品だが、魔力視で構造を覗いた瞬間、俺はこめかみを指で押さえた。


「度し難いほど不合理だな。エネルギーの伝達効率がゴミ以下だ。これを作った奴は、熱力学の基礎すら知らないのか?」


「……ゴミ? ちょっと、それは伝説の鍛冶師が一生を捧げて打った名剣よ!」


「名剣が泣いている。刃の表面に目視不可能なレベルの微細な歪みが残っているせいで、魔力を通すたびに内部で乱反射が起きている。シエル、お前が剣を振るうたびに刀身が熱を持ち、しなりすぎるのは、お前の魔力が強すぎるせいじゃない。単なる排熱構造の設計ミスだ」


 シエルは言葉を失い、自分の手のひらを見つめた。

 彼女にとって、全力で剣を振るうたびに襲いかかる熱や振動は、強者の証であり、克服すべき試練だと思い込んでいたのだろう。

 それを「設計ミス」の一言で切り捨てられた衝撃は、彼女のプライドを根底から揺さぶったようだった。


 俺は書棚の隅でホコリを被っていた、一冊の古い本を見つけた。

 五十年前……俺が生きていた時代の末期に発行された、物理学の基礎テキストだ。


「……まだこんなものが残っていたのか」


 ページをめくると、懐かしい数式が俺を迎えてくれた。

 運動方程式、熱伝導則、量子力学の基礎。

 この世界の住人が、魔法という安易な力に溺れた結果、思考の果てに捨て去ってしまった「世界の取扱説明書」だ。


「そんな古臭い本、今は誰も読まないわよ。時間をかけて数式を解くより、呪文一つで解決する方が早いもの」


「早いことが進化だと思っているなら、お前たちは退化した猿と同じだ」


 俺は窓の外に広がる、魔導の灯に照らされた街を指差した。


「お前たちは『なぜ火が出るのか』を考えなくなった。酸素の供給も燃焼の三要素も無視して、ただイメージだけで力を引き出している。それは文明の進歩じゃない。ただの横着だ。理屈を知らないから、お前は自分の力を制御できずに武器を自壊させ、素材の硬度に振り回されるんだ」


 俺はシエルから『紅蓮の炎剣』を奪うように受け取ると、作業台の上にあった微細研磨剤と、いくつかの化学薬品を取り出した。


 魔法は一切使わない。

 やるべきことは、刀身の分子配列を整え、摩擦係数をゼロに近づける「最適化」だ。

 魔法陣を書き直す必要はない。ただ、その陣が描かれている「物質」の状態を完璧に整えてやるだけでいい。


「……何をしているの? ただ磨いているだけにしか見えないけれど」


「黙って見てろ。お前たちが忘れた『科学』の力を見せてやる」


 三十分後。

 俺は、見た目こそ変わらないが、原子レベルで滑らかさを手に入れた剣をシエルに返した。


「全力を出してみろ。ここなら防壁がしっかりしているんだろ?」


「……この剣が壊れたら一生かけて弁償してもらうわよ。……いくわよ!」


 シエルが剣を構え、膨大なマナを流し込む。

 いつもなら、この時点で刀身が真っ赤に熱を持ち、彼女の腕に不快な振動が伝わるはずだった。

 ところが、今回は違った。


 音もなく。

 一閃された剣は、シエルの意志を完全にトレースし、魔力を一切のロスなく真空の刃へと変えた。

 標的の防壁が、まるで熱したナイフでバターを斬るように、音もなく両断される。


「……熱くない。それに、剣が私の体の一部になったみたい……。何をしたの、本当に」


「表面の摩擦抵抗を減らし、内部の結晶格子を整えただけだ。魔法は『奇跡』じゃない、『現象』なんだよ。適切な条件下では、適切な結果が出る。ただそれだけのことだ」


 シエルは震える手で、俺が手にしていた古い物理学の本を見つめた。

 彼女の中で、魔法という名のブラックボックスが暴かれ、新しい世界の理が芽吹いた瞬間だった。


「カイ……。あんたがいれば、私は本当に、誰も辿り着けなかった高みへ行ける……」


 シエルの瞳に、先ほどまでの疑念は一切なかった。

 そこにあるのは、未知の真理に触れた子供のような、純粋な眼差しだった。

 シエルは勢いよく俺の腕を掴むと、研究室の出口へと向かって歩き出した。


「決めたわ。あんたを絶対に離さない」


「おい、どこへ行く。俺は解体屋に戻るって……」


「そんなこと言わせないわ。今からシルバータワーの中枢へ向かうわよ。正式な顧問契約に必要なギルドの重鎮たちの承認を取りに行くわよ!」


 シエルの声が、廊下に響き渡る。

 俺の平穏な生活が、取り返しのつかない速度で崩れ去っていく。


「度し難いほど不合理だ……」


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