第7話 いなくなった主任
海辺に住んだことがある人は、その後内陸に引っ越したらしい。彼の生まれ故郷によく似た土地で、とても満足したらしい。結局、人は生まれ育った土地を基準とするのだろうか、そう主任が言っていた事を今でも思い出す。
ウミネコがやけに静かだった日、私は曇り空に何となく違和感を覚えていた。降るなら降っていて欲しい、そう思わせるいやらしい色の雲だった。アルバイトの期間だけ父から借りているギア付きの原付に乗りながら、まあ雨でも何とかなるだろうと思っていた。
原付を店の裏に止める途中、更に違和感が増した。いつもなら片付いているテントサイトで、未だにテントを張っている人が多い事だった。まあ雨の予報だからそういう判断をしたのかもしれない、そう思いながらタイムカードを切った時、違和感は確信に変わった。主任が来ていないのだ。店の裏に主任の車は無い、まあ今日に限って休みって事もあるだろうけど、とか思っていると、
「ああ、屋敷さんか」
店長は明らかに動揺していた。呑気に構えているのは私だけだった。
「ねえ、屋敷さんって主任のお家ってわかる?」
田中が心配そうに言った。
「えーっと……」
「悪いんだけど、見に行ってもらえないかな」
店長が申し訳なさそうに言った。
「私がですか?」
私はもうこの先を知りたくなかった。
「一応警察を呼んでいるんだ。うちの人間が行くからって言っちゃってて」
段取りがいいのは良いけど、よりによって私か。
「わかりました」
何事かあったのか、得体の知れない恐怖感が全身を伝う。
「……たぶん寝坊だと思うんだけどね」
店長がとぼけて言ったが、信用ならない。ただの寝坊で警察まで呼ぶのか。そう思いながら、荒れた海沿いの道を目いっぱい飛ばして主任の家を目指す。途中で何台も先行車を追い越す度に、ギアが四つでは足りないと思った。
主任の家に来たことはなかったが、店長の地図と赤色灯に導かれるまますんなり来れた。原付の音がするや否や、二人の警官から少し緩い視線が飛んできた。
「全く、寝坊で呼ばれたらこっちも困るんですわ。店長さんに言っておいてください」
優しい口調で年配の警官が言った。どうやら店長と知り合いの様だ。
「まあまあ」
若そうな警官がはきはきした声で言った。
「なんせ彼女は身寄りがないからね」
年配の警官が言う。
「聞いてなかったの?」
「えーっと、初めて聞きました」
年配の警官は続けて、
「私は彼女のお父さんと知り合いだったもんで。彼、炭鉱で事故に合って亡くなったんですよ。お母さんもその後精神を患って、最後は自殺しちゃったんです」
もうこれ以上不安になる話はやめて欲しい、そう表情に出ていたのだろう。
「おっと、少し喋りすぎちゃいましたね。ごめんなさい」
年配の警官は軽く頭を下げた。
「それで、あなたは?」
若そうな警官にはきはきした声で聞かれ、
「屋敷です。一緒の職場で働いています。店長から言われて」
「ああ、そうでしたか。では早速」
若そうな警官はインターホンを押した。
「おはようございます、佐藤さん、警察です。いらっしゃいますか」
近所に聞こえるくらい大きな声だったが、辺りに民家はない。
「参ったな、風が強くなってきましたね」
時折吹く海からの強い風が、耳に轟音を残す。
「この車は佐藤さんのですか?」
年配の警官に聞かれ、
「そうです」
「あなたが最後に佐藤さんとお会いしたのは?」
「一昨日です、職場で」
警官二人の顔色が徐々に曇り始めている事に気が付いた時、事態の大きさを嫌でもわからされた。
「合鍵とか持ってないですよね」
年配の警官は聞くだけ聞いて、答えを求めなかった。
「仕方ない、ちょっと回ってみますか」
年配の警官は家の裏に歩みを進めた。
「佐藤さん、警察です。いらっしゃいませんか」
若そうな警官が声のボリュームを上げる。そして私は不自然な事に気が付いてしまった。
「あ、あの……」
「どうしました」
「……車、鍵が付いてます」
キーが差しっぱなしという事実を、二人で確認する。そして運転席の窓から車のキーが付いたリングに別の鍵が付いている事を見つけてしまった。
「あれって、たぶん家の鍵、ですよね」
私は何も考えず、車のドアに手をかけた。やはり施錠されていなかった。
「……試してみましょうか」
若そうな警官は恐る恐る言った。
「佐藤さん、失礼しますね」
そう警官が言ってから、私は鍵を差し込んだ。かちゃりと音がして、玄関の戸がカラカラと開いた。二重玄関の内側は開け放たれていて、人気は感じない。
「佐藤さん、おはようございます」
「主任、おはようございます」
二人の呼びかけにも反応はない。年配の警官が遅れてやって来て、
「どうだい?」
「それが、留守みたいです」
私は考える間もなく、靴を脱いで上がった。
「失礼しますよ」
廊下の先には流し台が見える、もし誰かいるならこの距離なら絶対にわかる、それくらい近かった。それでも台所には誰もいなかった。
「あれ、主任いませんかー?」
「佐藤さん、いらっしゃいますかー」
男たちの大きな声が狭い家一杯に響く。それでも、返事はない。
「上も見て来ますね」
私は意気揚々と二階への階段を上る。あまり頑丈では無い様で一段一段上がる度に、きしきしと音がした。警官達がどうしようかと話している声が二階に筒抜けだった。
二階に上がると廊下が左右に分かれていた。何となく右に行くと、畳が六枚敷かれた部屋で、一切物が無いがほんのりイグサの香りがした気がした。じゃあと反対の部屋に向かうと、そこは寝室だった。
寝室も特に変な所はない。勝手にベッドで寝ていると思っていたから、布団が畳まれていた事に少し驚いたくらいだ。見えるところに物はなく、服やコスメなんかも押入れに綺麗に収納されていた。そう言えば、主任ってお化粧してたっけ。
「どうですかー」
下から野太い声がする。
「いないです」
階段を下りながら言った。
「そこの居間に、何かないですかね」
廊下に面した居間、襖はあれど全て開け放たれていて、仏壇と目が合う。
「灰皿、ですか」
綺麗なガラスで出来た灰皿が机の真ん中にある。
「これって彼女のですかね」
まるでさっきまで居たかの様に置かれているタバコのパッケージに、見覚えがあった。
「そうです」
「失踪するなら持って行くんじゃないかな」
年配の警官がぼそっと言った。
「いえいえ、ちょっと思っただけで」
「そうです、まだ決まった訳じゃないですから」
若そうな警官がなんとかフォローする。たぶん私の表情に出ていたのだろう。
「とりあえず、ここで待ちましょうか……」
言いかけて、
「あれって、何ですかね」
その場にいた全員が、ある一点を見て固まっていた。仏壇の隙間から不自然な物が見えるのだ。
「……佐藤さんって、何か事業とかやってましたっけ」
年配の警官が自分の記憶を確かめる様に言った。そこは我々のいる場所からは死角になっていて、
「私が、見ます」
若そうな警官が、ゆっくりと近づいて行く。さっきまで喋っていたから意味もないのだが、一歩一歩、ゆっくりと。
「…………ふう」
若そうな警官は少しだけ安堵の表情をして、警棒をしまった。ほっとした表情で年配の警官も近づくと、そこには金庫があった。現金を入れる金庫だ。
「なんですか、これ」
若そうな警官が不思議そうに言った。
「なんだろうな」
金庫には鍵がさしっぱなしだった。
「これは触らないほうがいいな。よし、応援よぶぞ」
年配の警官は肩の無線機を取り、事態を説明していた。
「屋敷さん、念のためお聞きしますが……」
屋敷はちょっと間をとってから、
「うちは振り込みです」
若そうな警官は、ですよねと言った表情で苦笑いを浮かべていた。
それから私は、店に戻った。たっぷり話を聞かれたから、もうお昼を過ぎていた。ちゃんと戻れるか不安だったが、看板に書いてある岬の先端を目指すだけだったので、道に迷う事はなかった。それよりも後続車が何台も私を追い抜いていく度に、ギアが四つでは足りないと心底思った。
店が見えると、不思議な気持ちになった。もしかしたら主任が居るんじゃないか、と。さっき追い抜いて行った一台に主任の車があるんじゃないかと。
我ながら不思議だった。どうしてこんなにも主任に入れ込んでいる自分がいるのか。あまり長い時間一緒にいた訳ではないのに、どうしてこんなに不安なのか。
レジには珍しく店長が立っていた。私の姿を見るなり、
「いやいや、面倒かけたね」
弱弱しく笑った。
「とりあえず話は後ね。レジお願い出来る?」
「あ、はい」
店長は慌ただしくバックヤードに向かい、商品をいくつも抱えて戻って来た。そうして、あっちにこっちにと狭い店内を歩き回っていた。私も落ち付いて、平静を装ってレジを打ち続けた。田中さんがいつも通りだったから、それを真似たのだ。
それでもいつもと違い終わりの時間になっても、田中はレジに立ち続けた。きっと私がまた表情に出ていたのだろう、
「気にしないで。今日はゆっくり休んでね」
いつも通りの田中さんだった。
「まだいたのか。今日はもう時間だろ」
店長だった。
「まあ、色々あるだろうけど、今日は帰りな」
二人とも私を心配してくれている、嫌でもわかる。
「あの、その……」
不思議だった。涙が出る訳でもなく、怒りでもなく、不思議な喪失感だった。
「こんばんは、お邪魔していいですかね」
聞き覚えのある様な、無い様な、どこかで聞いた声だった。
「屋敷さん、今日はどうも。お手数お掛けいたしました」
年配の警官は労う様に言った。
「あれ、早かったですね」
店長が言った。
「佐藤さんね、どこ行っちゃったんですかね」
「知りませんよ。何ならおれが知りたいです」
店長はいつもより砕けた口調だった。
「って訳だから、屋敷さんはまた明日ね」
ぼーっと突っ立っていた私を、田中さんが半ば強引に店の外へ追いやった。
店長と年配の警官は、シャッターの降りた屋外の軽食コーナーで何やら話していた。
「はっきり言うけど、上はあんたを疑うと思う」
店長は特に動じる事はなく、
「こんな田舎の土産物屋を疑って、どうしようって言うんだい」
軽く笑った。
「現金が置いてあった。……約二千万だ。しかも全部茶封筒に入っていた」
寝耳に水、青天の霹靂、何を並べても例えられない驚きだった。だから、
「へ、何だって?」
いつも以上に間抜けな声が出た。
「仏壇の横にでっかい金庫があったんだよ。しかも鍵が刺さったままだった」
私の元で働いている時、彼女からお金の匂いなど全くしなかった。
「いくらあいつが金使わないって言っても、その額はうちの給料じゃ貯まらないぞ」
「だろうよ。だから不思議なんだよ」
なるほど、それで私に疑いが向けられるのか。
「何かどこかで別の仕事してたんじゃないか?」
「あんた、知らないか?」
店長は一度目を閉じて、ゆっくりと思い出す。
「……わからない」
年配の警官は、
「なんだかな。……不思議でしょうがないな」
ため息をついて、ズボンのポケットからタバコを取り出して、
「いい加減タバコ、やめたらどうよ」
そう言いながら、店長もポケットからタバコを取り出す。
「そこにプロパンあるからな。ちょっと外の空気でも吸いに行くか」
晴れていたら太陽が海に沈むのを一番綺麗に見られる場所だが、今日は重たそうな鉛色の空が邪魔している。時折吹く冷たく強い風が二人の身体に直撃する。建物の裏にある小さな喫煙スペースは今にも飛ばされそうだ。
「あいつに男っていたのか」
年配の警官は大事そうにタバコを吸ってから言った。
「さあ、どうだか」
「とぼけんなよ、一緒に住んでたくせに」
「なんだよ、妬いてんのか」
小さく笑った。
「指紋取ったら、別の人間のが取れたんだ」
「誰だいそりゃあ」
「なんとなく、あの封筒の差出人とでも言おうか……」
「あいつに金を渡していた奴、ってことだな」
店長はふーっとタバコを吹かして、
「言っておくけど、おれの指紋は高いよ」
しっかりしたソファーのある部屋に、二人の刑事が訪ねていた。
「そこにあるのが彼女の勤務記録です。必要ならもっと前の物もありますよ」
店長はいつも通りの口調で言った。
「お借りする事は出来ますか?」
真面目そうな刑事が言った。
「ええ、大丈夫ですけど。結構長い間持っていくでしょう?」
じゃあと言って、店長はノートをプリンターにセットした。どうやら店長の方が一枚上手の様だ。
「正直いつまでかは……」
「毎度お手間かけて申し訳ないです」
オールバックの刑事が本当に申し訳なさそうに言った。
「いえ、いつも世話になってますから。これくらいは全然」
コピーを取りながら店長は言った。
「こういう仕事しているとね、よくあるんですよ」
部屋をきょろきょろ見回している真面目そうな刑事に言った。灰皿一杯にリトルシガーの吸い殻が溜まっている事を見逃さなかった。
「それにしても、あいつは本当に金に困ってなかったんですね」
「と言うと?」
真面目そうな刑事が尋ねる。
「いやね、この間来てくれた時もお金には困ってないとか言ってて。冗談だと思ってましたよ」
「へえ、若いのに随分欲がないんですね」
オールバックの刑事は少し笑いながら言った。
「それにしてもこの間は自殺で、今度は失踪。これでもお取り潰しにならないんですから、警察の皆さんには頭が上がりませんよ」
店長の声は陽気そのものだ。
「職業に貴賎なし、だからな」
オールバックの刑事は真面目そうな刑事の背中を軽く叩いた。
「私もお話した方がいいんでしょうか。いつでも伺いますよ」
オールバックの刑事は笑って、
「ああ、それなら……」
一気に空気が変わった。
「一応聞くんですけど、彼女の行方とか、知らないですよね」
まるで冷たく鋭い刃が喉元に当てられている、そんな声だった。
「私が教えて欲しいですよ」
店長のからりと乾いた笑い声が響いて、
「必要なら金庫にあった茶封筒、全部確認してみますか」
柔らかな眼差し、しかしその目の奥には真っ赤な炎が見えた。
「残念ながら、店長さんにはアリバイがありますから」
オールバックの刑事は笑いながらいった。こんな事言っていいのか、そんな顔で真面目な刑事は先輩を見ていた。
「その代わりと言ったらあれですが、うちの人間が来たらサービスしてくださいよ」
「ええ、もちろんです。でも制服での入店はご遠慮しておりますので」
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