第2話 狂熱と嫉妬

 季節が二度ほど巡る間に、世界は変貌していた。

 少なくとも、山岸勝利が覗き見るモニターの中の世界――そして、それと地続きになり始めた現実世界においては。

​『アストラル・ヴァンガード』は、単なるゲームという枠を超え、一種の社会現象と化していた。

 テレビをつければ、ゴールデンタイムに有名タレントがチームを組んでエイリアンを撃ちまくるCMが流れる。ネットニュースは連日、同時接続者数の記録更新を報じ、書店の雑誌コーナーは攻略本とファンブックで埋め尽くされた。

 国策としてのバックアップは本気だった。

 だが、勝利の神経を最も逆撫でしたのは、ゲームそのものの人気ではない。

 SNSに溢れかえる、ある特定の種族たちの「勝利宣言」だった。

​『今月の給与明細キター! マジで手取り80万あるんだけどwww』

『公務員宿舎(タワマン)からの夜景。負け組のアンチたち、息してる?』

『新しい仕事道具(ゲーミングPC)支給された。総額150万だって。税金あざーす』

​ タイムラインを流れる画像。

 通帳の数字、高層階からの夜景、高級腕時計、そして霜降りのステーキ肉。

 投稿しているアカウントの過去ログを辿れば、数ヶ月前までは「親がウザい」「死にたい」「ハロワ行くふりしてパチンコ」などと書き込んでいた連中だ。

 勝利と同じ、社会の底辺。日の当たらない場所で苔のように生きていたはずの「こちら側」の人間たち。

 それが今や、「特別国家公務員」という印籠を掲げ、英雄のように振る舞っている。

​「ふざけんな……ふざけんなよ!」

​ ドン!

 勝利は拳で机を叩きつけた。飲みかけのエナジードリンクが揺れ、少しだけ中身がこぼれる。

 爪を噛む癖が再発していた。指先がささくれ立ち、血が滲んでいる。

​「あいつ……『キルレート0.8』の雑魚だったくせに……なんであいつが選ばれて、俺が……!」

​ 嫉妬。

 ドロドロとした黒い感情が、胃の腑から逆流してくる。

 だが、その強烈な不快感こそが、勝利の背中を蹴り上げる燃料となった。

 あいつらに出来て、俺に出来ないはずがない。

 俺には時間がある。誰よりも暇な時間だけは、無限にあるんだ。

​ 勝利はヘッドセットを乱暴に被り直した。

 遮音性の高いイヤーパッドが、親の立てる生活音や、カラスの鳴き声といった「現実」を遮断してくれる。

 目の前に広がるのは、美しい荒野。

 そして、ガラスに映る自分よりも遥かに愛おしい、銀髪の美少女アバター。

​「行くぞ……今日こそ、ランクを上げる」

​ 勝利の生活は、極限まで削ぎ落とされた。

 睡眠時間は四時間。食事はモニターを見ながら片手で食べられるもののみ。風呂は三日に一度、親が寝静まった深夜にシャワーを浴びるだけ。

 全てを『アストラル・ヴァンガード』に捧げた。

​ このゲームの肝は、四人でチームを組んでボスを攻略する『討伐(レイド)モード』にある。

 日本人の国民性に合致したのか、野良マッチングでも連携を重視するプレイヤーが多かった。

 勝利は、その中でも異彩を放ち始めていた。

​『VICTORYさん、次どうします!? 弾切れです!』

「下がれ! 俺がタゲ(敵の注意)を取る。その間にリロードしろ!」

『了解! マジ助かります!』

​ ボイスチャットに乗る勝利の声は、もはや吃音混じりの弱々しいものではない。

 戦場における指揮官の、冷徹で的確な声だ。

 画面の中での彼は、神懸かっていた。

 敵の出現位置を記憶し、ボスの攻撃パターンを秒単位で予測する。味方の力量を瞬時に見抜き、最適なポジションを指示する。

​「右舷、ランチャー用意! 3、2、1……撃て!」

『うおおお! 決まったぁぁぁ!』

​ ボスが轟音と共に崩れ落ちる。

 画面に表示される『MISSION COMPLETE』の黄金の文字。

 そして、チャット欄に流れる賞賛の嵐。

​『さすがVICTORYさん、安定感ヤバすぎ』

『またキャリーしてもらっちゃった。フレンド申請いいですか?』

『神エイムごちそうさまです』

​ 脳内麻薬がドパドパと溢れ出す。

 現実の山岸勝利は、薄暗い部屋で異臭を放つデブのニートだ。だが、ここ(アストラル・ヴァンガード)では、誰もが認めるカリスマだった。

 可愛いキャラクターたちが、俺の指示で動く。

 顔も知らない誰かが、俺を必要としている。

 その全能感は、何物にも代えがたい「生のあかし」だった。

​ 半年が過ぎた。

 勝利の瞳の下には濃い隈ができ、肌は青白く病的な色を帯びていたが、その眼光だけはギラギラと異様な輝きを放っていた。

 ランキング更新の日。

 勝利は震える指でページを更新した。

​ 1位:……

 ・

 ・

 7位:VICTORY

​「入った……!」

​ 国内トップテン入り。数百万人がひしめくプレイヤーの中での一桁順位。

 トップランカー。

 その事実は、勝利の歪んだ自尊心をこれ以上ないほど満たした。

 俺は勝ったんだ。あいつらよりも、誰よりも。

​ その時だった。

 ピロン、という聞き慣れない通知音がヘッドセットに響いた。

 画面の中央に、金色の装飾で縁取られた封筒のアイコンがポップアップする。

 スパムや運営の定期連絡ではない。もっと厳かで、特別な気配を纏った通知。

​『【重要】特別国家公務員採用・一次選考通過および最終面接のご案内』

​ 心臓が早鐘を打つ。

 呼吸が止まった。

 恐る恐るカーソルを合わせ、開封する。

​『プレイヤー・VICTORY様。

 貴殿の卓越したプレイヤースキルと、多大なる貢献を評価し、国家プロジェクト『アストラル・ヴァンガード運営・防衛課』への所属をご提案いたします。

 つきましては、下記日程にて専任担当者がご自宅へ伺い――』

​ 文字が涙で滲んで読めない。

 年収一千万。国家公務員。人生の逆転。

 それは都市伝説でも詐欺でもなく、真実だったのだ。

​「う、うあ……あ……」

​ 勝利は椅子から転げ落ちるように立ち上がった。

 膝が笑っている。いや、全身が歓喜で震えていた。

 この半年間、ただひたすらにマウスを握り続けた日々が走馬灯のように駆け巡る。

 初めて、何かを成し遂げた。

 初めて、努力が報われた。

 あのSNSの連中のように、俺も光の当たる場所へ行けるのだ。

​ 勝利は、二十年近く外界との接触を拒み続けてきたドアノブに手を掛けた。

 いつもなら、トイレに行くときでさえ両親の気配がないか確認してから開けるその扉を、勢いよく押し開ける。

 廊下の冷たい空気が、熱った体に心地よかった。

​「母さん!! 父さん!!」

​ 一階の茶の間に向かって、勝利は叫んだ。

 喉が張り裂けそうなほどの大声だった。

​「来てくれ! 今すぐ! 話があるんだ!!」

​ 階段の下で、驚いたようにテレビの音が消える気配がした。

 勝利の頬を、熱い涙が伝い落ちる。

 それは、三十歳にして初めて流す、嬉し涙だったのかもしれない。

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2026年1月3日 10:00
2026年1月4日 10:00
2026年1月5日 10:00

アストラル・ヴァンガード 〜ニート逆転人生、そして・・・ 〜 サムライダイス @Samuraidice

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