アストラル・ヴァンガード 〜ニート逆転人生、そして・・・ 〜
サムライダイス
第1話 灰色の聖域
カーテンの隙間から、容赦のない午後の日差しが差し込んでいる。
舞い踊る埃がその光線の中でキラキラと輝いて見えるのが、山岸勝利(やまぎししょうり)には何よりも不愉快だった。
枕元で鳴り続けるスマートフォンのアラームを、肉厚な手で払いのける。液晶画面には『14:00』の文字。世間一般では昼下がりの穏やかな時間帯だが、勝利にとっては一日の始まりを告げる合図だ。
「……あー、クソ。うるせえな」
誰に聞かせるでもなく毒づき、重力に逆らうようにして上半身を起こす。
煎餅布団が湿っぽい音を立てた。Tシャツの下で、三段に折り重なった腹の肉が波打つ。
体重はとうに三桁の大台に乗っている。三十歳。無職。職歴なし。
この六畳一間の子供部屋が、勝利にとっての「世界」の全てだった。
ドンドンドン。
控えめだが、確かに意志を感じさせるノックの音が響く。
「勝利ちゃん、起きてる? ご飯、置いておくわね」
ドアの向こうから聞こえるのは、母の弱々しい声だ。七十を過ぎた老婆の声には、腫れ物に触るような慎重さと、決して捨てきれない息子への甘やかしが滲んでいる。
「……おう」
喉に絡んだ痰を切るような、低い唸り声で返す。
足音が廊下の奥へと消えていくのを確認してから、勝利はのそりと立ち上がった。膝が軋む音がする。
ドアを数センチだけ開け、廊下の床に置かれた盆を素早く室内に引きずり込む。
今日のメニューは、大盛りのチャーハンと唐揚げ、そして味噌汁。栄養バランスなど二の次で、ただ息子の好物だけを並べた食事だ。
「味が薄いんだよな、最近……」
冷めかけた唐揚げを口に放り込み、咀嚼しながらパソコンの電源を入れる。
ブォン、というファンの回転音が、唯一の友人の挨拶のように心地よい。
勝利はマウスを握り、いつもの巡回ルートへと旅立つ。まとめサイト、動画サイト、SNS。情報の奔流に身を任せている間だけは、自分がこの社会の最底辺にいるという現実を忘れられた。
勝利の両親は、一人息子の彼に「人生で勝利し続けるように」と『勝利』という名を付けた。
なんという皮肉だろうか。
裕福な家庭で甘やかされて育ち、わがまま放題に生きた結果が、この巨大な肉塊だ。小学校でのイジメをきっかけに逃げ帰り、それから二十年近く、この部屋に立てこもっている。
ふと、マウスホイールを回す手が止まった。
とあるまとめサイトのヘッドラインが、勝利の網膜を刺したのだ。
『【朗報】ニート大勝利! ゲームをするだけで年収1000万円ゲット!』
赤と黄色の毒々しいフォント。いかにも情弱を釣るための煽り文句だ。
「ハッ、くだらねえ。また詐欺広告かよ」
口の端を歪めて冷笑する。
どうせ中身は、怪しい情報商材への誘導か、ポイントサイトの宣伝だろう。普段なら「釣り乙」とコメントしてブラウザバックする場面だ。
だが、今の勝利の指は、吸い寄せられるようにそのリンクをクリックしていた。
年収、一千万。
その金額は、両親の年金に寄生し、将来への漠然とした不安を抱える勝利にとって、あまりにも甘美な響きだった。
表示された記事を読み進めるにつれ、勝利の眉間の皺が深くなっていく。
「……国がバックアップ? 世界に通用するゲーム?」
記事によれば、政府が「クールジャパン戦略」の起死回生の一手として、莫大な予算を投じて完全国産の次世代ゲームを開発したらしい。
ジャンルはFPS(一人称視点シューティング)。
舞台は宇宙の未開惑星。
「バカじゃねえの。FPSなんて日本じゃ流行らねえよ」
勝利は独り言を呟きながら、キーボードを叩いて掲示板に書き込んだ。
名無しさん:今さらFPSとかwww 欧米ならともかく日本じゃ過疎って終了だろ。運営無能すぎワロタ
すぐにレスがつく。
名無しさん:>>14 でも基本無料らしいぞ。課金要素はスキンだけだって
名無しさん:>>14 Pay to Win(課金した者が勝つ)じゃないのは評価できる
勝利は鼻を鳴らした。
確かに、課金で強さが決まるゲームは、金のないニートにとって地獄だ。プレイヤースキルのみが勝敗を決する仕様は、時間だけは売るほどある勝利にとって悪くない条件ではある。
だが、記事の最後にある一文が、あまりにも胡散臭かった。
『トッププレイヤーは定期的に選抜され、ゲームのサポート要員として国に雇用される。身分は“特別国家公務員”。報酬は年収1000万円〜』
「特別公務員だと? 嘘くせえ……あまりにも設定がガバガバすぎるだろ」
勝利は椅子に深く背中を預け、天井を見上げた。
カビの生えた天井のシミが、嘲笑う人の顔に見える。
両親は七十代後半。あと十年もすれば、確実に死ぬ。
そうなれば、この快適な「飼育小屋」は消滅する。遺産? 微々たるものだ。数年で食い潰して終わりだろう。
その先にあるのは、生活保護か、あるいは野垂れ死にか。
「……やるだけ、やってみるか」
呟きは、部屋の空気に溶けて消えた。
どうせ無料だ。失うものは何もない。暇つぶしにはなるだろう。
勝利は半ば諦め、半ば縋るような思いで、公式サイトの『ダウンロード』ボタンをクリックした。
***
インストールには数時間を要した。
その間、勝利は夕食のハンバーグを平らげ、トイレに行く以外はモニターの前から動かなかった。
画面に『インストール完了』の文字が表示される。
アイコンをダブルクリックすると、重厚なオーケストラのBGMと共に、タイトル画面が現れた。
『THE ASTRAL FRONTIER(アストラル・ヴァンガード)』
グラフィックは驚くほど美麗だった。
キャラクターメイキング画面に移る。
勝利が最も懸念していたのは、海外製ゲームにありがちな「濃すぎる」キャラクターデザインだったが、そこに並んでいたのは、日本のアニメ文化を正しく継承した美少女や美少年たちだった。
「へえ……わかってるじゃん」
勝利の顔が少しだけ緩む。
ゴリマッチョな男や、リアルすぎて可愛げのない女キャラではない。
勝利は迷わず、銀髪の美少年アバターを作成した。
現実の醜い自分とは正反対の、理想の姿。
ハンドルネームは『VICTORY』。
本名の「勝利」を英語にしただけだが、ゲームの中でくらいは勝ち続けたいという、彼の切実な祈りが込められていた。
チュートリアルが始まる。
操作性は悪くない。いや、むしろ良すぎるくらいだ。
マウスを動かした通りの場所に照準が吸い付く。走る、跳ぶ、撃つ。その挙動の一つ一つが、指先に快感として伝わってくる。
「……これ、マジで神ゲーか?」
勝利の瞳孔が開き始めた。
ゲームモードは二つ。『討伐(レイド)』と呼ばれる四人協力モードと、百人で殺し合う『生存(バトルロイヤル)』モード。
日本人は対人戦よりも協力プレイを好む傾向がある。勝利もその例に漏れず、まずは四人協力モードを選択した。
マッチングが開始される。
ヘッドセットから、他のプレイヤーの声が聞こえてきた。
『あ、よろしくお願いしまーす』
『うわ、初期装備かよ。大丈夫か?』
『まあまあ、無料だし初心者多いでしょ。よろしく!』
若い男たちの声だ。
普段の勝利なら、ボイスチャットなど即座に切るところだ。リアルタイムで他人と会話するなど、コミュ障の彼にはハードルが高すぎる。
だが、アバターという仮面を被っている今、不思議と恐怖心は薄かった。
「……よ、よろしく……お願いします」
絞り出した声は裏返っていたが、誰もそれを笑わなかった。
ゲームが始まる。
宇宙船のハッチが開き、未知の惑星の大地が広がる。
襲い来る異形のエイリアンたち。
勝利は無我夢中でマウスを振った。
反射神経。動体視力。空間把握能力。
学校の勉強や体育では何の役にも立たなかったそれらの能力が、この世界では「力」そのものだった。
迫りくる敵の頭部を正確に撃ち抜く。
仲間がピンチになれば、遠距離から援護射撃を加える。
『すげえ! VICTORYさん、今のヘッドショット見た!?』
『ナイスカバー! 助かったわ!』
賞賛の声。感謝の言葉。
脳内で何かが弾けた。
この二十年間、親以外から肯定されたことなど一度もなかった。
お前はダメだ、気持ち悪い、デブ、死ね。そんな言葉ばかりを投げつけられてきた人生だった。
それがどうだ。
今、この瞬間、俺は英雄だ。
「……右から二体、湧きます。俺が抑えます」
先ほどよりも、はっきりとした口調で勝利は言った。
『了解! 頼りになるなあ』
勝利の口元に、自然と笑みが浮かぶ。
暗く澱んだ部屋の中で、モニターの青白い光だけが、彼を祝福していた。
夜が明けるのも忘れ、勝利は戦場を駆け巡った。
トイレに行く時間すら惜しい。ペットボトルに直接用を足し、エナジードリンクで喉を潤し、ただひたすらにトリガーを引き続けた。
これが、破滅への入り口だとは知らずに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます