第4話 白百合騎士団は剣を置く

夜半、城の回廊に足音はなかった。

それでも、リュシエンヌは目を覚ました。


風の向きが違う。

草原の匂いに、微かな鉄の気配が混じっている。


「・・・来たわね」


寝台を離れ、灯りも点けずに外套を羽織る。

白百合騎士団に警鐘を鳴らすことはしなかった。

これは、兵で解くべき問題ではない。


中庭の影から、黒装束の男が現れた。

刃は抜かれていない。だが殺意は隠されていなかった。


「王妃リュシエンヌ」


その声は若い。

震えているが、怯えではない。


「私は――お前に殺されたローザ姫の弟だ」


その名に、リュシエンヌは一瞬だけ目を伏せた。火刑に処した令嬢のひとり。

国王に利用され、捨てられ、最後まで自分の意思を持てなかった女。


「姉は、おまえに殺された」

「ええ」


否定はしない。

剣にも手を伸ばさない。


男は唇を噛み、叫ぶ。


「なぜ! なぜ、あなただけがこうして平和に生きている!」

問いは正しかった。だからこそ、逃げなかった。


「平和だからよ」

リュシエンヌは静かに答える。


「私は剣を置いた。でも、責任は置いていないわ」


彼女は中庭を見渡す。

夜明け前の草原、灯りの残る家々、眠る民。


「あなたが私を殺せば、この地はまた揺れる。

 白百合は再び剣を抜く。血は連なり、終わりは遠のく」


男の腕が揺れた。


「それでも、姉は戻らない……」

「ええ。戻らない」


リュシエンヌは一歩、近づく。

無防備な距離まで。


「だから私は、王にもならなかった。英雄にもならない。

 私の罪は、私の名と一緒に、ここで朽ちるべきものだから」


沈黙。

やがて、短剣が地に落ちた。


男は泣かなかった。

ただ、深く頭を下げ、去っていった。


夜が明ける。


その朝、リュシエンヌは白百合騎士団を招集した。

甲冑を脱いだ彼らを前に、穏やかな声で告げる。


「騎士団は、軍に編入します。私兵は不要です」


ざわめきが走る。

「白百合の名は、盾として残します。だが、私の剣ではない」


誰も反論しなかった。彼らは理解していた。

この女が剣を振るうときは、すでに終わりが見えていると。


数年後。

白百合騎士団は歴史書の一章となり、

リュシエンヌは“良き領主”として語られるようになる。


英雄でも、怪物でもない。

ただ、選び続けた女として。


草原に白百合が咲く季節、

彼女はそれを見て、微笑む。


もう、血の色には見えなかった。


――白百合は、剣を置いたのだ。



それから幾十年が過ぎた。


白百合の領地は、王国の中でもっとも争いの少ない地として知られるようになる。

街道は安全で、税は重すぎず、領主の顔は遠いが、決断は速かった。


いつしか人々は、彼女をこう呼ぶ。


――白百合の領主

――剣を捨てた女王


酒場では、話は少し誇張される。

「白百合騎士団は千人いたらしい」

「いや、領主は剣一本で王都を落としたんだ」

「最後の夜、暗殺者を睨みつけただけで退けたとか」


史書は、もっと淡々としている。


“リュシエンヌ侯は、反乱後に私兵を解体し、

軍制度を整え、長く安定した統治を行った”


そこに、血も炎も書かれていない。


だが、古い兵士や年老いた農夫は、静かにこう言う。


「確かに、あの方は恐ろしい人だった」

「だがな・・・守ると決めたものから、目を逸らさなかった」


白百合の紋章は、やがて盾だけに刻まれるようになり、剣の意匠は消えた。


それでも、国に危機が訪れるたび、

人々は同じ言葉を口にする。


「白百合がまだ咲いていればいいのだが」


墓所は公にはされていない。

像も、英雄碑も建てられなかった。


それが、彼女の遺志だったからだ。


ただ春になると、領地の丘にだけ、

他より早く白百合が咲く場所があるという。


剣を持たぬ花。

踏まれれば折れるが、

二度と血の色には染まらぬ花。


それが、破壊者であり、守護者であり、

最後まで“選び続けた女”の名残だと――

人々は、そう語り継いでいる。

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追放王妃リュシエンヌ、彼の地で復讐の牙を研ぐ てつ @tone915

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