第4話-闇に祈れど
あんたのもとにこれが届くのは、ちょうどその新月の夜になるだろう。
あんたはまだ生きているだろうか。それとも、すべてが終わった後だろうか。
いや、そもそも俺は、本当にこの手紙を投函するんだろうか。
言わずにいられないが、決して届いてほしくない、そんな言葉だってある。
さっき俺は、らしくもない行動をとった。
夜空をじっと見上げたんだ。
普段下ばかり向いて歩いているのに。
夢は空に描くものじゃない、心の奥底で噛みしめるものだ、なんてかっこつけてるくせに。
今日は本来、細い三日月が出ているはずだったが、分厚い雲に隠れて見えなかった。まるで、新月の予行練習みたいな空だった。
月のない空ってのは広いもんだな。それに、暗い。
見つめすぎたせいか、空を覆う闇が、いつしか頭から俺をずぶずぶと飲み込む底なし沼のように思えた。
あれは原初の海、自分もそこに還るのだろうとあんたは書いたが、俺にはとてもそんな気分にはなれない。
俺にとって、あの暗がりは虚無だ。
あんたの覚悟も、悟りも、尊厳も、美も、そしてこの熱い気持ちも、すべてを飲み込み、何もなかったかのように静まり返るんだろう。
そう思ったら、いてもたってもいられなくなっちまって、気が付いたらいつもの便せんを広げてた。
たとえ届けられる先が病床ではなく、棺の中だったとしても、きっとあんたの魂を汚してしまう。それほどまでに残酷な物語をつづるつもりで。
俺が送りつづけていた手紙は、少なからずあんたの支えになっていたみたいだな。
当然かもしれない。このひと月というもの、俺の頭の中はあんたでいっぱいだった。
愛する者の死から異国へ逃げた男が、後悔と苦悩にまみれて与える言葉。死を目前にして戦いつづけるあんたを勇気づける美しい言葉。そういったものを、作家になったつもりで考えつづけたんだ。
そうさ。報酬のいいアルバイトだったから。
1通ごとに、約1か月分の生活費。この国で年甲斐もない夢を追いつづけている俺にとっては、ありがたすぎる額だ。
その分だけせいぜい誠意をもって、あんたの最期を彩ってやるつもりだったんだ。
言い訳にもならないが、こんなぺてんに手を出した経緯を書いておく。
思えば、友人に頼まれたのが最初だった。
切手を集めている息子のため、この国からの手紙をプレゼントしてやりたい、なんて話にほだされて、精一杯パパになりきって代筆した。実のところは不倫旅行のアリバイ作りだったらしいが、それは後で知ったことだ。
その後、どこで話が伝わったのか、間を置いてぽつぽつと話を持ちかけられるようになった。
DV夫から逃げ切るため、この国にいることにしたいという人妻。
留学の名目で親からふんだくった金をギャンブルでスッた大学生。
友人に海外在住と見栄を張ってしまった女。
最初は事の善悪を踏まえて判断しよう、なんて気持ちもあったはずだが、数をこなすうちにどこかへ消え失せた。
何のためにやっていたのかは、俺自身よくわからない。謝礼金のわりにかかる手間は大きく、小遣い稼ぎにしては効率が悪すぎる。
ただ単に、他者の言葉を指先に宿してみるのが楽しかったのかもしれないな。
しかし、そんなろくでもない俺からしても、死の手にガッチリと掴まれた女に恋人のふりをして手紙を送れ、などという罪深い話には乗りがたかった。
きっぱりと断ったし、あんたを見捨てた挙句にだまそうとしている非情を罵りもした。
だがあんたの恋人は口が巧いな。
同情なんて生煮えのものを愛と偽って差し出すよりは、完璧な虚構に閉じ込めて完璧に救ってやるほうがいい、なんて言いやがった。
本当に愛情がないのなら、金を払ってまで恋人をだましたりするものか、とも。
あげくのはてには「魂の安楽死」なんてキャッチコピーまで飛び出して、良心が迷子になったんだ。
どうなんだろうな。俺には今でもわからない。
1通につき1か月分の生活費、てのは、恋人を自分の人生から切り離し、その罪悪感を拭う手間賃として、高いのか安いのか。
その発想が優しいのか残酷なのか。
一番の殺し文句は、「舞台作家で演出家で役者なんだろ」だった。
「他の下手なペテン師に任せるよりは、お前の手で美しい夢を見せてやるのが一番だとは思わないか?」
そんなふうに焚きつけられたら、芸術家の端くれとしても、ケチな代書屋としても、手を伸ばさずにはいられなかったんだよ。
そこでノーと答えれば、俺の半生を自ら否定することになるからな。
俺の仕事は完璧だっただろ?
あんたの心理を計算した感動的なプロットに、恋人から聞き出した思い出話を混ぜ込み、キーワードを効果的に挿入し、時には動揺を演出して文字を震わせた。
あんたは面白いようにだまされたな。
新月は月の死じゃない、なんて、言いまわしだけがしゃれた当たり前の指摘にすら、劇的に引っかかりやがって。
あまりにも他愛なかったよ。
割り切ったはずなのに、子供をだましているような気がして、胸が痛くなった。
しかし、俺はそのうちに怖くなった。
あんたの言葉はあまりにも穏やかだったし、文字だって、余命いくばくもない病人のくせに端正なものだった。
これから死ぬ人間が、あんなにも思いやりに満ちた、静かな言葉をつづれるものなんだろうか?
人にこびへつらいながら心の中では舌を出す生活に、何年も浸ってきた俺にとって、あんたの慈愛はむしろ不気味に思えた。
何もかも見透かされているんじゃないか。
あんたは俺を許すために、だまされたふりをしているんじゃないか。
いやむしろ、自分の最期を美しく彩るために、俺の舞台装置や脚本を利用しているんじゃないか。
俺の作った虚構の世界は、あんたの作中作に過ぎないんじゃないか。
仕掛けるつもりが仕掛けられていたらどうしよう、と芸術家の端くれの半端なプライドがうずいた。
だから俺は、託されてもいないプレゼントを届けるという名目で、あんたのもとを訪れた。
そう、その体裁のためにとっさに買い求めたのが、あのオルゴールというわけだ。
それにしても、「夢をくれる人」か。
歌詞をより正しく引用するなら「夢をくれる人、砕く人」。
まさに、今の俺だ。
あの時見舞ったことを、今では後悔している。
あんたが眠ったままだったのは、お互いにとって幸いだった。
あんたはあんなにやつれた姿を知らない人間に見せたくなかっただろうし、俺だってきっとどんな顔をすればいいのかわからなかった。
あんた、飯が食えないのか?
たった数本の管に命を支えられて。
看護師さんが教えてくれたよ。手紙の返事を出すために、あんたがどれだけ力を振り絞っていたのか。
あんたはあんたで代筆を頼んでいたらしいな。
もちろんあんたの恋人のような理由じゃない。自分の衰弱を隠すために。
文面はすべてあんたが決めているとも聞いた。頭がぼうっとするからという理由で痛み止めを断り、筆記と口述を交互に使って下書きし、読みあげてもらって校正して。
俺が短編を書き上げるより多くの気力と労力を費やして、仕上げていたんだな。
あんたが書いたという下書きも見せてもらったよ。
消え入りそうなほどに筆圧が薄くて、小刻みに震えていて、大きさもまちまちで、読むというより解読しなくてはならないくらいだった。
でも、とりとめのない思考を、なんとか文字に押し込めて届けたい、というあんたの思いは強く伝わってきた。
悪いとは思ったが、あんたが新月の夜に窓辺に出すよう用意した、願い事の手紙も読ませてもらった。
こちらは代筆に頼らず、あんたの手で書かれていたな。素描のように頼りない線を何度も重ねたせいで、ひと文字ごとに厚みがあった。
塗り重ねられた思いが、なんとか文字の体裁を保っているような。
あんたが新月に託そうとした、静かな懇願が読み取れた。
「私の死が、あの人を縛りませんように」
それだけを書くのに、どれだけの覚悟と気力が必要だったんだ?
どうして、あんた自身のために願おうとしなかったんだ?
疲れきって眠っているはずの、あんたの寝顔は安らかだった。
依頼人に見せてもらった写真よりも、幸せそうで、満ち足りているようで、きれいだった。
俺が今までに惚れたどんな女優よりも、清らかで、無垢で、荘厳だった。
打ちのめされたよ。
舞台作家も演出家も役者も、舞台の外で本気で生きている命そのものには、圧倒されるしかないのだと気づかされた。
どうしようもなく、あんたに惹かれた。
なぜ、こんな手紙を書いていると思う?
あんたが偽りにくるまれて死んでいくのが、悔しかったからだ。
そもそも俺が作家気取りで作り上げた薄っぺらい嘘の世界だが、今はもうあんたを住まわせたくないんだ。
もし俺自身があんたの立場なら、あんなものに騙されて死んでいきたくない。どれだけ苦しんでもいい、本当のことを教えてほしいと願う。
だって、手紙の中にふんだんに散りばめられた「愛している」のすべてが嘘だ。
どこかにあるとするならば、きっと今俺の胸に渦巻いている悲鳴のような熱がそれなんだろう。
だが、それをあんたに手渡せば、他の舞台装置をすべて破壊することになる。
あんなにも美しく死に向かっている、あんたの心を廃墟にしてしまう。
ずっと、堂々巡りだ。
せめてあの空がもう少し明るかったら、耐えられたかもしれない。
でも、だめだ。あんたの命や誇りが消えゆく場所として、あそこは暗すぎる。
ああ、俺は、この手紙を投函してしまうんだろうか。
それとも、ちゃんと口をつぐんで、あんたに美しい最期を贈れるんだろうか。
なあ、俺は、どうすればいい?
あんたは、どちらを願うんだ?
闇に祈れど 海原望(うみはら・のぞむ) @Umihara_nozomu
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