第6話:蜜の味はどちらのものか

第6話:蜜の味はどちらのものか


「ピピピピ、ピピピピ!」


午後のティータイムを切り裂く、スカイプのけたたましい呼び出し音。私はわざとらしくゆっくりと、湯気の立つカップを置いてから通話ボタンを押した。


「……はい、美咲」


『ねえ、お母さん! 聞いてる? 今、カクヨムでとんでもないのが爆伸びしてるのよ』


美咲の声は、興奮で少し上擦っていた。いつもの「お母さんを守る聖女」の仮面が、好奇心という欲に負けて少し剥がれている。


「とんでもないのって……何が?」


『「閃輝」っていう新人の小説よ。タイトルは「毒親の不幸は蜜の味と毒子はのたまう」。……まあ、タイトルセンスは泥臭いし、お母さんみたいに古臭いけど、熱量だけは異常なの。一時間に十話投稿なんて、正気の沙汰じゃないわ。管理が全くできてない、ただの暴走特急よ』


私は、膝の上の拳をぎゅっと握りしめた。 その「暴走特急」を運転しているのが、今目の前で「はいはい」と頷いている、あなたの母親だとも知らずに。


『でもね、悔しいけど面白いの。特にこの「ドクコ」っていう悪役令嬢の書き込みが凄いのよ。三浦綾子の名言を引用しながら、母親をネチネチ追い詰めるシーンなんて、本当に実感がこもってて最高にムカつくの。これ、絶対にモデルがいるわね』


「……そう。美咲から見ても、そのドクコは『ムカつく』のね」


私は鏡に映る自分の顔を見た。そこには、不気味なほど穏やかな笑みが浮かんでいた。 蜜の味。 自分の人生を、自由を、尊厳を奪おうとしていた張本人が、自分をモデルにした「醜悪なキャラクター」を指して「最高にムカつく」と絶賛している。これ以上の喜劇がこの世にあるだろうか。


『そうよ! でも、この作者はダメ。才能はあるけど、やり方が素人。せっかくバズってるのに、投稿時間が深夜の三時とか四時とか、完全にADHDの過集中丸出しじゃない。私が付いてあげれば、もっと戦略的に売ってあげられるのに。……ああ、私が教えてあげたい! この「閃輝」に、正しい管理の仕方を叩き込んであげたいわ!』


美咲は、画面の向こうで本気で悔しそうに地団駄を踏んでいる。 「管理してあげたい」。その病的なまでの支配欲。 彼女は、目の前の母親を支配するだけでは飽き足らず、ネットの向こう側に現れた「自由な才能」さえも、自分の色に染め上げ、檻に閉じ込めようとしているのだ。


「……でも、その作者は、誰の指示も受けたくないから、そんな爆速で上げてるんじゃないかしら。誰にも邪魔されたくないから、深夜に書いているのかも」


『甘いわよ、お母さん。自由なんて、売れない作家の言い訳。管理されることこそが、作家にとっての最大の幸福なの。私がこうしてお母さんを管理してあげているみたいにね。……ねえ、聞いてる? お母さんの今日の予約投稿分、一文字だけ誤字があったから修正しておいたわよ。感謝してよね』


「ええ……。感謝しているわ、美咲」


私は、心からその言葉を口にした。 感謝している。 あなたが、私の小説をこれほどまでに読み込み、私の毒を「蜜」として啜ってくれていることに。 あなたが、自分自身の醜さに気づかぬまま、私の作品を「面白い」と認めてしまったことに。


『ふふ、お母さんの作品も、この「閃輝」くらいの勢いがあればいいんだけどね。ま、無理か。お母さんは私がいないと、アルファポリスの時みたいに自滅しちゃうんだから。……あ、また更新された! この作者、二時十五分にまた上げてる! 信じられない、また管理無視の暴走よ!』


美咲がスマホを握りしめ、新しいエピソードを読み始める気配が伝わってくる。 そこには、今さっき美咲が私に言ったばかりの台詞――「管理されることこそが幸福なの」――が、醜悪な魔女の台詞として書き込まれているというのに。


私は、スカイプを繋いだまま、左手でこっそりパソコンのキーボードを叩いた。 視界の端で、虹色の歯車がキラリと光る。 閃輝暗点の予兆。偏頭痛の予感。 だが、それはもう恐怖ではない。 私の脳を加速させる、終わりのない旋律だ。


(食べて、美咲。もっと食べて)


私が吐き出した毒を、あなたが「蜜」だと思って飲み干すたび、私の不満は最高のカタルシスへと昇華される。 あなたは私を管理しているつもりで、その実、私の物語という掌の上で踊らされている。


「蜜の味は、どちらのものかしらね……」


私は小さく、独り言を漏らした。


『え? 何か言った、お母さん?』


「いいえ。……次の話も、きっと面白いわよって言ったの」


私は、美咲の「管理の目」を盗んで、次の十話を一気に公開した。 一時間後に予約? そんなまどろっこしいことは、もう「間に合っています」。


夜の闇の中、私の指先は、娘の正義を粉々に砕くためのリズムを刻み続けていた。 復讐の蜜は、喉を焼くほどに甘かった。


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