第4話:アルファポリスの亡霊
第4話:アルファポリスの亡霊
「ピピピピ、ピピピピ!」
まただ。電源を入れ直したばかりのスピーカーが、私の逃げ場を塞ぐように鳴り響く。 無視を決め込もうとしたが、今度はスマホにLINEの連打。
『スカイプ切らないでよ。大事な話があるの。お母さんのためだって言ってるでしょ。アルファポリスの時のこと、もう忘れたの?』
その文字を見た瞬間、視界の端に、嫌な「光の破片」が走った。 ――閃輝暗点だ。 ギザギザとした虹色の歯車が、私の視界をじわじわと侵食していく。歯車は狂ったように回転しながら、現実の景色を飲み込み、狭窄させていく。 その暗い闇の奥から、六年前の「亡霊」が這い出してきた。
「……っ、ハァ、ハァ……」
アルファポリス。あの地獄の名前。 盗作疑惑という身に覚えのないレッテル。識字障害を抱え、文字が重なり、踊る世界で、私が一文字一文字、血を吐くような思いで紡ぎ上げた結晶。 六年という歳月をかけて積み上げた、千七百以上の作品群。 それが、たった一度の「強制退会」という処刑によって、一瞬で、すべて、この世から消された。 私の六年間。私の数百万の言葉。それが、運営の「削除」ボタン一つで、無に帰した。
『あ、やっと出た。お母さん、またそんな顔してるんでしょ? 震えてないで、私の話を聞きなよ』
スピーカーから、美咲の冷え切った、けれど「慈悲深い」声が漏れる。
『お母さんは自分が「識字障害」だってこと、もっと自覚したほうがいいよ。読むのが大変だからって、無意識にどこかで見たフレーズをパクっちゃうんだよ。アルファポリスの時だって、お母さんに悪気がなかったのは私が一番知ってる。でも、あの千七百作品が全部消えたのは「自業自得」なんだよ? 運営だってバカじゃないんだから。私が後始末してあげなかったら、お母さん今頃訴えられてたんだよ?』
「……違う。私は、盗作なんてしていない……」
私の声は、歯車の回転音にかき消されそうだった。 私は、読むのが遅い。 文字が重なり、意味を結ぶまでに気が遠くなるほどの時間がかかる。 だからこそ、私は「書く」ことに救いを見出した。自分の中にあるイメージを言葉という形に定着させる。他人の文章を盗む余裕なんて、どこにあるというのか。 他人の文章を読むこと自体が苦痛な私が、どうして他人の模倣などできるだろう。
『お母さん。感謝してよね。また千七百作品が消されるようなヘマをしないように、私がこうやって一話ずつ、投稿時間から中身まで管理して守ってあげてるんだから。私の言う通りに三話ずつ、決まった時間に上げなさい。それが、お母さんがこの世界で生き残る唯一の道なんだよ』
美咲の言葉が、部屋の重苦しい空気をさらに沈殿させる。 彼女は、私の「千七百作品削除」というトラウマを餌にして、私を一生この檻の中に閉じ込めておくつもりなのだ。「守る」という言葉で、私の尊厳を一本ずつ引き抜きながら。
……その時、視界を塞いでいた虹色の歯車が、カチリと音を立てて逆回転を始めた。
激しい偏頭痛がこめかみを突き抜ける。だが、その痛みと引き換えに、私の脳内にどす黒い過集中の渦が巻き起こった。
(……ああ、そうか。あなたは、私が壊れるのが怖いんじゃない。私が、あなたの管理から外れて、勝手に光り輝くのが怖いんだ)
私は、震える手でマウスを握った。 不思議と、もう震えは止まっていた。視界の狭窄さえも、今は目の前のキーボードだけに集中するための「恵み」に感じられる。
「……美咲。一つ、教えてあげる」
『なに? やっと感謝する気になった?』
「私はね、止まらないのよ。やめられないの。あなたはそれを『病気』だと言って、薬やルールで抑え込もうとしたけれど……。この『魔物』こそが、私に物語を書かせているの」
『何言ってるの……?』
「アルファポリスで私のすべてを奪われても、私は筆を折らなかった。……今度はね、この止まらない力、あなたに向けることにしたわ。消された千七百作品の恨み、全部ここに乗せてあげる」
私は、書きかけの『毒親の不幸は蜜の味と毒子はのたまう』の第4話の末尾に、今美咲が吐いた「自業自得の脅し」を、一字一句そのまま、悪役令嬢を追い詰める「毒子の呪詛」として打ち込んだ。
『お母さん!? 何、今のタイピングの音。まさか、また書いてるの!? やめてって言ってるでしょ!』
「さようなら、美咲。……これからは、私の中の魔物を、あなたを黙らせるための武器にするわ。あなたの声を聞くたびに、私の筆は速くなる。あなたの文句が、私の最高のエッセンスになるのよ」
私は、スカイプの通信を切断した。 アプリを消し、スマホを電源ごと落として、冷たい水の入ったコップの中に沈めた。 ポチャリ、という音とともに、娘の「正義」が溺死した。
静寂が訪れる。 いや、静寂ではない。脳内で、数千本の歯車が、今や私の思考を加速させるための「エンジン」として轟音を上げている。
私は、踊るようにキーボードを叩いた。 識字障害の私が、一文字一文字を「視覚」としてではなく、「執念」として捉え、原稿に叩きつけていく。
(千七百作品が消えた? いいわよ、また一から、今度はもっと毒の効いたやつを万単位で書き直してあげる)
盗作? 模倣? 笑わせないで。 こんなにも残酷で、こんなにも「私」という人間の怒りに満ちた言葉が、世界のどこにあるというのか。
第4話、投稿完了。 続いて第5話、第6話。 私はもう、人間業とは思えない速度で、物語の断崖を駆け抜けていく。
(蜜の味ね、美咲。あなたの絶望する顔を想像しながら書く小説は、最高に甘いわ)
深夜の暗闇の中、虹色の歯車を瞳に宿した私は、獣のように爛々と笑っていた。 亡霊は、今や私のしもべとなった。
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