第5話
倉庫街の薄暗い一室。
そこには、甘く芳醇な香りが充満していた。
「……できた」
俺は目の前の大釜から、湯気を立てるひとつの「塊」を取り出した。
それは、もはや泥臭い『黒岩芋』ではなかった。
皮は透き通るような琥珀色に変わり、中は黄金の輝きを放っている。
『虚空の魔導書』に記されていた古代錬金術式――【物質再構築(マテリアル・リビルド)】。
これを使って、黒岩芋に含まれる「苦味成分(毒素)」を「糖分」へと変換し、さらに「魔力」を添加して栄養価を爆発的に高めたのだ。
名付けて、『蜜月(ミツキ)芋』。
俺はスプーンでその端を掬い、口へと運んだ。
「――ッ!」
舌に乗せた瞬間、濃厚な甘みが口いっぱいに広がった。
噛む必要すらない。クリームのように滑らかに溶けていき、喉の奥に幸福感だけを残して消える。
それでいて、腹の底から魔力が湧き上がってくるような力強さがある。
「美味い……! これならいける!」
1周目の王宮料理人たちが作った最高級スイーツですら、この味には及ばないだろう。
これが元は家畜の餌だとは、誰も思うまい。
俺は大釜の中に山積みになった黄金の芋を見て、思わず笑みをこぼした。
この芋の原価は、ほぼタダ同然。
だが半年後の食糧難の時代には、この一個がダイヤモンドのような価値を持つことになる。
いや、今すぐに市場に出したとしても、貴族たちがこぞって買い求めるはずだ。
「まずは学院の購買部に卸して、口コミで広めるか。……金貨の音が聞こえてくるようだ」
俺が優雅なティータイムを楽しんでいる頃。
王都の地下に広がる「迷宮(ダンジョン)」では、予想通りの悲劇が起きていた。
◇
「くそっ、なんだこいつら! 硬すぎるぞ!」
勇者アレクの悲鳴が、薄暗い洞窟に響いた。
彼が握る愛剣――国宝級の業物であるはずの剣が、下級モンスターであるホブゴブリンの棍棒に弾かれ、火花を散らす。
「はぁ、はぁ……! アレク、早く倒して! 回復が追いつかないわ!」
後方では、聖女ミナが青ざめた顔で杖を振るっていた。
だが、その先端から放たれる光は豆電球のように弱々しい。
おかしい。こんなはずじゃなかった。
彼らが今日潜ったのは、推奨レベルが遥かに下の「初級エリア」だ。
いつもなら、アレクの一振りで魔物は消し飛び、ミナの祈りで傷は瞬時に癒え、鼻歌交じりで宝箱を回収していた場所だ。
だが今はどうだ。
たかがゴブリン数匹相手に、防戦一方になっている。
「ええいッ! 死ねぇぇッ!」
アレクが渾身の力で剣を叩きつける。
ゴブリンの棍棒ごと頭を叩き割る――その手応えを確信した瞬間だった。
パキィィィンッ!
乾いた音が響き、銀色の刃が宙を舞った。
「は……?」
アレクの手元に残ったのは、無惨に折れた剣の柄だけ。
ゴブリンがニヤリと笑い、棍棒を振り上げる。
「う、わあああああッ!?」
アレクは情けない悲鳴を上げ、尻餅をつきながら後退った。
間一髪、随伴していた騎士団のモブ兵士たちが盾を割り込ませ、ゴブリンを押し返す。
「て、撤退だ! 撤退するぞぉぉッ!」
勇者の号令とは思えないその言葉と共に、彼らは逃げるように迷宮を後にした。
◇
地上に戻ったアレクたちは、泥と脂汗にまみれ、見る影もなかった。
「ふざけんな! なんなんだよ今日の敵は! あんな強い個体、聞いてないぞ!」
アレクが折れた剣を地面に投げつける。
ミナも肩で息をしながら、乱れた髪を直す余裕すらない様子で座り込んだ。
「魔力切れ……信じられない。私、ヒールを3回しか使ってないのに……」
「俺の剣もだ! なんでゴブリンごときに折れるんだよ! これじゃ不良品掴まされたのと同じじゃねえか!」
二人は互いに顔を見合わせ、そして同時に、ある人物の名前を叫んだ。
「「ルイスのせいだッ!!」」
アレクが顔を真っ赤にして喚き散らす。
「あいつだ! あいつが昨日、俺の剣に細工をしやがったんだ! だから脆くなってたんだ!」
「そうよ、私にも変な呪いをかけたに違いないわ! だからこんなに体が重いんだもの!」
違う。
断じて違う。
アレクの剣が折れたのは、ルイスが毎日行っていた『分子修復』と『斬撃強化』のメンテナンスがなくなったからだ。ただの金属疲労だ。
ミナの魔力が切れたのは、ルイスが影で自分の魔力を『譲渡』して、彼女の燃費の悪さをカバーしていたのがなくなったからだ。
だが、無能な彼らはその事実に気づかない。
自分たちが「強い」のではなく、ルイスという土台の上に乗っていただけだということを、認めるわけにはいかないのだ。
「許さねえ……! あの落ちこぼれ、俺たちに恥をかかせやがって!」
「処刑よ! こんなの国家反逆罪だわ!」
逆恨みで殺気立つ二人。
だが、彼らはまだ知らない。
装備を直せるのはルイスだけだということ。
そして、そのルイスは今、とろけるような甘い芋を食べながら、次の「商売」の準備を着々と進めているということを。
本当の地獄は、装備を失ったここからが本番だということを、彼らはまだ理解していなかった。
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