第5話 新たなる英雄譚




 島津頼子は、完全に沈黙したファントムを見て動揺していた。

「どうしたの? まだ敵は残ってるのに……なんで止まるの!?」

 頼子は計器類を確認する。周囲にジャミング反応はない。敵の拘束攻撃でもない。なら、機体のトラブルか。

 不意に。

 頼子の脳裏に昼間の光景が鮮明に蘇った。

 確かにこの目で見た。瀬田紀彰の胸に埋め込まれた、無機質な金属の心臓を。

 ――浮かれて、脇に置いていた。〝NOAが来た〟って、それだけで。

 でも、冷静に考えれば当たり前だ。

 あんな身体で乗れる機体が——仮に軍が秘密裏に開発した新兵器があったとして、それが万全で完全なはずがない。

(もしかして……あの中で瀬田くんは……?)

 頼子は歯を食いしばり、沈黙する機体を睨んだ。

 そこで決定的な事実に気付いた。気付いてしまった。

 沈黙する灰色の機体と、同じく動かない自機の距離があまりにも近すぎる。

 これも冷静に考えたら異常な確率だ。だが原因はすぐに思い当たった。

 最初から、彼は頼子を中心に戦っていたのだ。

「……ッ、ふざけないでよ!」

 頼子は操縦桿に拳を叩きつけた。怒りの矛先ほこさきは敵ではない。誰かひとりでもない。

 未完成の機体で彼に出撃を強いたこの状況。

 そして守らせてしまった己の罪。

「あなたのいない世界で、私が生き残って何になるっていうの!」

 頼子の絶叫が虚しく響く。

 それは戦争の終わらない世界だ。エネミーなどというガラクタどもがわが者顔でのさばり、さながら人類の天敵とでも自称するかのように暴れまわっている。

 奴らに鉄槌を下せる、唯一の存在を。

 世界を、人類を救えるただひとつの希望を、こんな理不尽で失って良いわけがない。

「お願い起きて、目を覚まして!」

 頼子は嗚咽混じりに怒鳴った。いつの間にか顔面は涙にまみれている。

『警告。敵急速接近』

 無慈悲なアラート。ナンバーゼロを素通りし、動きの止まったファントムに敵が殺到する。

「やめて……!」

 動け、動いてよナンバーゼロ。あいつらの邪魔をして。彼を守って。祈っても、鉄屑スクラップと化した愛機はピクリとも反応しない。

 頼子は通信回線を開いた。全帯域、広域周波数。恥も外聞も捨てて絶叫する。

「誰か! お願い誰か、彼を助けて! あれは希望なの! この戦いを終わらせるたったひとつの!!」

 その悲痛な叫びは、戦場の空気をビリビリと震わせた。

「だから助けて! あの人を守って——うぐっ!」

 突如、至近距離で爆発があった。その爆風に煽られ機体が揺れる。

 同時に通信回線から声。

『生きてたか、島津!』

 すぐに応答があった。三年の葛城だった。彼が率いる班がいつの間にか、ナンバーゼロを守るように展開していた。

 頼子は怒鳴った。

「私じゃない、あの機体を守って下さい!」

 頼子の視界で、ファントムはすでに敵機の攻撃を受けていた。スパロー級の集中砲火だ。恐るべき頑丈さで今のところ原型を保っているが、いつまでも持つはずがない。

『無茶言うな、ここから牽制するだけで精一杯だ。それより脱出しろ島津!』

「脱出?」

『【緊急脱出機構】を使え。動力系が落ちても使えるはずだ』

 葛城は戦闘を続けながら、頼子に使い方をレクチャーする。

『射出方向はモニターに表示されてるはずだ。調整が効くから西南西仰角二十度でレバーを引け。避難シェルターが近い』

「で、でもここで逃げるわけには!」

『今のおまえに何ができる! ここに居られても邪魔だといってるんだ、早くしろ!』

 葛城の機体はいつの間にか、D級と格闘戦を繰り広げている。

 さすが三年のエース。見事な機動だった。積極的に撃破しにいく動きではなく、堅実な防御機動。葛城はただ、敵の目を自分に縫い付けるように飛び、班の僚機りょうきも、その“縫い目”が切れないよう周囲をほどいていく。

 頼子はレバーに手を掛け、葛藤かっとうした。おそらく葛城班がここにとどまっているのは自分がいるからだ。彼女が脱出に成功すれば、葛城班も退くかもしれない。ファントムを――瀬田紀彰を守る手段が無くなってしまう。

 だがそのうち、焦れたのだろう、葛城が相手取っていたD級がスッと引き、スパロー級の群れを盾に別目標に向かい始めた。

 狙いは当然ファントムだった。奴らもわかっているはずだ。あれを落とせば人間の軍など塵芥に等しいと。

 D級が大鎌を振り上げてファントムに迫る。直接攻撃で確実に破壊することにしたらしい。スパロー級の群れに阻まれ、葛城班の援護は届きそうにない。何か、何か手立ては――。

(――あるじゃない)

 頼子は握り込んだ【緊急脱出レバー】に力を込めた。

「葛城先輩。今日一日だけですがお世話になりました」

『縁起でもないことを言うな、俺はまだ死ぬ気はない。さあ行け!』

「はい。島津頼子、行きます!」

 頼子は照準をD級に合わせ、緊急脱出機構のレバーを引いた。

『島津ぅうううう!?』

 葛城の悲鳴を置き去りにし、コクピット・ブロックがとてつもない勢いで飛翔する。緊急脱出のための機構を質量弾に変え、頼子は最期の特攻を敢行した。

(お願い! 当たって!)

 その願いは天に届き、鋼鉄の塊がD級の頭部を直撃した。重量級の巨体が大きくのけぞり、体勢を崩す。

 コクピットの中で言語を絶する衝撃とともにエアバッグに包まれる頼子。歯を食いしばって、追加の要請を天に送る。

(生きて、瀬田くん!)

『馬鹿野郎! 何してんだ!』

 届くはずのない心の声に、返事があった。ノイズの混じった、けれど聞き間違うはずのない彼の声だ。

 頼子は込み上げてくる全ての想いを飲み込んで、この場で発すべき言葉を端的に述べた。

「無事なら早くあいつらをやっつけて!」

『っ……あと三十秒待て。癪だが、おまえのおかげで再起動が間に合いそうだ』

 紀彰の声には、呆れと焦燥、そして抑えきれぬ激情が混じっている。

『それまで絶対に死ぬなよ!』

 エアバッグに包まれ、外の状況はまったくわからない。だが紀彰の言葉は頼子にとって天啓だった。

 あと二十数秒、この怪物を守り切る。それが勝利の条件だ。

「誰か、その機体を守って下さい! あと数秒でもいい!」

 パラシュートを開いてふわふわと落下するコクピット・ブロックに、D級の大鎌が迫った。

「再起動するまで守りきれば我々の勝利です!」

 振り下ろされる。その一撃が、後方から飛んできた光の筋で焼き尽くされた。

 超長距離射撃。放ったのは友軍の機体だ。ウィンドスレイヤー・スナイパーカスタム。砲兵科の装備と連結して数人分の霊子砲を放つ特別機。

 そして。

「ハリーハリー! 全部隊、最優先地点プライオリティ・ワンに集結!」

 CICから横須賀全部隊に向け、燈守とうもり芹花せりかの檄が飛ぶ。

「作戦目標、未確認機体の防衛! 死にたくないなら、その眠り姫ねぼすけを死ぬ気で守りなさい!」

 芹花はまぶたをかっぴらき、マイクに噛みつくように叫ぶ。

 彼女の司令に呼応し、横須賀の残存兵力数十機が次々に馳せ参じる。

 ファントム周囲に展開していた敵軍はまたたく間に散り散りとなり、友軍の決死の防衛網によってさながら台風の目のようなエリアが生じた。

 その光景を、地下特秘格納庫から見守る紀彰は、胸に奇妙な違和感を感じていた。

「……アカリ、やれるか」

『大丈夫。恩返し、しなきゃ』

 紀彰はにぃ、と笑った。凶悪な笑顔。

「ああ。行くぞ。三、二、一、起動セットアップ!」

起動セットアップ!』

 紀彰とアカリの声が重なった。

 同時に、嵐の中心から、灰色の怪物が空高く舞い上がる。

「ファントム、各種数値正常オールグリーン。ノリアキ、指示!」

 アカリが吠える。紀彰は即座に指示を飛ばした。

操縦桿そうじゅうかん外側三十度回頭、トリガー!』

(操縦桿の……外側!)

 アカリは忠実に指示を実行、味方機に迫っていたスパロー級の群れが瞬時に消失した。

『微速、内側四十度、旋回……トリガー!』

 今度はこちらに向かってきていたD級が一撃で沈む。

「わかる! それなら私にもわかるよノリアキ!」

『はしゃぐな、次全速前進、高度下げ、正面真上! トリガー!』

 紀彰の指示に従って、ファントムが縦横無尽に空を舞う。そして毎秒ごとにエネミーが落ちていく。あれほど空を埋め尽くしていた群れが、霧が晴れるように消えていく。

「……なんて強さだ」

 頼子のコクピット・ブロックを何とか回収し、葛城は戦慄していた。確かにこれは人類の希望たり得る存在かもしれない。後輩の無茶な特攻も、このためだったと思えば説明はつく。


 一方、地上では白子の少年が笑顔とともにその光景を眺めていた。

「なあんだ、やればできるじゃない」

 ヒカルの周囲に、すでに他の人影はなかった。


 そしてCICでは、芹花が爪を噛みつつ戦況を眺めている。

「さっきと動きが全然違う。こんなものがあったのなら、最初から――」

 言いかけて、ひとつ深呼吸をする。

「いえ、解像度の低いたらればですね。実験機みたいなものっぽいですし」

 頭を掻きむしって、険しい顔でモニターを睨む。

「でも腹は立ちますよねえ。おかげでいったい何人死んだと……」

「まったく同感だな」

 すぐ側で声。芹花は目だけそちらを向けた。立っていたのは学徒会長・皆木みなぎ結弦ゆづる。ただし制服はボロボロでところどころ血が滲んでおり、割れた眼鏡から燃えるような赤い瞳が露出している。

「軍令部に具申する必要がありそうだ。この戦闘に勝てれば、だが」

「負ける確率は1%未満ですけどねぇ。そんなことして大丈夫なんですかぁ?」

「私の仕事は学徒を守ることだ。その障害となるのなら、なんであれ取り除く義務がある」

(この人は本気で言ってるからなぁ)

 芹花はふうとため息を吐き、内心とは別のことを口にした。

「皆木くんは、その前に医務室に行って下さぁい」


 戦況は一方的といってよかった。ファントムの縦横無尽の機動が敵の連携を引き裂き、横須賀学園機動科一同の練度の高い連携機動が孤立したエネミーを着実に各個撃破する。

 その流れがさながら無限機関のごとく繰り返され、もはや体勢は決していた。

『見ろ! 敵が引いていくぞ!』

 誰かの歓喜の声。それは希望的観測ではなく事実だった。横須賀学園基地を急襲したレベル4のエネミー群は、総数を半数以下にまで減らし、海の向こうへ敗走していった。

『やったぞ、勝った!』

『生き残ったんだ、俺たち!』

 あちこちで勝どきが上がった。

 そしてどこからともなく、【灰色の未確認機グレイゴースト】を称える声が、大きなうねりとなって通信回線を、そして学園各施設内を揺らした。

 専用回線しか開いていないファントムのコクピットからでも、笑顔で手を振る人々の様子は良く見えた。

「なんか……」

 不意にアカリの全身がぶるっと震えた。生まれて初めて経験する感覚だった。

『長居は無用だ。帰投しろ』

 通信回線からは羽柴実の淡々とした声。

 アカリはふと、上空に向けて野太い霊子のビームを放った。そのパフォーマンスに沸き立つ学徒たちを横目に、アカリは笑顔で言った。

「了解。ファントム帰投します!」

 夕焼けに染まる空に、灰色の機体が飛び去っていく。

 頼子はようやくコクピット・ブロックから引きずり出されて、その背中を見送っていた。強い衝撃とGにさらされ、まだ真っ直ぐ立つのには難がある。が、頼子は気合で背筋を伸ばし、びしっと敬礼した。

「これからよ。やっと人類の反撃が始まるんだ。……でもやっぱり、ちょっと悔しいかな」

 言葉とは裏腹に、表情は満面の笑みだった。


   ◇


 一方、地下特秘格納庫。

 瀬田紀彰は素直に勝利を喜べずにいた。原因は島津頼子である。

「特秘任務なんですよね? おれの素性、思いっきりバレましたが……」

 恐る恐る鬼教官――もとい羽柴実を見やると、意外なことに頬がつり上がっている。あくどい笑み、といえばそうなのだろうが。どちらかといえば悪戯っぽい笑み、とも言えた。

「彼女のことなら心配はいらん。貴様とファントムの関係について言いふらしたりはせんよ」

「なぜそんなことがわかるんです?」

「貴様よりは女心に詳しい」

 羽柴はそういったきり、言葉を続けなかった。紀彰は肩を竦めるしかない。

「そういうもんですかね」

 ともあれ、初陣は無事に終えた。

 だが問題は山積みだ。今回は基地が戦場となったから、あのような手段が取れた。いつでもどこでも紀彰の音声指示だけでファントムを動かせるわけではない。

 そしてファントムは実験機だ。まだまだ欠陥はあるだろう。

 何よりも大きな問題は、敵がどこから来たか、だ。これまで太平洋側は絶対に安全だと言われていた。エネミーは海で活動できないと思われていたからだ。

 その前提がくつがえり、奴らがこれ以後も海から攻めてくるのなら、列島沿岸全てが危険区域となりかねない。少なくとも横須賀学園基地には来た。また来る可能性は大いにある。

「余計なことを考えるな、学徒兵」

 不意に羽柴の鋭い声が飛ぶ。

「貴様の仕事は『あれ』の面倒を見ることだ。小難しい話は大人に任せておけ」

 ちょうど、ハンガー内の大型エレベーターに乗って、ファントムが帰還してきたところだった。

「……できればアカリの面倒も大人に見てほしいんですけどね」

「適材適所という言葉がある。あれには貴様が適任だ」

「それも女心ってやつですか?」

 羽柴はにっと笑った。

「わかってきたな、少年。さあ行け、労いの言葉でもかけてやれ」

 コクピットのハッチが開き、中から白子の少女が這い出してきた。

「……あ、ノリアキ」

 タラップを降りてきたアカリは、汗で前髪を額に張り付かせ、少しふらついていた。無理もない。初陣であれだけの機動をやってのけた。立っているだけでも不思議なくらいだ。

 紀彰は歩み寄り、しかし数歩手前で足を止めた。なんと声をかけるべきか、まだまだ十六歳の少年の内には言葉がない。

 迷う紀彰を見上げ、アカリがおずおずと口を開いた。

「どう? ……わたし、ちゃんとできてた?」

 アメジスト色の瞳が不安げに揺れた。

 ドクン、と。

 紀彰の胸の奥が、強く跳ねた気がした。そこにあるのは一定の電気信号でしか動かない、無機質な機械の心臓だ。早鐘を打つこともなければ、高鳴ることもない。ただ血液を循環させるだけのポンプ。

 なのに今、それはあるはずのない痛みできしんだ。胸が詰まるような、締め付けられるような。かつてそうであった場所が、熱を持ったように疼いている。

(ああ、そうか)

 生きて帰ってきてくれた。ただそれだけのことが、こんなにも嬉しい。

「ああ……本当によく頑張ったな」

 紀彰は短く、けれど力強く言った。

 アカリが目を丸くする。それから、花がほころぶようにふにゃりと破顔した。

「……えへへ」

 少女のはにかんだ笑みが、殺伐とした格納庫に温かな色を灯す。その笑顔を守れたこと。紀彰にとってそれこそが、この日一番の戦果だった。


――第一章:横須賀急襲戦 終――

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