第3話 崩壊する聖域《サンクチュアリ》




『緊急警報。敵性反応接近中』

 赤く染まる地下格納庫に、けたたましいサイレンが鳴り響いている。

 紀彰は通信回線をハックし、地上の様子を観察していた。そこには空を埋め尽くすエネミーの大群。横須賀までは目と鼻の先だ。

「太平洋側から? 伊豆と南房総の防空網を抜いてきたってのか」

 紀彰は動揺どうようした。前代未聞だ。だが現実に起こっている。傍受ぼうじゅする通信からは「全滅」だの「応答なし」だの不穏ふおんな単語ばかりが聞こえてくる。

駐留ちゅうりゅうしてる警備兵だけじゃ焼け石に水だ。たぶん機動科の連中も――」

『総員、第一種戦闘配置。繰り返す、総員――』

「――やっぱり出るか。入学式初日に第一種かよ、クソ!」

 思わずデスクを叩く。非常事態のアナウンスが、コンクリートの壁を震わせていた。

「戦闘になるの?」

 コードΦ――アカリの声。驚くほど平坦な声だった。だが表情はやはりどこか硬い。

「……なるだろうな。でも安心しろ、きっとおまえの出番は――」

「問題ない」

 紀彰の声をさえぎって、アカリは言った。

「もともとミノリに拾われた命。とっくに覚悟はできてる」

 やはり淡々たんたんと、声だけは淡々とアカリは言った。

 だらりと下げたパイロットスーツの指先は、それでもかすかに震えていた。


   ◇


『これは訓練ではない。繰り返す――』

 無機質なアナウンスが、桜の舞う学園の空気を凍りつかせていた。

 入学式を終え、新入生歓迎の華やかな空気に包まれていたキャンパスが一変する。

『総員、第一種戦闘配置。繰り返す、総員、第一種戦闘配置。これは訓練ではない。本州南岸ラインに、レベル4のエネミー群を確認――』

「おい、冗談だろ? 今日は入学式だぞ!?」

「歓迎イベントのサプライズか何かか?」

「違う、先輩たちが本気で走ってる!」

 式典用の制服を着崩した上級生たちが、血相を変えてハンガーへと走っていく。

 その波に逆らうように、島津頼子は連絡通路の窓辺に立ち、滑走路を見下ろしていた。

「……入学初日に実戦か」

 震えはなかった。むしろ、さっきのシミュレータ戦の興奮がまだ指先に残っていた。入学初日の実力テストで、三年のエース・葛城を破った記憶。

 今の自分なら、実戦でも通用するかもしれない。

 だがまだ正式な搭乗機体もIDもない頼子では、出撃は叶わない。

 ガラスの向こう側で、カタパルトから次々に、上級生の乗る機体が射出されていく。

「頼みます先輩方……でも、すぐに私が追い抜きますから」

 頼子は緊張の面持ちで、戦況モニターのあるロビーへと急いだ。


   ◇


 薄明かりの中、羽柴実は通信機に向かっていた。

「あれを出撃させる? 正気ですか」

 不快感もあらわな声。通信の向こうからはしゃがれた声が帰ってくる。

『仕方なかろう。横須賀が落ちたら元も子もない』

「一ヶ月というお約束です」

『それは温情だよ、きみ』

 また別の声。呆れたような口調だ。

『この状況では四の五の言ってられん。速やかに出撃させたまえ』

 再び、しゃがれた声が告げた。最終通牒さいごつうちょう

 羽柴はギリリと奥歯を噛み締め、握り込んだ右拳に左手を置いた。

「了解しました。【VX―04】、ただちに出撃させます」

 羽柴は通信を切り、即座にきびすを返した。


   ◇


 ロビーの大型モニターに映し出されたのは、圧倒的な数の暴力だった。

『くそっ、なんだコイツら! どこからこんなに……!』

『散開しろ! 新入生の宿舎に近づけるな!』

 通信機から、葛城の焦った声が響く。空を埋め尽くすエネミー――【スパロー級】の群れ。飛行型エネミーの中では最弱とされる存在だが、数が膨大だ。

 火力も侮れない。まるで祝砲代わりに絶望をバラまくように、恐ろしく正確な連携で先輩たちを追い詰めていく。

『うあぁぁぁぁ! だ、駄目だ、シールドが持たな――』

 プツン。

 一機の味方の識別信号シグナルが、ノイズと共に消失ロストした。

 今朝、入学式で校歌を歌っていた時には想像もしなかった「死」が、現実となって突きつけられる。

「え……?」

 頼子の喉が鳴る。

 死んだ? 先輩が?

 ついさっき、私に「なかなかやるな」と笑ってくれた人が?

『ひるむな! 防衛ラインを下げるな! 新入生を守れ!』

 葛城の絶叫が響く。

 頼子の胸を焼けるような恥辱と焦燥しょうそうが貫いた。

 守られる? 私が?

 私の方が強いのに!?


   ◇


 地下特秘格納庫。

「出撃準備だ、いそげ」

 羽柴の言葉に、紀彰はしばし唖然あぜんとした。アカリは平然とドリンクのストローをすすっている。

「……正気ですか? こいつの状態は知ってるでしょう」

「ああ、私は正気だ。どのみちここは保たん、私も貴様も、そいつもな」

「援軍は――」

「軍の主力は日本海側だ、間に合うと思うか」

「だからってロクに調整もないまま――」

「出撃だ、瀬田」

 羽柴はもう一度告げた。

「ほかに選択肢はない。急げ、まだ命があるうちに」

 紀彰は目を閉じて深呼吸し、それから言った。

「十分……いや五分だけ時間を下さい」


   ◇


「どうしてですか! 私も出れます!」

 整備ハンガーの喧騒けんそうの中、頼子は整備班長に噛み付かんばかりの勢いで叫んでいた。まだ真新しい、プレスの効いた制服がすすで汚れるのも構わずに。

「あそこには先輩たちしかいないんでしょう!? 数が足りてないのは見ればわかります! 私を出してください!」

「馬鹿野郎! 入学初日の一年に貸す機体なんぞあるわけねえだろ!」

 整備班長が怒鳴り返す。その目は血走っていた。

「お前らのIDカード、まだ正規登録も済んでねえんだぞ!」

「だったら書き換えてください! 私、さっき模擬戦で葛城先輩にも勝ったんです!」

「シミュレータと実戦は違う! 実機訓練もしてないヒヨッ子が出たって邪魔なだけだ、避難シェルターへ行け!」

 突き飛ばされ、頼子は尻餅しりもちをついた。周りを見渡せば、運び込まれてくる損傷機体。数時間前まで「ようこそ」と笑っていた先輩が、血まみれでストレッチャーに乗せられていく。

(違う……)

 頼子は拳を握りしめ、立ち上がった。

(私は守られるためにここに来たんじゃない……戦うためにきたのよ!)

 ズゥゥゥゥゥン……!

 その時、今までで一番大きな振動が格納庫を襲った。天井から粉塵ふんじんが、桜の花びらのようにパラパラと落ちてくる。

「な、なんだ!?」

「着弾確認! 第三防衛壁、突破されました!」

 悲鳴のようなアナウンス。晴れやかな入学式の日が、人生最後の日となるかもしれない。

「……行かなきゃ」

 頼子は走り出した。避難シェルターではない。

 さっきまで、入学式の壇上横に展示されていた機体。あれならまだ無傷のはずだ。

「終わらせない。私の学園生活はまだ始まってない!」

 歯を食いしばり、頼子は展示機のハンガーに向かって懸命に駆けた。

 だが。

「そこまでだ、新入生」

 ゲートを潜ろうとした頼子の背に、冷徹れいてつな声が浴びせられた。

 振り返ると、そこには腕章わんしょうを巻いた一人の男子生徒が立っていた。学徒会長、皆木結弦である。

「か、会長……」

「避難命令が出ているはずだ。君の居場所はここじゃない」

「でも!」

 頼子はゲートの向こう、スポットライトに照らされた蒼碧の機体を指差した。

「先輩たちが死にかけてるのに、あの機体だけ無傷で飾っておくつもりですか!?」

「あれは昨年までわが校に所属していた男の専用機だ。調整がピーキーすぎて、三年のエース連中ですら音を上げたじゃじゃ馬だよ」

「私なら乗れます!」

 頼子は皆木の目を真っ直ぐに見据みすえた。

 その瞳に怯えは一切ない。あるのは渇望かつぼうか。勝利、もしくは戦闘そのものへの。

「今日の模擬戦、私のデータを見てくれたはずです。私ならきっと乗りこなしてみせます!」

 皆木はわずかに眉を動かした。

 頭上では、爆撃の振動が止むことなく続いている。戦力は壊滅的。予備機もない。このままでは、あと十分で格納庫の隔壁かくへきが破られる。

 皆木は静かに息を吐き、ふところからマスターキーを取り出した。手の中で、金属の冷たさを確かめるように強く握りしめる。

「……確かに、このままではいけない」

 ピッと電子音が鳴り、ゲートが開く。

「十分だ。それ以上は機体も君の身体も保たない。それでも行くかい?」

「当然です!」

 頼子は制服のスカートをひるがえし、タラップを駆け上がった。

 コクピットに滑り込むと、しん、とした空気が頼子を迎えた。オイルと鉄の臭気が充満する外とは違う、工業製品特有の「新品」の匂い。

給霊接続パワーリンク、OK。島津頼子、【ナンバーゼロ】、起動セットアップ!」

 火が入る。頼子の霊圧パルスに呼応し機体が振動する。シートから伝わるその感覚が、頼子の五感をませていく。

(凄い……これが実機の手応え)

 不意に全身がぶるっと震えた。思わず頬が上がる。

 その高揚こうようのまま、頼子は通信回線を開いた。

管制塔タワー、カタパルト接続! 強制射出でお願いします!」

『あなたは……新入生!? 許可できません、そこから降りなさい!』

『出したまえ、責任は私が持つ』

『皆木会長!? ――ああもう、どうなっても知りませんよ!』

 ドンッ! 背中を蹴飛ばされたようなGと共に、蒼い流星が大空へと解き放たれた。


「……くそっ、振り切れない!」

 上空では、葛城の機体が三機のエネミーに背後を取られていた。回避機動は限界。ロックオンアラートが死の宣告のように鳴り響く。

(終わったか……!)

 葛城が目を閉じた、その瞬間。

 蒼い閃光が、葛城の機体をかすめて疾走しっそうした。

 ズドン!!

 葛城を狙っていたエネミーが、何が起きたのかもわからぬまま爆散する。

「な……ナンバーゼロだと? 誰が乗ってる!?」

『お待たせしました、先輩!』

 通信機から聞こえてきたのは、入学したばかりの少女の、底抜けに明るい声だった。

「島津!? 馬鹿野郎、お前なんでここに!」

『下がっていてください。あとは私が!』

 ナンバーゼロが舞う。それは戦闘機動と呼ぶにはあまりに優雅ゆうがで、あまりに鋭かった。

(来る。〇・二秒後、左斜め下――)

(弾がそこを通る。だから、踏み込む)

 敵の弾幕を、紙一重かみひとえ――数センチの間隔かんかくですり抜けていく。

(感じる、肌に刺さる殺気。近寄る気配……後ろにも目がある感じ)

 シミュレータの時には感じなかった、奇妙な高揚感。死と隣り合わせのヒリつく重圧。

 それが頼子の眠っていた才能を無理やり開花させていた。

 思考よりも先に、四肢が正解を弾き出す。

「遅い」

 頼子はペダルを踏み込み、操縦桿を軽く倒す。

 スラスターが唸りを上げ、敵の機動をあざ笑うかのように背後へと回り込む。

『バカな……直撃コースだったはずだぞ!?』

『速すぎる、捕捉ほそくできない!』

 味方の驚嘆が、頼子には遠かった。

(速すぎる……これが?)

 スパロー級が必死にアフターバーナーを吹かし、回避行動をとる。だが、覚醒した頼子の目には、それがスローモーションのように見えていた。

「それで全力……?」

 ズガガガガッ!

 ナンバーゼロのセミオート連弾が、敵のコアを次々に貫いていく。

 爆炎の中を突き抜けながら、頼子は吠えた。

「もっと速く動いてよ! 彼は――NOAの世界は、もっと速かったはず!」

 撃墜スコアが跳ね上がる。五機、七機、十機……。

 いくら相手が最弱のスパロー級といえ、その殲滅せんめつ速度は異常だった。

『前に出過ぎだ、島津! 下がれ!』

 通信回線に葛城の怒号。頼子はようやく味方を振り返った。

 みな機体がボロボロで、かろうじて機動しているという状態だ。

「先輩たちは下がっててください! 私が全部片付けますから!」

『馬鹿野郎! 深追いするな、罠だぞ!』

「ご心配なく! 今日はとても調子が良いんです!」

 頼子は通信を切る勢いで叫んだ。

 罠だとしても。NOAならきっと――!

 ふと口の中に鉄の味がした。

(私の心臓はまだ動いている)

 頼子は無理やり頬を釣り上げた。

 蒼い機体が向かうのは、味方の援護範囲を飛び出し、敵の大群が待ち受ける戦場のさらに奥深く。

 一般に、死地と呼ばれる場所だった。


   ◇


 横須賀学園基地、中央作戦司令室(CIC)。

 怒号どごうと警告音が飛び交う喧騒けんそうのただ中で、そこだけ空気が凪いでいる場所があった。

「――右翼、第三防衛ライン崩壊。想定より十二秒早いですねぇ」

 指揮官席に座っているのは、戦術科三年の燈守とうもり芹花せりか

 あどけない童顔に、少し眠そうなタレ目。手元の端末でパズルゲームでもしていそうな「ぽややん」とした雰囲気だが、その口から紡がれる指示は氷のように冷たかった。

「C班は後退。D班を盾にして、その隙にE班が回り込んでください。D班の損耗そんもうは無視していいです」

「りょ、了解!」

 オペレーターが青ざめた顔で指示を飛ばす。

 芹花はふあ、と小さくあくびを噛み殺し、モニターの一点を指差した。

「あれ? この機体……誰が乗ってるんですかぁ?」

「報告! 機動科一年の島津頼子が予備機体ナンバーゼロで出撃! 命令違反です、直ちに帰投信号を――」

「あ、いいです。そのままで」

 芹花は間延びした口調で制止した。

「突出した機体がひとつあれば、敵のヘイトはそっちに向きますから。ほら、見てください」

 モニターの中で、頼子の機体が敵陣深くへ切り込んでいく。それに呼応して、防衛ラインを押し込んでいた敵群の一部が、頼子を潰そうと殺到した。

「おかげで本陣の再構築に百二十秒の猶予ゆうよが生まれました。……うん、オトリにはちょうどいいですね」

 芹花は淡々と、勝率計算のパラメータを修正していく。

 そこには学徒らを死地へ追いやる罪悪感など、微塵みじんも感じられない。あるのは「使える駒」か「使えない駒」か、それだけ。

「し、しかし、このままでは確実に撃墜されます!」

「そうですねぇ。あそこまで突っ込んだら、生存確率は二%ってところですか」

「報告! 【高機動型D級】三体が島津機に接近! 速度が段違いです!」

 芹花はぴくりと眉を動かした。

「あらら。いまので桁が下がっちゃいましたねぇ」

「で、では救援の部隊を――」

「ダメです。救援を出せば、ヘイトが散って本陣が割れます」

「………」

 絶句するオペレーターに、芹花はさらに追い打ちをかけるように告げる。

「いま救うのは合理的じゃない。全部隊に通達、今のうちに体勢を立て直して下さぁい」

「は、はい! 全部隊に告ぐ――!」

 芹花は頬杖ほおづえをつき、モニターの向こうで奮戦ふんせんするナンバーゼロへ、冷ややかな視線を送った。

「せいぜい頑張りなさい、新入生ルーキー。あなたが稼ぐその数分で、基地の勝率が一%上がりますから」


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