第2話 仮想空域の支配者
『戦闘終了。勝者:島津頼子』
電子音声と共に、シミュレータのハッチが開く。
ギャラリーとなっていた機動科の上級生たちから、感嘆のため息と、まばらな拍手が巻き起こった。
「参ったな。まさか一本取られるとは」
対戦相手の筐体から出てきたのは、機動科三年のエース――葛城だ。学内ランキング三位の実力者が、苦笑いを浮かべて頭をかいている。
「動きに迷いがない。教本通りの
「ありがとうございました」
島津頼子は短く礼をし、汗を拭った。
確かに勝った。三年生のトップランカー相手に、被弾率十五%未満での勝利。新入生としては異常な戦果だ。
だが、頼子の表情は晴れない。
(……遅い)
握りしめた拳を見る。
(反応が全然遅い。彼なら、今の局面でもっと鋭く踏み込めたはず)
「島津。おまえ、誰と戦ってるんだ?」
葛城の問いに、頼子は答えなかった。代わりに上級生の大男を正面から見据え、こう言った。
「先輩、まだまだ足りません」
「ん? 何がだ?」
「もう一本お願いします」
葛城は肩をすくめ、それからふっと笑った。随分と厄介で、そして頼もしい新入生だと。
◇
ポッドの液面が下がり、白く短い髪が透明な肌に張り付いていく。プシュー。減圧音とともに強化ガラスが開く。嗅ぎ慣れない薬品の匂いが鼻をつく。
長いまつ毛がほのかに揺れ、まぶたが開く。ぱちりとしたアメジストの瞳が、焦点のないまま虚空を切り取る。
息が詰まるほど硬質な輝き。それが自分に向けられる一歩手前で、紀彰はさっと視線をそらした。
ポッドの中の少女――【コード
「……誰?」
紀彰は舌打ちを堪えた。忌々しいことに声まで同じだ。
ひとつ深呼吸してから、紀彰は告げた。
「あー。瀬田紀彰だ。今日からおまえの教官をやることになった」
コードΦは無表情に、かたわらの羽柴実に視線を移す。
「聞いたとおりだ。これからはその少年がおまえの上官だ、コードΦ」
「ミノリはお役御免?」
「違うな、出世というやつだ」
「ふーん。おめでと」
少女は興味なさげに淡々と応じ、ポッドから起き上がって紀彰の正面に立った。
「少年に見えない」
「大きなお世話だ。フケ顔で悪かったな」
「違う、背丈がおっきいから」
コードΦは精一杯背伸びをしながら、己の頭頂から手のひらをスライドさせた。どうやら、背丈はヒカルのほうがやや上らしい。
「遊んでないで早く着替えろ、コードΦ。訓練の時間だ」
羽柴が苛立たしげに告げると、コードΦは紀彰の制服の袖をつまんで言った。
「わたしの上官はこの人」
「……は?」
「ミノリの心拍は不快。波形が乱れてるから」
コードΦは平然と言い放ち、紀彰を見上げた。
「その点、ノリアキはいい。心音が一定で落ち着く……死んだ魚みたい」
「死んだ魚は心臓止まってるだろ……」
紀彰が呆れてツッコミを入れると、コードΦはわずかに口角を上げた。どうやら、冗談を言う
「……準備してくれコードΦ。まずはシミュレータで、おまえの腕前を見たい」
コードΦはびしっと敬礼した。
「イエス、サー。コードΦはこれからシミュレータの準備をします」
更衣室だろうか。奥に引っ込んでいく少女の背を見つめつつ、紀彰はため息を吐いた。
「大丈夫なんですか、あれ?」
「大丈夫じゃないから貴様に頼んでいる。くれぐれもよろしく頼むぞ」
羽柴は吐き捨てた。紀彰は引きつった笑みを返すしかなかった。
軍の筐体は、一般のものより一回り――いや、三回りは大きかった。体感機構に凝った作りなのだろう。
乗り込んだコードΦが、監視モニターの中で手際よく起動シーケンスを踏んでいく。
「準備できたよ、ノリアキ!」
元気の良い通信が入る。電子マニュアルを確認しつつ、紀彰は言った。
「NGだ、コードΦ。【
「シミュレータだから
「省略がクセになるのが問題なんだ。実機でやったら胸が裂けるぞ」
「……ほんとに?」
「ほんとだ、二度と経験したくない。やり直せ、コードΦ」
ごくり、とコードΦは喉を鳴らした。
「……イエス、サー。コードΦは起動シーケンスをやり直します」
◇
『目標全消失。任務達成、【
電子音声が鳴り響くと同時に、シミュレータの画面に「作戦目標達成」の文字が踊った。敵機五体に対し、被弾ゼロ。タイムも学内レコードに迫る好成績だ。
「……ふう。これでいい?」
通信機から、退屈そうなコードΦの声が聞こえてくる。モニターの中で、彼女の操る機体は、教本のような待機姿勢をとっていた。
「悪くない。いや、上出来だ」
紀彰はコンソールに表示されたデータを指で弾いた。
「基本操作、索敵手順、出力配分……すべてが完璧だ。無駄がなさすぎるくらいだ」
『当然。わたしは過去の全エースパイロットの戦闘データを学習してる』
モニターの向こうで、コードΦが得意げに胸を張った。
紀彰は素早に感心していた。反応速度、判断力、どれをとっても新人離れしている。これなら、今すぐにでも前線に出せるレベルだろう。
「基本は出来てますね。しかも完成されてる。教官なんて必要ないんじゃありませんか?」
紀彰が振り返ると、羽柴教官は腕を組んだまま、冷ややかな視線をモニターに向けていた。
「……いや。ここからだ」
羽柴が身を乗り出し、外部コンソールの設定変更のキーを叩く。
「え?」
画面上の警告灯が一斉に赤く染まった。
『警告。出力レベル規定外。現在300%』
「いきなり出力300%? そんなに上げて大丈夫なんですか」
羽柴は鼻で笑い飛ばした。
「これでもまだヌルいくらいだ。こいつがファントムで全力を出せば、500%は下回らん」
その時、通信機からコードΦの悲鳴にも似た声が響いた。
『……出力制御がきかない! 勝手に上がる……!』
「無駄だコードΦ、今こちらで固定した。敵配置、【スパロー級】、数は二十。……見せてみろ、おまえの本当の性能を」
羽柴が無慈悲に告げる。シミュレータ内の空間に、無数のエネミーが出現した。
「くっ……! 数が増えたって、やることは同じ……!」
コードΦが操縦桿を倒す。だが――。
『きゃあっ!?』
画面の中の機体は、コードΦが操縦桿を戻すよりも早く、猛烈な速度で跳ねた。狙いは敵機だったはずだ。だが、機体は敵を通り越し、はるか後方のビルに激突して自壊した。
『速すぎる、目が追いつかない!』
紀彰は舌打ちした。
「目で追うな、予測しろ! 先読みして動かせ!」
『先読みなんて無理、そもそも思い通りに動かない!』
そこからは、惨劇だった。
出力300%の機体は、コードΦの操作を「過剰な入力」として拾ってしまう。旋回しようとすればコマのように回転。前に出ようとすれば瞬間的に加速し、止める間もなく壁に突き刺さる。
先程までの華麗なダンスは見る影もない。まるで暴れ馬に振り回される子供のようだった。
『止まらない……! わたしの言うことを聞けえええッ!』
ドゴォォォォン……! 本日五度目の爆散。
『任務失敗』の文字が、赤く点滅する。
「……ご覧の有様だ」
羽柴がつまらなそうに肩をすくめた。筐体の中からは、体感機構による乗り物酔いとショックでぐったりしたコードΦの呻き声が聞こえる。
「コードΦのスペックは最強だ。だが、それはあくまで理論値だ。やつの技能は通常の機動兵器のレベルで最適化されすぎている」
「……なるほど、よくわかりました」
紀彰は、画面の中で燻る機体の残骸を見つめた。
「一般の優良ドライバーをF1チャンプに仕立てるのが、おれの仕事ですか」
「理解が早くて助かる。期限は一ヶ月だ。それを過ぎれば――」
羽柴はいったん言葉を止め、自嘲するかのごとく首を振った。
「いや、何でもない。とにかく頼んだぞ」
羽柴はそう言い残し、足音高く部屋を出ていった。残されたのは、沈黙するシミュレータ室と、筐体から這い出してきたコードΦの、青ざめた顔だけだった。
「……うぇ、気持ち悪い……」
「最初の威勢はどこへいった」
「うるさい……あんな出力じゃ無理。機体が全然思い通りに動いてくれない」
紀彰は差し出した手を引っ込め、ため息混じりに頭をかいた。
「思い通りに動かないから機械っていうんだ。でも操作が的確ならちゃんと答えてくれる。精進だな」
「それなら、あなたがやってみるといい」
恨めしそうな目で、コードΦ。なかなかどうして。表情豊かな少女だ。紀彰は思わず笑った。
「ああ、そうだな。言葉で説明するのは難しい」
無造作にコードΦの横を通り過ぎ、開いたままのコクピットに足をかけた。
「……え?」
「どいてろ。百聞は一見にしかずだ」
紀彰は慣れた手付きでシートに滑り込み、ハッチを閉じた。久しぶりの感触。だが、体は配置を忘れていない。
「設定変更。機体出力、500%」
紀彰がインカム越しに告げると、外にいるコードΦが目を見開いた。
「……正気? 300でも制御不能だったのに、500なんて自殺行為」
「黙って見てろ。敵機設定、最大数。ランダム出現」
紀彰はコンソールのキーを叩き、スタート・シーケンスを強引に叩き込んだ。
『作戦行動開始』
電子音声が告げるのと同時、全周囲モニターが戦場へと切り替わる。目の前には、空を埋め尽くすエネミーの群れ。
(懐かしいな、この「軽さ」)
出力500%。
ジェネレータが唸り、コクピットが振動する。だが紀彰にとってこれは『暴れ馬』ではない。もっと無茶な出力の改造機を動かしたこともあるし、やり合ったこともある。
「――行くぞ」
瞬間。
コードΦの視界から、紀彰の機体が消えた。
「えっ……!?」
違う、消えたのではない。速すぎるのだ。初速からトップスピードへの到達時間がゼロに近い。まるで映像のフレームを「中抜き」したかのような挙動。
ドォォォォォン!!
初動の衝撃波が響いた時には、すでに敵機が三機、火の玉に変わっていた。
「な、なに……これ……?」
絶句。
モニターの機体は加速という概念を置き去りにし、戦場を
旋回というにはあまりに鋭角。制動というにはあまりに暴力的。
「八、九、十……え? 十五?」
カウントが追いつかない。閃光が奔るたびに、エネミーがゴミのように墜ちていく。それは戦闘ではなく
――いや。何かもっと別の、圧倒的な物理現象とでも呼ぶべきもの。
『目標全消失。任務達成、
アナウンスとともにスコアに表示された
二十九秒。
最大数――およそ五十機の敵をわずか三十秒以内に殲滅。被弾はゼロ。
速度がどうとか出力がどうとかいう問題じゃない。まさしく怪物の所業だった。
プシュー、と減圧音が響き、ハッチが開く。中から出てきた紀彰は、軽く首を鳴らした。
「ま、こんなもんだ。言葉で説明するより早かったろ?」
紀彰は事もなげに言うと、缶コーヒーのプルタブを開けた。
「……」
コードΦは言葉を失っていた。ポカンと口を開け、信じられないものを見る目で紀彰を見つめている。データベースの検索結果が、エラーを吐き続けているような顔だ。
「…………バグ」
「あん?」
「バグってる……人間じゃない……死んだ魚じゃなくて、
コードΦはふらふらと後ずさり、へたり込んだ。
「あんなの……教本に載ってない……」
その呟きを聞いて、紀彰は肩をすくめた。
「当たり前だ、教本通りじゃランクマッチで勝てん」
元王者はコーヒーを一気に飲み干し、空き缶をゴミ箱に投げ入れた。
「おまえの課題はそこだ、コードΦ。お手本通りの手順にこだわり過ぎる。いいか、戦闘ってのは思い通りにならなくて当然だ。そのたびに止まってちゃ話にならない」
「じゃあどうすればいいの?」
紀彰はニヤリと笑った。
「それをこれからみっちり叩き込んでやる。さあ、立てよコードΦ。休憩時間は終わりだ。せめてさっきのミッションはクリアしてみせろ。それまでは帰れんと思え」
「……わたしの住まいはここだけど」
がくり、と紀彰の肩が落ちた。
「そう言えばそうだった……つまりおれが帰れないってことじゃ……」
「ぷっ」
コードΦは吹き出し、紀彰の肩をばしばし叩きながらこういう。
「許可する。わたしがノリアキを追い抜いたあとも、ずっとここにいていい」
不意に目が合ってしまった。あのアメジスト色と。
そこにあったのはヒカルと同じ、活き活きとした笑顔だ。冷たい人型兵器などではなく、温かな血の通った人間。そんなことは最初からわかっていた。
紀彰はふと笑った。
「名前はないのか? コードΦ、とかじゃなくて」
「……ないけど?」
「そのままじゃ呼びづらい。アカリ、って呼んでいいか」
しん、としたハンガー内で、それはとてもハッキリと耳に届く。
「……アカリ。なんでその名前?」
「明かりが必要だろ。ここは少し暗いからな」
「ふぅん」
アカリはくるりと背を向け、小さく頷いて、もう一度だけ言い直す。
「……アカリ」
その時だった。
『緊急警報。敵性反応接近中』
けたたましいサイレンがハンガーに叩きつけられ、照明が赤に染まった。
白い少女はただ戸惑い。
少年は険しい顔で、灰色の機体を見上げていた。
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