第1話 ヒロインとスクラップ




『警告。ロックオン感知』

 ヘッドセット越しに響く軍規格の警告音が、鼓膜を突き抜け、脳髄のうずいを直接叩く。視界を埋め尽くすアラートの赤。全天周囲ぜんてんしゅういモニターに映る敵影は、コンマ数秒前までは確かに正面に捉えていたはずだった。

「チッ……!」

 島津しまづ頼子よりこは舌打ちと共に、汗ばんだ手で操縦桿そうじゅうかんを叩き込んだ。

 仮想現実バーチャルの戦場。彼女が駆る高機動機『ウィンドスレイヤー』は、ペダルを踏み込む足の動きに呼応して、機体を急旋回させる。だが遅い。そこにはもう何もいない。照準を合わせるどころか、一瞬でも視界に捉えるだけで至難の業だ。

「嘘でしょ、動きが止まらない……何なのコイツ!」

 スロットルレバーを押し込む左手が、疑似反動で痺れる。音声チャットから、味方の悲鳴が飛び込んでくる。

『おい嘘だろ、敵の増援「NOA」だ!』

『NOAだって!? あの不動のチャンプが、なんでこんなローカルなチーム戦にいるんだよ!?』

 絶望に染まる通信に、頼子は奥歯を噛みしめた。

「……舐めるな、私だってえええ!!」

 出力全開。狙うは敵機が切り返す瞬間。タイミングは完璧だった。

 しかし――黒い機体は、まるで重力を無視したかのような挙動で、頼子の攻撃を紙一重でかわしていた。

 すれ違いざま、視界がノイズに覆われる。

『敗北……』

 眼前のモニターに表示された二文字に、頼子は呆然と息を吐いた。プシュー、と油圧音と共に筐体きょうたいのハッチが開く。ゲームセンターの喧騒けんそうが戻ってくるが、頼子の耳には届かない。彼女はリザルト画面を睨みつけ、バン! と筐体を叩き、外に出た。

 人類の宿敵【エネミー】と戦うための主力、機動兵器A.M.H(Advanced Maneuver Harness)——通称【天羽衣アマノハゴロモ】。

 そのパイロットを育成・選抜するため、一般に開放された軍公認のシミュレータ・ゲームは、今日も多くのプレイヤーで賑わっている。

「納得いかない! 今のタイミングは完璧だったはず……!」

 ふと、隣の筐体に目が止まる。ちょうどハッチが開き、中から一人の、上背のある少年が出てきたからだ。

 ボサボサの髪。気だるげだが凶悪な四白眼しはくがん。手には飲み残しの缶コーヒー。少年はそれを一気に飲み干し、ノールックでゴミ箱に投げ入れた。そしてあくびを噛み殺しながら通路を歩き去っていく。

 開けっ放しのハッチから、筐体内部のメインモニターが視界に入った。そこには『戦果筆頭:NOA』の文字とともに信じ難いスコアの羅列られつ

「あいつが……NOA!?」

 頼子は慌てて後を追った。だがその背中はすでに人混みの向こうに埋もれてしまっていた。

 落胆してゲームセンターに戻ると、空いたままのハッチから再びモニターの表示に目がいく。映し出されていたのは、プレイ中一度もまともに捉えられなかった機体。

 それは旧式の低性能機「ファストウィンド」だった。出力も運動性能も「ウィンドスレイヤー」の半分程度しかない。つまり、頼子が負けたのはスピードではない。もっと別の――。

「ふざけないでよ……!」

 頼子は拳を握りしめ、モニターを睨みつけていた。


   ◇


 半年後、皇暦二六五二年。桜が舞う四月。

 ここは横須賀学園基地。

 全国八つの学園基地の頂点。最も高い倍率を突破してきた学徒たちが集う講堂こうどうで、新年度の入学式がおこなわれていた。

「諸君らは選ばれた。人類を守る盾となり、敵を穿つ矛となるために――」

 壇上でよどみなく演説するのは、学徒会長の皆木みなぎ結弦ゆづる

「五十年続く『エネミー』との戦闘で、我々は崖っぷちに立たされている。だが諸君らの志こそが――」

 その言葉に目を輝かせる【機動科】の列の中で、島津頼子は背筋を伸ばしていた。だが、その視線は壇上ではなく、隣の列――【整備科】の最後尾に釘付けだった。

 そこに「彼」を見つけたからだ。特徴的な凶相きょうそうで、ボサボサの髪。

「ふわぁ……」

 あろうことか、彼――瀬田せた紀彰のりあきは、この厳粛げんしゅくな空気の中で大あくびをしていた。いや、それどころか配布された式次第で紙飛行機を折っていた。

(あの折り方……先頭に重心を固めて何かに投げつけるつもりかしら。この入学式の最中に?)

 当然、頼子の不安は杞憂に終わった。紙飛行機はすぐに解体され、鶴に生まれ変わったからだ。その後さらに兜に折り直されたところで、見回りの教官に拳骨のうえ没収された。紙の兜は何ら防御力を発揮しなかったらしい。

 そうこうしているうちに式は終わった。頼子は待ちかねたように人波をかき分け、紀彰に詰め寄った。

「初めまして、瀬田紀彰くん。私の自己紹介は必要?」

 自販機でコーヒーを買おうとしていた紀彰は、面倒くさそうに振り返る。

「いいや。機動試験過去最高得点のスーパーエースさまが何の用だ?」

「単刀直入に聞くわ、〝NOA〟。どうしてあなたが整備科にいるの?」

 紀彰は軽く目を細めた。頼子にとっては十分な反応だ。

「誰かと間違ってないか?」

「誤魔化さないで」

 頼子は断じた。この顔を忘れるはずがない。缶コーヒーの銘柄まで一緒だ。

「もう一度聞くわ、NOA。オンラインの不動のチャンプが、どうして機動科じゃないの?」

 頼子の瞳には純粋な怒りと焦燥しょうそうがあった。追い続けてきた目標が、いつの間にか舞台を降りている。こんな馬鹿な話はない。

 対する紀彰は、プシュ、と缶のプルタブを開けて、平然と言い放つ。

「厳正な審査の結果だろ。おれには適性がなかった。文句があるなら学園側に言えよ」

「あなたに適性がない? そんなわけないじゃない!」

 食い下がろうとする頼子を制したのは、涼やかな声だった。

「探したよ島津くん。ちょっといいかな」

 学徒会長の皆木結弦だ。その一瞬の隙を見逃さず、紀彰は「じゃあな」と雑踏の中へ消えた。

「ちょっと……!」

「いまのは……友達かい?」

 皆木の問いに、頼子は紀彰が消えた方角を睨みつけたまま答えた。

「いいえ。ライバルです」


   ◇


 オイルと鉄の匂いがする実習室で、長身の女性教官が教壇に上がった。

「ようこそ、残りカス諸君」

 整備科一年甲組担任教官、羽柴はしばみのりは、開口一番そう言い放った。ざわつく教室内。だが羽柴の冷徹れいてつな視線が一巡すると、その場は凍りついたように静まり返った。

「まず諸君らがなぜここにいるか説明しておこう。機動科や【砲兵科】でないのは、霊力兵器に供給する【霊力リソース】が足りなかったからだ。【戦術科】でないのは思考力が足りないから、【歩兵科】でないのは体力もないからだ」

 羽柴教官の冷徹な声が実習室の隅々まで響き渡る。

「まさしく役立たずの残りカスというわけだ。だがそのおかげで、これから三年間は皇国臣民こうこくしんみんの血税で食っていけるぞ。まずはその幸運に感謝したまえ」

 ギシリ、と椅子の軋む音が散発さんぱつする。それきり、昼休みのチャイムが鳴るまで、実習室内で学徒の声はなかった。


 場所は変わって食堂だ。ふたりの整備科学徒が向かい合っている。

「役立たず、っていうがよ」

 山盛りの定食を頬張りながら、紀彰は言った。

「機動科やら砲兵科やらに回されたら、下手すりゃ初年度から前線送りなんだろ? 平和でいいと思うがな、整備科」

「ぼくらの世代はどうせ長生きできないからね。環境汚染やらホルモン異常やらで」

 向かいに座る少年、桐生きりゅうヒカルが穏やかに笑う。色素の抜けた白い肌と髪、その紫色の瞳。そして整った美貌。人目を引く要素に事欠かない。

「どうせなら華々しく戦って……ってのはあるんじゃない?」

「そんなもんかねえ」

 紀彰は興味なさそうに肉を飲み込む。

「なんだおまえ、食欲ないのか?」

「そういうわけじゃないんだけど……人が多いと落ち着かなくて」

「こんなガラガラなのにか?」

 紀彰は大げさに両手を広げた。

 賑わう学食の一角で、ふたりの周囲だけがぽっかりと空いている。さながら緩衝地帯かんしょうちたいだ。集まるのは好奇の視線だけで、席は埋まらない。

 不意にヒカルは吹き出した。

「……うん。紀彰って不思議だね」

「何が?」

「〝人間プラント計画〟のことは知ってるよね?」

「一時期騒がれてたからな。ワイドショーなんてそれ一色だったし」

「ぼくがその実験体だっていうのは?」

「きのう寮で話してたろ。さすがに忘れねえって」

 ヒカルは満面の笑みを浮かべた。はかなさと無邪気さが混ざったような、不思議な輝きがある。

「うん、やっぱり変わってるね」

「おまえほどじゃないと思うけどな」

「まあ見た目はね。それよりさ――」

 カツン、とローファーが床を叩いた。

「ご一緒してもいい?」

 ふたりの会話を遮ったのは、ピリッとした機動科の制服――島津頼子だ。両手を後手に組み、直立不動ちょくりつふどうで紀彰を見下ろしている。

「ぼくは構わないけど、紀彰は?」

「おれは嫌だね」

 拒絶を無視するように、頼子はヒカルに向かって丁寧にお辞儀をした。

「機動科一年の島津頼子です。あなたは?」

「過去最高得点!」

 ヒカルは弾かれたように立ち上がり、目を輝かせて手を差し出した。

「整備科一年甲組の桐生ヒカルです。よろしくね、島津さん!」

「え、ええ……」

 その勢いに押されつつ握手を交わす頼子。

「紀彰、島津さんと友だちなの? 羨ましいな」

「違う。こいつとは今日が初対面」

「初対面? 私はあなたを一日だって忘れたことない」

 平行線の会話に、ヒカルはおずおずと手を挙げた。

「えーと……ぼくってお邪魔?」

 席を動こうとしたヒカルの腕を、紀彰がガシッと掴む。

「邪魔じゃない。必要だ。ここにいろ」

「う、うん」

 顔を赤らめて座り直すヒカル。頼子は構わず紀彰の隣に腰を下ろした。

「入学試験の結果を調べたわ」

 そして一枚の紙切れを取り出す。

「【霊力】測定不可のため機動試験を省略。ありえない。どんな手を使って誤魔化したの?」

「言いがかりは――」

「やめて、島津さん」

 ヒカルの声色が急に低くなった。

「入学試験で不正? 重罪だ」

 紫の瞳が一瞬だけ周囲に向く。

「……そんな噂が立ったら、紀彰はどうなると思う? ここは人目が多すぎるよ」

 周囲の視線が集まる。頼子はわずかに目を泳がせた。

「ごめんなさい、私、そういうつもりじゃ……」

 項垂うなだれる頼子と、表情の消えたヒカル。ふたりを見比べ、紀彰は大きくため息を吐いた。

「説明してやるからついてこい。ここは目立つ」


   ◇


 校舎裏。コントラストの強い日陰の中。

 紀彰は無言でシャツの胸元をはだけた。

 そこには、心臓の上を走る、醜く焼け焦げたような巨大な傷跡があった。そしてその中央――。

「――ッ」

 頼子が息を飲む。

「ちょっとした事故でな。心臓が半分機械になってて、霊力機器に繋げない。霊力測定不可ってのはそういうことだ」

 影を境に、世界が切り離されたように音が消えた。ヒカルも頼子も、呼吸すら殺して固まっている。

 しばらくして、紀彰は沈黙を破るように付け加えた。

「つまりおれは壊れたバッテリーだ。実機ハーネスに乗れない身体なんだよ、乗りたくてもな」

 壊れたバッテリー。霊力兵器に動力を供給できない。そして耐慣性システムの保護を得られない。

 つまり【天羽衣A.M.H】では戦えない。絶対に。

「そんな……あなたほどのパイロットが」

「運命ってやつだな。そういうことだから諦め……」

 ボタンを留め直しつつ、項垂れる頼子の顔色を見て、紀彰はぎょっとした。血の気が失せた、この世の終わりでも見たような顔をしていたからだ。

「ま、まあ、シミュレータの相手ならいくらでもしてやるよ。暇な時なら」

 その声が届いたかどうかは分からない。頼子は震える拳を握りしめ、顔を上げた。

「私が、あなたの分まで戦う。見てて」

 それだけ言い残し、彼女は颯爽さっそうと去っていった。その背中は、先程よりも強く……いや、硬質に見えた。まるで、強く叩けば壊れそうな――。

 ゴンッ!!

「んぐっ、いったぁ!」

 角の向こうから、何かを強打したような音と、くぐもった悲鳴が聞こえてきた。

「あの子、大丈夫かな」

「聞かなかったことにしてやれ」

 紀彰は呆れたように肩をすくめ、ヒカルを見やった。いつの間にか、憂いを帯びた紫の瞳がまっすぐこちらを見つめていた。

「紀彰は?」

 紀彰は一瞬だけ息を呑み、それから笑って返した。

「気にすんな。人生いろいろあるもんだ」

 ひどく爽やかな笑みだった。だからヒカルも笑みを返した。

「そっか」

 とても可憐で、ごく乾いた笑みだった。


   ◇


 放課後。紀彰は指導室に呼び出されていた。

「入れ」

 重厚な扉を開けると、羽柴教官がモニターを見つめていた。画面には、破壊された市街地と、単機で暴れまわる機動兵器の映像が流れている。

『奴らを……止めろ……誰か……!』

 モニターから、ノイズ混じりの絶叫が漏れる。聞き覚えがある。血まみれの手で紀彰に操縦桿を託したパイロットの声。

 紀彰は目を伏せた。心臓が悲鳴を上げ、全身を焼かれるような痛みが走った。それでも操縦桿を握り続けた感触は、まだ手に残っている。

「正規の手順を省略して旧式の訓練機を起動。未確認の高機動型エネミー3体を単独で撃滅」

 羽柴は報告書を読み上げると、視線を移し、冷やかに紀彰を見据えた。

「驚異的な戦果だ。あの叢雲むらくも凪咲なぎさでもやるまいよ」

 ふと、羽柴の視線が落ちた。紀彰の胸元、おそらく服に隠された傷跡へと。

「そのせいで入学前にスクラップとは……本当にバカなことをしたな」

「恐縮です。お陰様で伝説の英雄よりは長生きできます」

「口の減らんやつだ。まあ、わが軍は逼迫している。貴様のようなスクラップでも遊ばせておくわけにはいかん」

 羽柴は立ち上がり、顎で奥の扉をしゃくった。

「ついてこい。貴様に見せたいものがある」


 地下深く、特秘格納庫。

 冷たい空気が支配する空間の中央に、巨大な水槽のようなポッドが鎮座ちんざしていた。

 中には一人の少女が眠っていた。色素の薄い髪、整った顔立ち。その容姿はクラスメートにして寮の同室、桐生ヒカルと瓜二つだった。

 紀彰はそれを見てしまったことを、ひどく後悔した。

「あれは【コードΦファイ】。人間プラント計画の唯一の成功例だ」

「……それで、あのA.M.Hは何です?」

 それはポッドの背後にそびえ立つ、灰色の巨塊きょかい。いくつもの照明が、その機体の全容を照らし出す。

 装甲は継ぎ目だらけで、まるで棺のように無口だった。紀彰の記憶にあるどの機体にも当てはまらない。

「特別機【VX―04ファントム】。あれ――コードΦにしか動かせん代物だよ」

 舌打ちを呑み込み、紀彰はかすれた声で言った。

「おれに何をしろと?」

「コードΦの霊力は規格外だが、操縦技術が素人同然だ。貴様が鍛えろ、使い物になるまでな。単位の融通はしてやる」

「嫌だと言ったら?」

「構わんよ」

 羽柴は事もなげに言った。

「あれが無様に死ぬだけだ」

 紀彰の視線が、ポッドの中の少女と、記憶の中のヒカルの笑顔を行き来する。

 胸の奥が疼く。喉が灼けるほど渇く。それでも今、自分にしかできないことがあるというなら。

 紀彰は顔を歪め、吐き捨てるように言った。

「やりますよ。クソッタレが」

 羽柴の頬がつり上がった。この女が初めて見せる笑顔だ。それはあまりに自然で、ゆえにとても凶々まがまがしかった。

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