パンスペルミアの宇宙枕(2)

 八禍本は、とっさに屈んだ。しばらく待ったが、爆風の衝撃はなかった。山頂からイソヒヨドリが四匹ほど舞っていた。またNHKを確認する。スタジオから、ゼリー人間が消えていた。なにも起こらなかったのか? いや――SNSのトレンドワードはゼリー人間やら文化爆弾やらで独占されているし、チャンネルを回せば、どこもNHKがジャックされた事件について報じている。

 八禍本は、降雲をベーコンで巻いて簡易的な邪道寿司を作りつつ、報道を確認した。ポケットのやけに多いアースカラーの多機能ジャケットを着た海外特派員たちが、風防カバー付きマイクをふりまわし、重要な情報をせしめてきた。カナダ放送協会、テレビ・ブラジル、ロシアの第1チャンネルもゼリー人間にジャックされていた。報復関税の議論をしていたアメリカのPBSニュースアワーも占拠された。共和党は左寄りの敵性エイリアンを公的資金で間接支援する放送局の予算削減を主張し、民主党は連邦政府の度重なる予算削減こそがセキュリティの劣化を招いたとやり返した。

 潜性パンスペルミア文化爆弾については……まばゆい白の閃光、それだけ。何が変化したのか判然としない。新情報はなかった。タマーラ・ワシリエワさんのゲストハウスから出てきた観光客は、配信用カメラを持つ指がかじかみ、ヤクート馬の刺身を食べるために屋内に戻った。八禍本透は朝食を終えた。流しに皿を運ぶ最中、キッチンにいた春原女子校の制服を着ている水色のゼリー人間に手をふった。

 ゼリー人間の彼女は、LED付きの巨大なソンブレロ・デ・チャロを頭に乗せて、常に虹色に光っていた。ありきたりな雑談を交わしつつ、ふたりで皿を洗う。

 皿洗いの最中、八禍本は、ふと辺りを見回してみた。別に寂しいというわけでもないが、この3LDKの家に一人ぼっちである。海洋機構に務める両親は、昨日から遠洋調査に行っているので、しばらく八禍本透は一人暮らしだ。皿洗いは自分だけでしなければならない。まあ、今後もひとりでこなせるだろう。朝食の準備同様、皿の片付けもやけに手際がよかった。

「そっちは大丈夫ですかい?」黒崎先輩が通話越しにいった。「爆発の影響は? ゼリー人間に襲われたりはしてませんか?」

「いいえ」八禍本がいった。「特に変わったことはありません」

「そのとおり」ソンブレロ姿のゼリー人間がいった。「この時点での八禍本さんは、まだ私の存在を認識できていません。印刷前ですからね」

「やっと三上先生が起きました」と黒崎先輩。「鳴海岳に行くって息巻いておりまして。こうなったら止められませんや。一緒に、あの爆心地の山を調べに行きましょう」

「そんなことになると思ってましたよ」

 八禍本透はスニーカーを履いた。ゼリー人間に靴べらを渡されて、笑顔で礼をいった。靴紐を結びながら八禍本は、やけに履きやすい靴だったなと思った。まるで、靴べらを使ってかかとを滑り込ませたように、しっくりと肌に馴染んだのである。

 八禍本が鳴海岳のハイキング・コース入口に辿りつくと、三上先生と黒崎先輩、そして速水傾城が待っていた。

「これで五人が揃ったな」三上先生がいった。

「五人?」

「一、二、三、四」最後にゼリー人間を指して、「五。あれ? 四人か」

「まだ寝ぼけてるんですか」

「ふうむ」三上先生は眉をこすり、半纏から出した羊羹を食べた。「これから、われわれはドクターペッパー道部の活動として、エイリアンの爆撃地帯を調査に向かう。不審なものが見つかったら――ええい」こめかみに当たるソンブレロを払いのけつつ、「すぐに報告だ」

 クヌギの樹冠が案内板に淡い影を投射している。山道に設置されたロープは苔むして、沢筋のざわめきが清かに鳴っていた。一同はハイキング・コースを登攀しはじめた。ソンブレロ姿のゼリー人間が、煙草サイズの円筒機器でモーツァルトを流しはじめたので、つられたドクターペッパー道部の一同は、〈夜の女王のアリア〉を高らかに熱唱しはじめた。歌い終えた頃には息もぜいぜいで、いったい誰がこんな馬鹿げた選曲を始めたのか、しばしぴりっとした議論になった。

 展望エリアまで辿りついたが、春原町はまるっきり長閑なものである。ソンブレロ姿のゼリー人間が自販機で買ってきたドクターペッパーを飲みながら、一同は異変を捜した。

「おやおや」黒崎先輩がみやった。

 二階建ての鉄筋コンクリートの天辺――半球状の木製ドームに亀裂があいていた。大正時代にドイツから輸入した、長焦点が目玉の屈折望遠鏡を設置していた春原天文台は、一時的には資料館として再利用されたが、現在は老朽にまかせて廃墟化している。開口部はコンパクトに入り組み、二階に繋がる外階段は、外壁に張り付く一階入口のコンクリート庇の上の固定はしごの真横に設置されている。

 一同は二階に踏み入り、順路沿いにトルコ石色の階段を登った。

 造船技師の手によるドーム屋根はヴァイキングのロングハウスのように堅実な造りだが、空から伸びる巨大な手に毟られたように破れていた。エレベーター状に昇降できる観測床(現在は固定済み)の中央に設置された望遠鏡が、不自然にへし折れている。ドームの穴、望遠鏡の破壊痕、そして観測床に散らばる残骸――直線軌道の終点に、パステルカラーの物体が落ちていた。

 三上先生が拾い上げる。

 綿状の中身が詰められた、ふわふわの膨らみだ。

 いくら観察してみても、それは枕のようだった。

 ドクターペッパー道部の部員たちは、またしてもドームの穴を見上げた。現場の痕跡からは、この枕が天から降ってきたように思える。その程度の状況証拠から、やや強引な帰納をすれば――この枕こそが、潜性パンスペルミア文化爆弾であるかもしれなかった。



 速水傾城は、枕の布地にある細い破れ目から、耳かき用アタッチメントにあたる水色シリコンの先端を差し入れた。イヤースコープのカメラ映像が、スマホに転送されてくる。枕の中身は、特に精密機器が詰まっている様子はない。『ポリエステル綿だと思います』AIのクォンタリアが、画像を解析した。『やっぱり、普通の枕に見えるんですけど』

「ありがとう、クォンタリア」速水がいった。「でも、普通の枕が宇宙から届くかな?」

「代引き詐欺じゃないかね」と三上先生。「消費者庁に連絡しておこう」

「普通の枕か調べるためには」黒崎先輩がいった。「やはり、寝心地を確かめるしかありませんやね」

 そういうわけで、宇宙枕が部室の炬燵のそばに置かれ、八禍本透が寝転んだ。

 四秒後、三上先生がきいた。「どうだ? 眠れたか?」

「どうやって返事すればいいんですか? 寝言ですか?」

「こう騒いじゃ眠れませんよ、先生」黒崎先輩がいった。「子守唄でも歌いましょう」

 ソンブレロ姿のゼリー人間が、煙草サイズの円筒機器でクイーンのアルバムを流しはじめたので、つられたドクターペッパー道部の一同は、〈ボヘミアン・ラプソディ〉を高らかに熱唱しはじめた。歌い終えた頃には息もぜいぜいで、いったい誰がこんな馬鹿げた選曲を始めたのか、しばしぴりっとした議論になった。

 その様子を聞きながら八禍本は、初めて部室にきた頃のことを思い出した。

 いまでは先輩たちは、芯から親切に――いや、どうかな……とにかく当人なりの愛情があるように見えるけれど、最初に会ったとき、八禍本は先輩たちが怖かったのだ。全体的に目元が食物繊維不足の墓荒らしみたいだし、言葉のひとつひとつに厳格な、託宣のような響きがあり、つまらない冗談をいえば見向きもされなくなりそうに思わせるところがあった。

「不安だったんですね」背後から声がした。懐かしい声である。「見知らぬ相手が怖いのは、当たり前のことだと思います。その気持ちを否定する必要はありません。先輩たちは、なにもあなたを遠ざけたいわけではなくて、不器用で真面目なだけだと思いますけど」

「でも」部室は水色のゼリーに満たされている。会話は息苦しく、言葉はぎこちなく、自分がつまらない人間に思えてくる。「そんなこと、結局、わからないし」

「だから、私がいるんじゃないですか」

「あなたは……?」

「私はピュモリ。ピュモリ星人のピュモリ」ゼリー人間がいった。ソンブレロに設置された虹色のLEDが、高速で回転しはじめた。「虚数次元に暮らしている、しがない情報生命体です。そして、あなたがこれから投射して、自分の次元に――自分の人生に、印刷する者です」

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