パンスペルミアの宇宙枕(1)
八禍本透は、琺瑯材のミルクパンで湯を沸かしている合間に、冷蔵庫の耐熱ガラスボウルに入れてあったブロッコリーとアボカドのサラダを小皿に移し替え、ベーコンと卵を炒めはじめた。お湯が湧いたら小袋を振って加薬を端に寄せ、しじみのインスタント味噌汁を作る。鉄分の摂りすぎはむしろ肝臓に負担になるという説も聞くけれど、どちらかというと味で選んでいるのだ。
IH炊雲器が予約通り、午前5時30分に鳴った。
電子音アレンジされたドビュッシーの「月の光」である。
炊雲器は各メーカーがダイアモンド・チタンコートやカーボン材の削り出しといった、カルト化したオーディオ偏執狂のような人智を越えた意匠惨憺で覇を競っているのに、なぜか通知音に限り、この曲だけがデファクト・スタンダードと化していた。どうして、朝っぱらからこうも、物悲しい曲を聞かないといけないのだろう? だが、日本人の朝といえばこの曲である。
お椀に降雲をよそって、手を合わせた。海洋機構に務める両親は、昨日から遠洋調査に行っているので、しばらく八禍本透は一人暮らしだ。朝食は自分だけで作らなければいけない。
初日にしては悪くない出来だ――準備のすべてが手際がよかった。もちろん米派からすれば異論があるだろうが、八禍本透はだんぜん降雲派で、小麦のクリーズが舌ではじける食感や爽やかな後味を好んでいた。
テレビをつける。NHKでは、北海道の半導体工場に運ばれたEUV露光装置の仔細について報じていた。漫然と聞きながら、降雲を口に運んだ。廃プラスチックのオブジェやパンチカーペットで作られた空疎なスタジオに、水色のゼリー状の人影が通りかかった。
原稿から顔をあげたキャスターが二度見したとき、ゼリー状の人影はビーム銃を二発撃ち、痙攣するキャスターを柔和に蹴って画角の外まで追い出した。カメラがセットの周囲をぐるりとなめるように映した。ゼリー人間たちが、地球人のディレクターやカメラマンを踏んで拘束している。再びメインカメラに収められたゼリー人間が、ダークスーツの内ポケットから、もたもたとメモを出した。
八禍本はテレビの音量を上げた。
ゼリー人間は咳払いをして、メッセージを読み上げた。
『日本のみなさん、おはようございます。朝の貴重な時間をお騒がせしてしまい、たいへん申し訳ありません。わたしたちは本日より、地球に侵略拠点を設置したいと考えています』
スマホのメッセージアプリから通知音が鳴った。先週の歓迎会の写真が貼られているドクターペッパー道部のグループ内に、黒崎先輩が連投していた。八禍本が電話をかける。
「NHKはご覧で……」黒崎先輩がいった。
「見てますよ。いま、アシスタントのゼリー人間が、フリップボードを運んできました」
「先生、こんなときに寝坊助をきめこんでいるんで――あたしは三上先生を起こしにいきます。通話は繋いだままでよござんすね。何かあったら教えてください」
『今回の侵略は』アシスタントがいった。『どのような目的で行われるんですか?』
『そこがまず、気になるところですよね』
ダークスーツのゼリー人間が、フリップをめくった。
「侵略の目的」の続きの欄に、「年度末・予算消化」と書かれている。
『予算消化ですか。これは、どういった……』
『わたしたち、ピュモリ星人の国防を担当している軍事企業体〈ヴィスィフローズ〉は、年度末に予算消化が実施されるのが、例年の慣行になっています。会計年度末に余っている予算を使い切ることで、翌年度の予算削減を防ぐのがおもな目的ですね。予算使用率から業績評価が算定され、翌年の軍事予算に影響されるため、この時期に公共プロジェクトが集中します』
『では今回、太陽系第三惑星に設置される侵略拠点も、その予算消化のために設置されるのですね』
『ええ。軍事上の戦略的な意味はいっさいありません』
『それを聞いて安心しました』
『ピュモリ星人は、地球人に対する好悪の感情はこれといって持ちません。その点を、人類のみなさんにご理解いただきたいところですね』
『そう考えることで、パニックに陥らずに、このたびの侵略行為を冷静に受容できますね。続いて気になるのが、ピュモリ星人の侵略拠点が、地球のどこに置かれるかという点ですが』
『これは、以下の十一箇所になっています』
フリップがめくられ、図版によってわかりやすく説明される。
『カナダのノースウエスト準州、ダイアヴィック鉱山。オーストラリア、南オーストラリア州のクーバーペディ。ブラジルのマットグロッソ州、国立公園内のパンタナル湿地。ノルウェー、スヴァールバル諸島――世界種子貯蔵庫には損傷を与えないように配慮します。モーリタニアのウアダン、リシャット構造の中心地帯。ロシアのオイミャコン、タマーラ・ワシリエワさんのゲストハウス真正面。南アフリカ共和国のブルームフォンテーン、フリーステイト・スタジアム。アメリカのニューメキシコ州、ロズウェルのアルバートソンズ・マーケット駐車場。モンゴル、ゴビ砂漠――トリウム溶融塩原子炉の設置計画が持ち上がっていますが、すみません、よそに建ててください。ニュージーランド、スチュアート島オーバンの雰囲気のいいビーチ。最後に、日本の春原町です』
「春原町とおっしゃったんで?」電話越しに黒崎先輩がいった。
「ええ」八禍本が答えた。「完全に言ってました」
「でも、黒糖揚げドーナツなんかを名産品だと主張している、あたしらの春原女子校のある春原ってわけじゃないでしょう? 同じ地名なんていくつもあるんですから」
『黒糖揚げドーナツが名産品の、春原女子校のある春原ですね』ゼリー人間がいった。『同じ地名がいくつかあるので、注意してください』
「とのことです」
「にゃーん」と黒崎先輩。
『なぜ、これらの場所が選ばれたんですか?』
『統計的に、厳正な手段をもって選ばれました。選定会議の様子をご覧ください』
映像が、一時的に切り替わる。イコールアース図法で描かれた地球の世界地図が貼られた銀色の巨大部屋に、十一人のゼリー人間がふよふよと入ってきた。全員が、吹き矢を構えている。部屋は無重力空間であり、吹き矢に呼気を吐いたぶん、身体が背後に移動していった。
『十一箇所という理由はなんですか?』
『前述の、予算消化の都合ですね。ヴィスィフローズの公共プロジェクトの経費は厳密に定められているので、十箇所では少なすぎ、十二箇所だと多すぎるのです』
『では最後に、侵略拠点の制作方法ですが』アシスタントがいった。『地球人のみなさんも、この点が気になると思うんですよね。どのような手順で、侵略がなされるのですか?』
『爆弾を投下します』
「爆弾?」八禍本透がいった。
「爆弾?」黒崎先輩がいった。
『爆弾?』アシスタントがいった。『どのような爆弾ですか?』
『〈潜性パンスペルミア文化爆弾〉です』ゼリー人間がいった。『アルハザード銀河団の暗愚領域で開発された、環境影響に配慮しつつ、精巧に造られた爆弾ですね。このボタンを押せば投下されます。こう――カチッと』
『いま押したのは大丈夫なんですか?』
『いま投下されました』
『なるほど』
「八禍本さん」黒崎先輩がいった。「見えますか――窓をあけたら」
八禍本透は窓のカーテンを引いた。
空がまばゆい閃光に包まれていた。直後、それは一本の白い描線となり、春原女子校の裏口側に聳える鳴海岳の頂上に、何かのシルエットが重力を吸って接近した。
潜性パンスペルミア文化爆弾が炸裂した。
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