第九話 心という名のエラー

イゾウから借りたオンボロの六輪バギーで、俺たちは砂漠化した旧・湾岸道路を走っていた。


目指す「廃棄施設」は、居住区から遠く離れた汚染区域のど真ん中にある。


日はとっぷりと暮れ、頭上には満天の星空が広がっていた。


かつての大気汚染も、文明が死んで工場が止まれば、皮肉にも綺麗な星空を連れてくるらしい。


「レン。エンジンの排熱が限界値に近い。冷却のため、一時停止を推奨」


助手席のナインが、ナビゲーション端末から顔を上げて言った。


俺はハンドルを切り、崩れかけた高架下の影にバギーを停めた。


「……仕方ねえ。今夜はここで野営だ」


固形燃料に火を点け、暖を取る。


夜の砂漠は、骨まで凍るほど寒い。俺は毛布を頭から被り、沸かした湯で溶いたスープを啜った。


対照的に、ナインは寒さを感じる様子もなく、バギーの荷台に腰掛けて夜空を見上げていた。


青白い月明かりが、彼女の白磁の肌と、無機質な瞳を照らしている。


その姿は、このゴミ溜めには似つかわしくないほど幻想的だった。


「……不思議」


「あ?」


「星の配置データと、現在の座標が一致しない。地軸のズレか、大気の屈折率の変化か」


彼女は空に向かって指を伸ばし、何かをなぞるような仕草をした。


「そんなの、どうでもいいだろ。星なんか食えねえしな」


「非効率的。でも、あなたは時々、そうやって空を見る」


ナインが視線を下ろし、焚き火のそばにいる俺を見た。


「レン。質問がある」


「なんだよ」


「なぜ、そこまでして『満島』へ行く? イゾウの提示した作戦の成功率は15%未満。あなたの肉体が崩壊する確率は70%以上。サヤという個体一人の奪還にしては、コスト(代償)が見合わない」


相変わらずの機械的な正論だ。


俺は苦笑いして、スープの残りを飲み干した。


「計算じゃねえんだよ、ナイン。サヤは俺の……家族みたいなもんだ」


俺は目を閉じ、幼い頃の記憶を手繰り寄せた。


親に捨てられ、スラムの路地裏で震えていた俺に、パンの欠片を分けてくれた少女。


彼女がいなければ、俺はとっくに野垂れ死んでいた。


「あいつは俺に生きる意味をくれた。だから今度は、俺があいつを助ける番だ。たとえ腕が一本なくなろうが、脳みそが焼き切れようがな」


「……『生きる意味』。定義不能の概念」


ナインは小首を傾げた。


「過去の記憶データへの執着が、生存本能を上回る行動原理(ロジック)になるということ?」


「執着でも何でもいい。それがなけりゃ、人間はただ肉の塊が動いてるだけになっちまう」


俺は焚き火に薪をくべた。パチパチと火の粉が舞い上がる。


「お前には分からねえか? 誰かのために動きたい、って気持ちが」


「分からない。私は兵器。命令(オーダー)がすべて」


ナインは即答した。


だが、その直後だった。


彼女はふいに眉を寄せ、自分の左胸――心臓がある場所を、そっと手で押さえた。


「……?」


「どうした、故障か?」


「不明。レンの言葉を聞いた直後、胸部センサーに微細なノイズが発生。熱源反応はないのに、内部温度が上昇しているような錯覚(エラー)がある」


彼女は困惑したように、自分の胸をぎゅっと掴んだ。


「苦しいような、でも、不快ではない……。このエラーコードは、データベースに存在しない」


その様子を見て、俺はふと思った。


コイツは本当にただの機械なのか?


乃乃重工の最高傑作。感情を持たない兵器。


だが、今の彼女の表情は、初めて迷子になった子供のように見えた。


「……そいつは『バグ』じゃないかもな」


「では、何?」


「さあな。いつか分かる時が来るさ」


俺はそれ以上言わず、横になった。


ナインはしばらくの間、自分の胸に手を当てたまま、不思議そうに瞬きを繰り返していた。


翌朝。


俺たちはバギーを走らせ、目的の座標へと到達した。


「……ここか」


目の前に現れたのは、砂に半分埋もれた巨大なドーム状の施設だった。


かつて乃乃重工が極秘裏に建造し、何らかの事故で放棄された実験場。


入り口の重厚なシャッターには、『DANGER(危険)』『BIOHAZARD(生物災害)』の文字が、赤錆と共に残っている。


「レン。施設内から、強力なエネルギー反応を感知。間違いなく『核バッテリー』がある」


「ああ。だが、それだけじゃなさそうだな」


俺はバギーを降り、パイルバンカーを背負った。


風に乗って、獣の唸り声のような不気味な重低音が聞こえてくる。


鉄喰いネズミなんかより、ずっとヤバい何かが、この奥で眠っている。


「行くぞ、ナイン。ここが俺たちの最初の戦場だ」


「了解。戦闘モード、起動」


ナインの瞳から迷いは消え、冷徹な兵器の色に戻っていた。


だが、俺は気づいていた。


彼女がバギーを降りる時、ほんの一瞬だけ、俺の左腕(義手)を気遣うように視線を送ってきたことを。


心という名のエラーは、確かに彼女の中で芽吹き始めていた。

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