1-7

 気まずいまま外に出た。冬の夜風が頬を刺す。心の中まで寒さが入り込んでくる。九時を回ったところだ。オフィス街の少し外れにあるせいか、寒さが厳しくなってきたせいか、人影はまばらだ。

「じゃあ、これ」

 結構高そうなお店だったから一万円を差し出した。

「いいよ」

「食事代、体で返せ、って言われたくないの」

 こみ上げてくる感情を必死に抑え込む。まさか、一条君との食事でこんなことを言うとは思わなかった。……こんなことになるなら、来なければよかった。

「そんなこと言わないよ。部屋だってとってない」

 怒ったみたいに頬を震わせた。お金も受け取ってもらえなかった。

「言わせたかったんだ。……あなただけはそういう人じゃない。信じてるから、って」

 ため息をついた。

「でも、かえって傷つけた……よね」

「今日はごちそうさま。さよなら」

 背中を向けた。

 何を言ってるの、この人は。リカちゃんワールドの住人? わたしにとって男と食事に行くことは、たった一人の王子様を探して盗賊のアジトに足を踏み入れるようなもの。自分を守るだけで精一杯。メルヘンにつきあってる心の余裕なんかないのに!

 悔しいけど、車のライトがぼやけて見える。早く行かなきゃ。こんな顔見られる前に姿を消さなきゃ。だって、女の涙は飢えた男にバラまくエサ。

 こんなこと。こんなこと、一条君に対して思いたくなかった!

 足音が近づいてくる。

「待って。ちょっと話を……」

「何を話す、っていうの⁉」

 一回強く瞬きをして涙を閉じ込め、振り返った。

「試すようなことしないで!」

 こんなこと言ったら嫌われる。わかってるのに……その優し気な、ちょっと傷ついたみたいな一条君の顔を見たら、気持ちが抑えられなくなった。

「どれだけいやな思いしてきたと思う? 見た目が好きなだけで誰もわたしのことなんか好きじゃない。俺にもついでにヤらせろ、って? なに? 胸が大きいから? 派手な感じがするから? 遊んでそうな女には何言ってもいいわけ? 何言っても傷つかないって思ってる⁉ わたしみたいな女はふつうに幸せ求めちゃいけないの⁉」

「俺は一言もそんなこと言ってない!」

「彼でもない人から、部屋取ってる、みたいなこと言われてもうれしくない!」

「……ごめん」

 思いつめたようにうつむいたけれど、すぐに顔を上げた。

「でもそういうつもりじゃなくて」

「わたし、遊んでなんかない。いつもぎりぎりのところで逃げてきた。必死に自分のこと守ってきた。一条君はちがう、ってわかってる。そんな人じゃないことくらい知ってるよ。だけど警戒してしまう。万が一に怯えてしまう。逃げる方法を考えてしまう」

 気持ちが止まらない。もっと本当のわたしを知ってほしいと願ってしまう。

「どうして?」

 怒ったみたいに聞いてくる。

「だったらなんで来てくれたんだよ。俺だってほかの奴と同じかもしれないのに!」

「同じじゃない! わたしにとっては、同じじゃないの!」

「同じじゃない、ってどういうことだよ!」

 かっ、と頭に血がのぼった。

「だって、一条君が好き……あ……!」

 言葉にした途端、今度は全身から血の気が引いて行った。

 こわばっていた一条君の表情がさらに硬くなるのが、街灯の明かりの下でもはっきりわかった。

 以前、誰かに言われた言葉が頭の中に響く。

「やべ、告られた」。

 全身から血の気が引いていった。

 気まずい沈黙。

 ああ……あのときもそうだった。これ、マジで振られるやつ。

「……高梨さん、俺……」

「あー……や、やだあ……」

 続きを聞くのが怖くてさえぎった。絶対にいい答えじゃないはずだから。

 それは例えば、

「ごめん、そういうつもりじゃなかった」。

「そういうの、マジで重いんだけど」。

「お前、誰でもいいんだな」。

 とか。

 一番キツいのは、

「俺も好きだよ。だからこのままホテルに行こう」。

 顔を上げた。

 夜景がぼやけて見えるのは、きっと気のせい。

 わかってたはずなのに。

 わたしのことを本気で好きになってくれる人なんか、いるわけない、って。

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