第4話:配管詰まりの聖女
ギルドの喧騒が、一点の冷気によって切り裂かれた。
「――そこの貴方、お待ちください」
アルスがギルドの扉に手をかけた時、背後から凛とした、けれどどこか縋るような響きを含んだ声が届いた。 振り返れば、そこには白銀の法衣を纏った少女が立っていた。透き通るような銀髪と、深い湖を思わせる瞳。だが、その美貌は痛々しいほどに青白く、彼女がまとう空気は、本来あるべき「聖女」の輝きを失い、淀んだ霧のように沈んでいた。
「教国の聖女、リセリア様……!?」 「どうしてこんな場所に!」
エレナや周囲の冒険者たちが息を呑み、慌てて膝をつく。リセリアはそれらに目もくれず、ただまっすぐにアルスを見つめていた。その瞳には、先ほど彼が納品した『蒼天の涙』への驚愕と、最後の藁をも掴もうとする者の必死さが宿っている。
「失礼を承知で申し上げます。貴方が……あの霊草を、あのような完璧な状態で採取されたという方ですか?」
「ええ、まあ。アルスと言います。何か不手際でもありましたか?」
アルスが首を傾げると、リセリアは小さく首を振った。彼女の胸元にかけられた、神々しい意匠のペンダントが鈍く光る。
「不手際などと……。私は、魔王軍の呪いを受け、数年前から魔力回路を封じられています。教国の賢者たちも、神聖な解呪の儀式も、すべてが徒労に終わりました。ですが……貴方の持つその『気』。あまりにも淀みがなく、自然だ。もしや貴方なら、私のこの呪いの正体がわかるのではないかと」
リセリアが歩み寄るたび、彼女から微かに鉄錆のような、不快な魔力の匂いが漂った。 アルスはふむ、と顎に手を当てた。
「『多層鑑定(レイヤード・アナライズ)』」
一瞬。アルスの瞳に、リセリアの全身を巡る魔力の奔流が立体図として浮かび上がる。 教国の賢者が「絶望の呪い」と呼び、国を挙げて悲劇に浸っていたその正体を見たアルスは、思わず拍子抜けしたような声を上げた。
「……あー、なるほど。これ、呪いっていうか……ただの『詰まり』ですね」
「……え?」
リセリアが呆然と声を漏らす。
「詰まり、とは……どういうことでしょうか。これは魔王軍の将が放った、魂を蝕む深淵の鎖だと……」
「いや、そんな大層なもんじゃないですよ。古い魔力が変質して、回路の分岐点で固まってるだけです。ほら、台所の排水管とかに油が溜まって水が流れなくなることあるじゃないですか。あれと一緒です。無理に魔力を流そうとするから、圧力がかかって痛むんですよ」
アルスの「配管詰まり理論」に、ギルド中が静まり返った。聖女の命を削る呪いを、キッチンの掃除と同じレベルで語る男。
「ちょっと失礼しますね。服の上からでいいので、肩のあたりを触っても?」
「え、ええ……。構いませんが……」
リセリアが戸惑いながらも頷くと、アルスは彼女の背後に回り、両手をその細い肩に置いた。 触れた瞬間、リセリアはびくりと肩を震わせた。アルスの掌から、信じられないほど温かく、そして緻密な魔力が流れ込んできたからだ。
「いいですか、少し『押し流し』ますよ。ちょっと熱いかもしれませんが、我慢してくださいね」
アルスは指先に意識を集中させる。『最適化』のスキルを指先に収束し、リセリアの魔力回路の深部にある「淀み」の核を捉えた。 彼にとってそれは、絡まった糸を解くような、あるいは凝り固まった筋肉を解(ほぐ)すマッサージのような感覚だった。
「――んっ……! あ、ああぁ……っ!」
リセリアの唇から、熱い吐息が漏れる。 彼女の体内を、猛烈な勢いで「清流」が駆け巡っていた。 数年間、冷たく重く彼女を縛り付けていた鎖が、アルスの指先が触れるたびに、まるで春の陽光を浴びた残雪のように溶けて消えていく。
五感が研ぎ澄まされていく。 ギルドを流れる風の音、人々の鼓動、そして自分の中に眠っていた強大な魔力の胎動。
「よし、これで最後。……はい、開通しました」
アルスがポンと肩を叩いて手を離した瞬間。 リセリアの体から、爆発的なまでの神聖な光が溢れ出した。
「なっ……魔力が、戻った……!? 嘘だろ、本当に一瞬で……!」 「聖女様の輝きが……数年前より、ずっと強くなっている……!」
光の奔流が収まった中心で、リセリアは自分の手を見つめて震えていた。 顔色には朱が差し、瞳には命の輝きが満ち満ちている。彼女はゆっくりと、信じられないものを見る目でアルスを振り返った。
「あ、貴方は……一体、何を……。私の魔力回路が、以前よりもずっと滑らかに、効率的に巡っている……。ただ治すだけでなく、最適に組み替えたというのですか?」
「いえ、ただ本来あるべき形に整えただけですよ。掃除した後にちょっと潤滑油を差しておいたくらいです。しばらくは魔力が溢れやすいと思うので、気をつけてくださいね」
アルスは照れくさそうに笑い、自分の荷物を背負い直した。
「じゃあ、僕はこれで。リセリア様もお大事に」
「お待ちください! お名前を……貴方のお名前を、もう一度教えていただけませんか!?」
「アルスです。ただの、しがない『荷物持ち』ですよ」
そう言って、アルスは今度こそギルドを後にした。 残されたリセリアは、まだ熱を帯びている自分の肩にそっと手を置き、彼が去った扉を見つめ続けていた。
「しがない、荷物持ち……? 冗談ではありません。私の全霊をかけても解けなかった絶望を、マッサージ一つで解決してしまうなんて……」
彼女の頬が、魔力の高揚とは別の理由で赤く染まる。 聖女リセリアはこの日、決意した。 自分を救ったあの「万能の手」を、二度と離してはならないと。
一方、その頃。 中層ボスに挑んでいたゼノンたちは、壊滅の危機に瀕していた。 ガストンの大盾に走った亀裂。ミラの枯渇した魔力。ゼノンの折れかかったプライド。 彼らが求めて止まない「救い」は、もう、どこにもなかった。
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