第3話:鑑定不能の「普通」
王都の喧騒から離れ、アルスは早朝の『静寂の森』に立っていた。 踏みしめる土の柔らかさ、鼻腔をくすぐる朝露に濡れた苔の匂い。隣で誰かが毒づく声も、重すぎる荷物の重圧もない。
「……まずは、依頼(クエスト)を片付けようか」
懐から取り出したのは、ギルドの掲示板の端っこで埃を被っていた『薬草(ヒール草)の採取』というFランクの依頼書だ。報酬はわずか銅貨数枚。並の冒険者なら見向きもしない、新人向けの「雑用」である。
だが、アルスにとってはこれこそが至福の時間だった。 彼は屈み込み、地面にそっと手を触れる。
「――『多層鑑定(レイヤード・アナライズ)』」
視界が瞬時に切り替わる。 地表を覆う草花の情報だけではない。地中を流れる魔力の奔流、水分含有量、土壌に含まれるミネラル成分の偏り――それらが、色鮮やかな光の等高線となってアルスの脳内に展開された。
「あぁ……なるほど。ここは東側の山からの魔力が吹き溜まっているんだな。なら、表面のヒール草を摘むのは効率が悪い」
アルスは誰もいない森で、独り言をこぼしながら歩き出した。 普通の採取者は、目に見える草を探す。だが、アルスの『最適化』された思考は、その一歩先を行く。 「この魔力密度なら、表層に栄養を吸われる前に、土の奥で結晶化した個体があるはずだ」
彼は森の奥、枯れ木が一本立っているだけの、一見して「不毛」な場所で足を止めた。 腰から手慣れた手つきでスコップを取り出す。 地表から三十センチ。普通の採取者が絶対に掘らない深さまで刃を入れたとき、土の隙間から、夜空を切り取ったような深い蒼色の輝きが漏れ出した。
「お、あった。……ちょっと育ちすぎかな?」
掘り出されたのは、薬草などではない。 『蒼天の涙』。 百年に一度、特定の魔力条件下でしか発芽しないとされる、伝説級の霊草だ。一本あれば、瀕死の重傷すら一瞬で癒すと謳われる至宝である。
「よし、隣の区画も魔力が淀んでいるな。……ここもか」
アルスは鼻歌混じりに作業を続けた。 彼にとって、これは「宝探し」ですらない。部屋の隅に溜まった埃を見つけて掃除するのと同じ、理屈に基づいた「当然の結果」だった。
数時間後。 アルスは王都の冒険者ギルドの重い扉を、肩の力を抜いて押し開けた。 夕暮れ時のギルドは、怪我を負って帰還した冒険者たちや、酒を飲み始めた荒くれ者たちで熱気に満ちている。
「すみません、採取の納品をお願いします」
受付カウンターに向かうと、そこには馴染みの受付嬢、エレナがいた。彼女はアルスが勇者パーティーをクビになった噂を聞いていたのか、少しだけ同情の混じった、けれど明るい声を出す。
「お疲れ様です、アルスさん! 大変でしたね……。でも、まずは地道にFランクから再出発、応援してますよ! それで、ヒール草は十本くらい集まりましたか?」
「ええ、まあ。ヒール草は適当に。それと、ついでにこれも。薬の材料になるかと思って」
アルスは、背負っていた籠をカウンターの上に置いた。 ドサリ、という重苦しい音が響く。
「……え?」
エレナの動きが止まった。 籠の中から溢れ出していたのは、安っぽいヒール草ではない。 淡く、けれど力強い光を放つ、透き通った蒼色の草。それが、まるで市場の安売り野菜のように、無造作に山積みになっていたのだ。
「これ……え? ちょ、ちょっと待ってください。これ、『蒼天の涙』……ですよね? しかも、乾燥させてない生(なま)の……ええっ!? 何これ、三十本!? 規格外の特級品じゃないですか!」
エレナの絶叫に近い声が、騒がしいギルド内を静まり返らせた。 酒を飲んでいたベテラン冒険者が吹き出し、奥で事務仕事をしていたサブギルドマスターが椅子から転げ落ちる。
「おい、冗談だろ……? 一本あれば、家が一軒建つっていうあの伝説の?」 「それを、あんな山盛り……?」
どよめきが広がる中、アルスだけが不思議そうに首を傾げた。
「え、そんなに珍しいものだったんですか? ほら、今日は天気が良かったから。たまたま、土の柔らかいところに固まって生えていたんですよ。運が良かったなぁって」
「運とかそういうレベルじゃないですよ!? これ、王立魔法研究所が国を挙げて探してる代物なんですってば!」
エレナが、震える手で鑑定ルーペを構える。だが、あまりの純度の高さに、魔法道具であるルーペが「パリン」と嫌な音を立てて割れた。
「……測定不能。アルスさん、あなた、一体どこでこれを……」
「え、だから『静寂の森』のちょっと奥の方ですけど。普通に探せば見つかる場所ですよ?」
アルスは嘘を言っていない。彼にとっては「普通」なのだ。 地中の魔力流を読み、最適解を導き出す。その「当たり前」の行為の果てに、この霊草があった。
「あ、もしかして納品方法が悪かったですか? 根を傷つけないように、ちゃんと周りの土と一緒に掘り出したんですけど」
「……あ、ありがとうございます。完璧すぎる処理です……」
エレナは遠い目をしながら、霊草の山をギルドの金庫へ運ぶ準備を始めた。彼女の背中は、処理しきれない情報の濁流に押し流され、今にも折れそうだった。
ギルドの片隅では、アルスを「無能な雑用係」として見ていたかつての知り合いたちが、顔を青くして固まっていた。 彼らは気づき始めていた。 アルスという男が「器用貧乏」なのではなく、彼らが「器用」と呼んでいたものの次元が、そもそも彼らの理解を超えていたのだということに。
「じゃあ、精算お願いします。あ、ヒール草の報酬は、そのままギルドへの寄付でいいですよ。端数でしょうし」
アルスは爽やかな笑顔でそう言い残し、呆然とする一同を背に、軽やかな足取りでギルドを後にした。
「次は……あぁ、少し魔力が変な方向に流れている気配がするな。誰か困っていなければいいけど」
彼はまだ知らない。 その「気配」の先に、呪いによって魔力を封じられ、絶望の淵にいる聖女リセリアが、救いを待っていることを。
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