第2話:自滅のロジスティクス
「――おい、ミラ! さっさと援護しろ! いつまで遊んでるつもりだ!」
王都近郊、『嘆きの迷宮』の四層。 勇者ゼノンの怒号が、湿り気を帯びた石壁に反響した。
かつてなら、この程度の階層は散歩同然だったはずだ。しかし今、パーティー『雷光の牙』の面々は、ただのオークの群れを相手に泥沼の消耗戦を強いられていた。
「わかってるわよ! でも、魔力の巡りが悪いのよ……っ!」
魔導師ミラが、苛立ちを隠さずに杖を振る。放たれた『火球(ファイアボール)』は、本来ならオークを跡形もなく焼き尽くすはずが、今日はどこか火力が弱く、軌道も不安定だ。直撃したはずのオークが、煤(すす)だらけになりながらも咆哮を上げ、再び突進してくる。
「くそっ、このなまくらが!」
ゼノンが聖剣『アスカロン』を振るう。だが、その手応えに彼は戦慄した。 肉を断つ際の「吸い込まれるような感覚」がない。代わりに手に伝わってくるのは、骨に弾かれるような鈍い衝撃だ。アルスが毎晩、魔力を流しながら微細な刃こぼれを「最適化」していたその剣は、たった一晩の手入れ不足で、ただの「重くて光る鉄の棒」へと成り下がっていた。
「ガストン! 何をしてる、前へ出ろ!」
「言われなくても……やってる……っ!」
最前線で大盾を構えるガストンの顔は、苦痛に歪んでいた。 (重い。なんだ、この盾……こんなに重かったか?) 昨日までは、どんな衝撃も魔法のように分散されていた。だが今は、オークの棍棒がぶつかるたびに、振動がそのまま腕の骨を伝い、脳を揺らす。
アルスがいなくなった穴を埋めるべく加入した新メンバー、爆炎魔導師のケインが、派手な呪文を唱えながら叫ぶ。
「ははは! 地味なサポートなんていらねぇんだよ! 全部燃やしてやるぜ!」
ケインが放った極大魔法が迷宮内に炸裂する。しかし、それは敵だけでなく、味方の逃げ場まで炎で塞いだ。 「熱っ……! バカ、射線を見ろ!」と叫ぶガストン。 「耐火バフ(補助魔法)はどうしたのよ!」と喚くミラ。
かつては、アルスが何も言わずに全員の立ち位置を計算し、必要最低限の魔力で「熱遮断」と「衝撃吸収」を施していた。だからこそ、ゼノンたちは何も気にせず暴れ回ることができたのだ。その「不可視の足場」が消えたことに、彼らはまだ気づかない。
ようやく群れを退けたとき、全員が地面に座り込んだ。まだ探索開始から二時間も経っていない。
「……ミラ、ポーションだ。魔力切れで効率が落ちている」
ゼノンが忌々しげに命じる。ミラは荷物袋から、王都の最高級店で購入した一本一〇〇〇ゴールドのポーションを取り出した。
「これ、本当に最高級なの? アルスが作ってたやつより、色が濁ってる気がするんだけど……」
ミラがポーションを口にした瞬間、彼女の顔が劇的に引き攣った。
「――っ、ゴホッ! 何これ、苦っ!? それに、全然魔力が染み込んでこない……!」
「贅沢言うな。市販の最高級品だぞ」
ゼノンも自分の傷口にポーションを振りかける。だが、傷は塞がるどころか、じくじくと痛むばかりだ。 アルスのポーションは、使う者の体質に合わせて成分をその場で「最適化」した自家製だった。市販の薬が「万人向け」でしかないのに対し、彼の薬は「その瞬間の彼ら」のためだけに作られた、いわばオーダーメイドの奇跡だったのだ。
「おかしいな……。なあゼノン、装備がなんだかガタついてる気がするんだ。昨日、アルスが何か言いかけてたよな。盾の構造がどうとか……」
ガストンが不安げに自分の大盾を見つめる。表面は綺麗だが、芯の部分が内側から悲鳴を上げているような、嫌な予感。
「うるさい! あいつの言葉を真に受けるな!」
ゼノンは立ち上がり、聖剣の柄を強く握りしめた。 「いいか、これはただの調整不足だ。新しい体制に慣れていないだけだ。お前たちの気合が足りないんだよ!」
「気合って言われても……体が重いのよ」
「黙れ! 俺たちはSランクになるんだ。あんな無能な荷物持ち一人がいなくなったくらいで、ガタガタ抜かすな! 行くぞ、次は中層のボスだ!」
ゼノンの瞳には、焦燥の色が混じっていた。 聖剣が重い。 防具が食い込む。 空気は淀み、足元は滑る。 アルスがいた頃には感じたこともなかった「不快感」が、静かに、確実に、彼らの精神と体力を削り取っていく。
「(大丈夫だ。俺は勇者だ。あんな雑用係、いなくても問題ないはずなんだ……)」
自分に言い聞かせるゼノンの背後で、ガストンの大盾に、目に見えないほど細い、けれど決定的な「亀裂」が走った。
迷宮の奥から、中層ボスの咆哮が響く。 それは、偽りの最強パーティーへと引かれた、終焉の合図だった。
一方その頃、アルスは王都のギルドで、のんびりと一杯の安茶を啜っていた。 「さて、今日はどの薬草を摘みに行こうかな」 彼の指先は、誰の世話を焼くこともなく、ただ自由な魔力に満ち溢れていた。
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