第21話

「ブラボーーーッ!! アンコール! アンコールゥゥゥ!!」


聖女メロディの絶叫が、瓦礫の山となった庭に響き渡る。


彼女は完全にトランス状態に入っていた。


ルシアンの渾身の怒号を『魂の叫び』と解釈し、勝手にファンクラブ第一号を名乗り始めている。


「素晴らしいわ、ルシアン様! その喉、そのパッション! 貴女なら私の『聖歌隊』……いえ、『デスボイス合唱団』のセンターを張れるわ!」


横では、ミナも目をキラキラさせていた。


「さすがはお姉様ですわ! 悪魔をも凌駕する肺活量! これならアラン様の寝言(大音量)にも対抗できますわね!」


「さあ、契約書にサインを! 全国ツアーが待っていますわよ! まずは王都ドームで五万人の鼓膜を破壊しましょう!」


ギャーギャー。わめく。騒ぐ。


倒れているルシアンを気遣う様子など微塵もない。


キースは、腕の中のルシアンを見下ろした。


彼女は気絶している。


顔色は青白く、呼吸は浅い。


そして、その喉元は赤く腫れているようだった。


普段、声を荒らげない彼女が、限界を超えて叫んだ代償だ。


(……痛かったろう)


キースの手が、震えた。


(……苦しかったろう)


ルシアンはただ、静かに暮らしたかっただけだ。


本を読み、紅茶を飲み、くだらない話をして笑う。


そんなささやかな願いすら、この『騒音』たちは踏みにじるのか。


「……おい」


キースが呟いた。


だが、興奮したメロディたちの耳には届かない。


「聞いていますの、黒いの! 貴方もローディー(荷物持ち)として雇ってあげますわ! 感謝なさい!」


メロディがキースに指を突きつける。


その瞬間。


ブチッ。


キースの中で、何かが切れた。


それは「理性」という名の安全装置であり、「隠密」という名の封印だった。


キースは大きく息を吸い込んだ。


周囲の空気が、彼の肺に一気に吸い込まれていくような、真空音すら聞こえる。


そして。


「――黙れと言っているのが、聞こえんのか!!」


ズドォォォォォォォンッ!!!


雷鳴。


いや、爆撃。


キースの口から放たれたのは、ただの怒声ではなかった。


戦場で数万の兵を指揮し、竜の咆哮すらねじ伏せた、『覇王の威圧』そのものだった。


ビリビリビリッ!


空気が震え、メロディの金髪が逆立つ。


ミナが尻餅をつく。


生き残っていた聖歌隊員たちが、白目を剥いて泡を吹く。


「ッ……!?」


メロディが喉を押さえて後ずさった。


「な、なに……今の……声……?」


うるさいだけの声ではない。


低く、重く、そして身体の芯まで響く、圧倒的な『バリトンボイス』。


それは生物としての格の違いを、本能に直接叩き込んでくる音だった。


キースは一歩、前に踏み出した。


ジャリッ。


ただの足音が、死刑台へのカウントダウンのように響く。


「……俺は、我慢していた」


キースが喋る。


いつものボソボソとした喋り方ではない。


朗々と、クリアに、そして冷酷に。


「ルシアンが『言葉で解決したい』と言うから。彼女の意思を尊重し、手出しをしなかった。……だが」


キースの瞳が、深淵のような闇色に染まる。


「貴様らは、彼女の慈悲を『娯楽』に変えた」


「ヒッ……!」


「彼女の悲鳴を『歌』だと笑った」


キースの全身から、ドス黒い魔力が噴き出す。


それは物理的な圧力を伴い、メロディたちを地面に縫い付けた。


「……俺の女(ひと)の喉を潰しておいて、タダで帰れると思うなよ?」


「ひ、ひぃぃぃぃッ!!」


メロディが悲鳴を上げようとしたが、声が出ない。


恐怖で声帯が麻痺しているのだ。


「いいか、よく聞け」


キースが宣告する。


その声は、甘く、恐ろしく、そして濡れるほどに『イケボ』だった。


「今後、彼女の半径一キロ以内で、さえずり一つ立ててみろ」


彼は瓦礫の中に落ちていた鉄パイプ(工事用)を拾い上げ、片手で握りつぶした。


グシャァッ。


飴細工のようにひしゃげる鉄塊。


「……その喉笛、二度と空気が通らないようにしてやる」


シーン……。


完全なる沈黙。


鳥も、虫も、風さえも息を潜める。


メロディとミナは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、首が折れるほどの勢いで頷いた。


コクコクコクコクッ!!


「……失せろ」


短く、低く。


その一言が、撤退の合図だった。


「ごめんなさいぃぃぃぃッ!!(無音の口パク)」


メロディたちは転がるように逃げ出した。


聖女も、悪役令嬢も関係ない。


ただの『捕食者』に睨まれた小動物として、生存本能のままに森の外へと走り去っていった。


数秒後。


森には、本来の静寂が戻ってきた。


キースは大きく息を吐き、乱れた髪をかき上げた。


そして、腕の中のルシアンに視線を落とす。


「……騒がしくて、すまん」


いつもの、ぶっきらぼうな口調に戻っていた。


彼はそっとルシアンの頭を撫でた。


「……帰ろう。……地下なら、まだ静かだ」


キースはルシアンを大切に抱え直し、半壊した屋敷の中へと消えていった。


***


数時間後。


地下の『完全無音室』で、ルシアンが目を覚ました。


「……ん」


「……起きたか」


枕元に、キースが座っていた。


手には、蜂蜜を溶かした温かいジンジャーティーを持っている。


「……喉、痛むか」


ルシアンは頷こうとして、首の痛みに顔をしかめた。


「……喋らなくていい」


キースがスプーンで紅茶をすくい、ルシアンの唇に運ぶ。


「……飲め。……効く」


ルシアンは素直に飲んだ。


甘くて、少しピリッとする液体が、荒れた喉に染み渡る。


(……助かったのね)


ミナたちの気配はない。


静かだ。


ルシアンはキースを見つめた。


彼は少しバツが悪そうに、視線を逸らしている。


(……怒っているのかしら)


私が無茶をして、喉を痛めたから。


ルシアンは震える手で、サイドテーブルにあったメモ帳とペンを取った。


『ごめんなさい。でも、スッキリしました』


キースに見せると、彼は呆れたように笑った。


「……反省しろ。……お前が倒れた時、心臓が止まるかと思った」


『貴方の心臓は頑丈だから大丈夫です』


「……そういう問題じゃない」


キースはルシアンの手を取り、その掌に自分の額を押し付けた。


「……もう、叫ぶな。……叫ぶなら、俺の名前を呼ぶ時だけにしろ」


ルシアンの顔が赤くなる。


また、さらりと恥ずかしいことを言う。


でも。


(……ん? 待って)


ルシアンは記憶を遡った。


気絶する寸前、あるいは夢現の中で、何か凄い声を聞いたような気がする。


お腹に響くような、王者のような声。


『……俺の女に……』とか言っていなかったか?


ルシアンはキースの顔を覗き込んだ。


『貴方、何か言いました? すごく大きな声で』


キースがビクリと固まった。


「……気のせいだ」


『いいえ、確かに聞こえました。すごく……良い声でした』


「……幻聴だ」


キースは頑なに認めようとしない。耳まで真っ赤だ。


(怪しい……)


ルシアンはニヤリとした。


いつか、あの声(イケボ)をもう一度引き出してやる。


新たな目標ができた。


だが、今は。


ルシアンはもう一度、紅茶を一口飲み、ふかふかの枕に頭を沈めた。


静寂と、温かい紅茶と、不器用な騎士様。


(……幸せ)


ルシアンは目を閉じた。


騒動は去った。


だが、この事件は思わぬ副産物を生んでいた。


逃げ帰った聖女メロディたちが、「森には『魔王』がいる」「その声を聞くと死ぬ」という新たな伝説を流布し始めたのだ。


結果、森への侵入者は激減する。


しかし、代わりにルシアンたちの元へ届いたのは、一通の『招待状』だった。


それはアランでも、公爵でもない。


この国の頂点――国王陛下からの、正式な呼び出しだった。


「……魔王と恐れられる男に、興味がある」


静寂同盟、ついに国家の中枢へ。


逃げ場のない王命が、二人を待ち受けていた。

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