第20話

「……静かになったか?」


ルシアンは、恐る恐る地下室の重い扉を開けた。


先ほどまで響き渡っていた、ミナの殺人級の歌声(音響兵器)が止んでいる。


廊下には、硝煙のような匂いと、破壊された換気ダクトの残骸が散らばっていた。


「……制圧完了だ」


煙の向こうから、キースが現れた。


その姿は壮絶だった。


服はボロボロ、髪は煤で汚れ、肩で息をしている。


「キースさん! 無事ですか!?」


「……あいつ、喉が強すぎる。……物理的に口を塞いでも、鼻歌で衝撃波を出してきた」


「魔獣ですか!?」


「……だが、なんとか追い払った。……『次に来たら、アランの恥ずかしい秘密(寝言でママと呼ぶこと)を王都中にバラす』と脅したら、泣いて逃げていった」


「……効果的な脅迫、ありがとうございます」


ルシアンはほっと胸を撫で下ろした。


これでようやく、本当の静寂が戻ってくる。


地下の設備は半壊したが、直せばいい。


「……風呂に入るか。……煤だらけだ」


「ええ、そうですね。背中くらい流しますよ、戦友(とも)として」


「……期待する」


二人が少し和やかな空気になりかけた、その時だった。


ズズズズズ……。


再び、地響きが始まった。


今度は歌声ではない。


もっと規則的で、腹に響く重低音。


ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ……。


「……太鼓?」


ルシアンが顔をしかめる。


「まさか、夏祭りでも始まったのですか?」


「……違う」


キースの顔色がサッと変わった。


「……このリズム、ただの太鼓じゃない。……『破魔(はま)の儀式』だ」


「破魔?」


地上から、拡声器を通したミナの声が響いてきた。


『お姉様ぁぁぁ!! 私、分かりましたの!!』


元気ハツラツだ。さっき泣いて逃げたんじゃないのか。


『お姉様が私の美しい歌声を拒絶するなんて、あり得ませんもの! だって私たちは愛し合う姉妹! ならば答えは一つ! お姉様は今、「静寂の悪魔」に取り憑かれているのですわ!!』


「……論理が飛躍しすぎて、もはや芸術的ですね」


ルシアンは遠い目をした。


『だから、連れてきました! 王都で一番声が大きい……いえ、霊力が高い聖女様を! さあ、悪魔祓い(エクソシズム)の開始ですわーーッ!!』


直後。


カァァァァァァァン!!!


巨大な銅鑼(ドラ)の音が、森全体を揺るがした。


「ぐっ……!?」


ルシアンは膝をついた。


音が物理的な衝撃となって、地下室まで届いてくる。


「……聖女だと?」


キースが舌打ちする。


「……まさか、あの『轟音のメロディ』か?」


「知り合いですか!?」


「……戦場で、敵軍の鼓膜を破って撤退させた伝説の聖女だ。……味方の鼓膜も破ったがな」


「災害じゃないですか!」


地上では、新たな騒音源がマイクを握ったようだった。


『ハァァァァァァァッ!! 聞こえますか、迷える子羊よォォォ!!』


オペラ歌手のような、腹式呼吸全開のビブラートボイス。


『静寂とは死! 沈黙とは闇! 生とは即ち、音(ノイズ)なり! さあ、歌え! 踊れ! 騒げ! デシベルこそが正義ィィィ!!』


ドンドコドンドコ! ジャンジャンバリバリ!


太鼓、鐘、ラッパ、そして聖歌隊(数百人規模)の大合唱。


『悪魔よ去れェェェ! ワッショイ! ワッショイ!』


「……祭りだわ」


ルシアンは絶望した。


「あれは除霊じゃない。ただのどんちゃん騒ぎよ」


地下室の壁にヒビが入る。


「ルシアン、ここも危ない。……共振で崩れるぞ」


キースがルシアンを抱き寄せ、落下してきた天井の破片から守る。


「ど、どうすれば……! 『うるさい』と言っても、向こうは『悪魔が喋らせている』と解釈しますよ!」


「……ああ。対話は不可能だ」


キースの瞳に、冷たい光が宿る。


「……殲滅するしかない」


「待って! 聖女を殺したら、今度こそ国家反逆罪です!」


「……俺の罪など、どうでもいい。……お前が苦しんでいる」


キースが腰のナイフ(という名の暗器)に手をかける。


彼は本気だ。


ルシアンのために、国の聖女を血祭りにあげようとしている。


「ダメ! 行かないで!」


ルシアンはキースの腕にしがみついた。


「貴方を人殺しにはさせない! 私が……私がなんとかします!」


「……どうする気だ」


「説得します。筆談で。論理的に」


ルシアンは震える足で立ち上がった。


「悪魔などいないと証明すれば、帰ってくれるはず……!」


「……甘いぞ」


キースの制止を振り切り、ルシアンは地上への階段を駆け上がった。


扉を開けると、そこはカオスだった。


屋敷の庭が、野外フェス会場と化している。


中央には櫓(やぐら)が組まれ、その上で金ピカの衣装を着たふくよかな女性――聖女メロディが、巨大な鐘を振り回していた。


その横で、ミナがタンバリンを叩き狂っている。


「出たァァァ!! 悪魔憑きのお姉様よォォォ!!」


ミナが叫ぶ。


「見なさい! あの青白い顔! そして目の下のクマ! 完全に悪魔に生気を吸い取られていますわ!」


「違います! 貴方たちのせいで寝不足なだけです!」


ルシアンはスケッチブック(地下から持参)に『騒音公害反対』と書いて掲げた。


だが、聖女メロディはそれを見て涙を流した。


『おお、可哀想に……! 悪魔に声を封じられ、紙に書くことしかできないのですね!』


「解釈の方向性がポジティブすぎる!」


『安心なさい! 今すぐその耳障りな「静寂」を、私の聖なる「爆音」で浄化してあげますからね! 聖歌隊、音量マックス! アンプの出力を限界突破させなさい!』


「やめて! スピーカーが火を吹くわ!」


ブォォォォォォォォンッ!!!


空間が歪むほどのハウリング音。


「ぐああああああ!!」


ルシアンは耳を塞いでうずくまった。


鼓膜が限界だ。三半規管が狂い、吐き気がする。


「……ルシアンッ!」


地下から飛び出してきたキースが、ルシアンを抱きかかえて退避する。


だが、逃げ場はない。


森全体が結界で囲まれ、音が反響するドーム状になっているのだ。


「……クソッ」


キースが呻く。


「……俺の『隠密』も、この音量の中では無意味だ。……近づく前に平衡感覚をやられる」


最強の騎士団長も、広範囲音響攻撃の前では分が悪かった。


「このままでは……屋敷が……」


ルシアンが見上げると、愛しの別荘の窓ガラスが次々と割れ、瓦が震えて落ちてくる。


彼女の楽園が。


キースと作り上げた、大切な居場所が。


音の暴力によって破壊されていく。


「……許さない」


ルシアンの中で、何かが弾けた。


恐怖でも、諦めでもない。


純粋な『憤怒』。


「……私の静寂を……私の大切な人を……私の城を……!!」


ルシアンはキースの腕から離れ、ゆらりと立ち上がった。


その目には、ハイライトがなかった。


「……ルシアン?」


「キースさん。……耳栓を」


「……え?」


「持てる限りの最強の耳栓をして。……そして、絶対に耳を貸さないで」


ルシアンは、瓦礫の中に落ちていた『拡声魔道具』のマイクを拾い上げた。


ミナたちが使っているものとは別の、キースが通信用に設置していた高性能なやつだ。


「……聖女様」


ルシアンがマイクに向かって囁いた。


その声は小さかった。


だが、魔道具の性能と、ルシアンの底知れぬ魔力(怒りで活性化)が融合し、不気味なノイズとなって空気を震わせた。


ザザッ……ザザザッ……。


『な、何事です!?』


櫓の上のメロディが動きを止める。


ルシアンは、笑顔で空を見上げた。


「……音量勝負がお望みですか?」


『へ?』


「いいでしょう。……『沈黙の悪役令嬢』が本気を出したらどうなるか。……その鼓膜に刻み込んで差し上げます」


ルシアンは大きく息を吸い込んだ。


彼女の肺活量は、引き籠もり生活で衰えているはずだった。


だが、今の彼女には『怒り』という無限のエネルギーがある。


(吸って……吸って……限界まで吸って……)


そして。


ルシアン・ヴァイオレットは、生涯で初めて、全力の『絶叫』を放った。


「うっっっっっっっっさいんじゃボケェェェェェェェェェェェェェッ!!!!!!!」


ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!


それは声ではなかった。


衝撃波だった。


ルシアンの「静寂への渇望」が反転し、物理的な破壊エネルギーへと変換されたのだ。


バリバリバリバリッ!


聖女のアンプが爆発した。


太鼓の革が破けた。


櫓が衝撃で傾き、ミナのタンバリンが粉砕された。


「ひでぶっ!?」


「あべしっ!?」


聖歌隊たちが次々と吹き飛んでいく。


森の木々がのけぞり、鳥たちは気絶して落下した。


たった一撃。


たった一言の暴言。


それが、数千の騒音部隊を沈黙させた。


シーン……。


砂埃が舞う中、ルシアンは肩で息をしながら立ち尽くしていた。


「……はぁ、はぁ……」


喉が焼けるように痛い。


だが、静かだ。


世界が、静かになった。


「……勝った……」


ルシアンがガッツポーズをした瞬間、彼女の視界がぐらりと揺れた。


酸欠だ。


「あ……」


倒れそうになった体を、強靭な腕が支えた。


キースだ。


彼は耳栓をしていてもなお、今の衝撃波で少しふらついていたが、それでもしっかりとルシアンを抱き止めた。


「……馬鹿野郎」


キースが、震える声で言った。


「……喉が、潰れるぞ」


「……へへ。……ざまぁみろ、です」


ルシアンは掠れた声で笑い、そのまま意識を手放した。


だが、戦いはまだ終わっていなかった。


聖女メロディは、瓦礫の山から這い出し、プルプルと震えながら立ち上がったのだ。


「……素晴らしい」


その目は、狂気に満ちていた。


「……素晴らしいわ! 今の声! 今のソウル! あれこそが真の『ロック』よ!!」


「……は?」


キースが振り返る。


「ルシアン様! 貴女こそが、百年に一人の逸材! 伝説の『デスメタル・クイーン』ですわーーッ!!」


「……帰れ」


キースがドスの効いた声で言ったが、メロディの興奮は収まらない。


「決定です! 貴女を私の後継者に指名します! さあ、一緒に世界ツアーへ行きましょう! そのシャウトで世界を壊すのです!」


勘違いが、また新たな方向へ暴走し始めていた。


キースは気絶したルシアンを抱き直し、殺意を込めて聖女を睨みつけた。


もう限界だった。


これ以上、彼女の眠りを妨げるなら。


俺が、この国の『音』を全て消してやる。

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