第12話

ドスッ、ドスッ、ドスッ。


不慣れな乗馬の振動が、ルシアンのお尻と精神を的確に破壊していく。


「……痛い。もう無理。お尻が四つに割れる」


ルシアンは馬上で呻いた。


あの後、ルシアンはキースが残していった馬(なぜか裏庭に繋がれていた予備の馬)に飛び乗り、王都を目指して爆走していた。


普段なら絶対にしない。


馬は揺れるし、風はうるさいし、何より疲れる。


だが、今の彼女を突き動かしているのは、『キースを犯罪者にしてはならない』という一点のみだった。


(あの人、本当にやりかねないわ。「ゴミ処理」って言ってたもの。物理的に消去(デリート)する気よ!)


王都までの道中、ルシアンは必死に手綱を握り続けた。


そして、夕暮れ時。


ついに王都の城壁が見えてきた。


途端に、ルシアンの表情が歪む。


「……うっ」


音だ。


街の喧騒、馬車の走行音、人々の話し声。


森の静寂に慣れきっていた鼓膜に、都会の騒音が暴力となって襲いかかる。


「……帰り、たい」


本能がUターンを推奨している。


だが、ルシアンは歯を食いしばり、愛馬(仮)の腹を蹴った。


「待ってなさい、キース。……私が拾って帰るんだから!」


***


ヴァイオレット公爵邸。


ルシアンが到着した時、屋敷は異様な静けさに包まれていた。


「……?」


門番がいない。


玄関の扉も開け放たれている。


不審に思いながら中に入ると、エントランスホールで信じられない光景を目撃した。


使用人たちが全員、壁に向かって直立不動で震えているのだ。


そして、その奥。


階段の下で、父である公爵がへたり込んでいた。


「お、お父様?」


ルシアンが声をかけると、公爵はビクリと肩を跳ねさせ、幽霊でも見るような目で振り返った。


「ル、ルシアン……!? お前、帰ってきたのか!?」


「ええ、まあ。……何があったのですか? 泥棒でも入りました?」


「泥棒……? そんな可愛いものではない……」


公爵はガタガタと震えながら、涙目で訴えた。


「あ、悪魔だ……! 先ほど、黒い服を着た大男が現れて……!」


「あ、やっぱり来ました?」


「知り合いか!? あやつは、いきなり執務室の窓を突き破って侵入し、私の首根っこを掴んでこう言ったのだ!」


公爵は声を裏返らせて再現した。


『……娘の結婚を白紙に戻せ。さもなくば、この屋敷を更地にする』


「……極端ですね」


「私が『誰の指図だ!』と反論しようとしたら、あやつは無言で私の秘蔵の壺を指先一つで粉砕した! そして『次は貴様の首だ』と……!」


ルシアンは額を押さえた。


完全に脅迫だ。


言い逃れのできない重罪だ。


「で、その男はどこへ?」


「『根源を断つ』と言って出て行った……。ガルシア伯爵のところへ向かったに違いない!」


「……やっぱり」


最悪の展開だ。


ガルシア伯爵は今夜、王城で開かれる夜会に出席する予定だと、先日の手紙に書いてあった。


衆人環視の夜会会場で、キースが伯爵を「処理」したら――。


国際問題になる。そしてキースは処刑台行きだ。


「……止めなきゃ」


ルシアンは踵を返そうとした。


「待てルシアン!」


公爵が呼び止める。


「お前、その格好はなんだ! ズボンに泥だらけのシャツ……公爵令嬢にあるまじき姿だぞ!」


「緊急事態ですので」


「ならん! もし夜会に行くつもりなら、正装しろ! 我が家の恥をこれ以上晒すな!」


「そんなことを言っている場合では――」


「着替えねば外出は許さん! おい、メイドたち! ルシアンを捕獲せよ! 最短最速で仕上げろ!」


「は、はいぃっ!」


壁に向かって震えていたメイドたちが、主人の命令で再起動した。


彼女たちは獲物を見つけたハイエナのように、ルシアンに群がった。


「ちょ、離して! 時間がないの!」


「お嬢様、覚悟してください! 公爵家の威信がかかっています!」


「コルセットを持ってきて! 最大馬力で締めるわよ!」


「メイク班、厚塗りの準備を!」


「いやぁぁぁ! やめてぇぇぇ!」


ルシアンの悲鳴は、屋敷の喧騒にかき消された。


***


一時間後。


王城の夜会会場。


煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちが談笑している。


その華やかな空間に、一人の令嬢が現れた。


ざわっ……。


周囲の視線が一斉に彼女に注がれる。


深い群青色のドレス。


髪は完璧に結い上げられ、首元には大粒のサファイア。


そして何より目を引いたのは、その表情だ。


この世の全てを呪うかのような、冷え切った無表情。


「……あれは、ルシアン嬢?」


「婚約破棄されて引き籠もっていたはずでは?」


「なんと美しい……まさに『氷の華』だ」


人々は勘違いして感嘆の声を漏らすが、ルシアンの内面は煮えくり返っていた。


(苦しい……)


コルセットがきつい。


息が半分しか吸えない。


そして、ドレスが重い。鎧を着ているようだ。


(香水の匂いで鼻が曲がりそう。人の声がうるさい。ライトが眩しい。……帰りたい。今すぐ森に帰って、ジャージに着替えて寝たい!)


だが、帰るわけにはいかない。


ルシアンは鋭い視線で会場をスキャンした。


(どこ? キースはどこ?)


黒ずくめの不審者は目立つはずだ。


だが、見当たらない。


代わりに、会場の中央付近で、下品な笑い声を上げている男を見つけた。


ガルシア伯爵だ。


でっぷりと太った腹を揺らし、若い令嬢たちに囲まれてワインを煽っている。


「ガハハ! そう、今日の獲物はヴァイオレット家の娘でね! 大人しいらしいから、私のコレクションには最適だ!」


(……あいつか)


ルシアンのこめかみに青筋が浮かぶ。


キースが「ゴミ」と呼んだ理由がわかった。確かにあれは、分別して廃棄すべき粗大ゴミだ。


その時。


シャンデリアの上が、微かに揺れた。


(……!)


ルシアンだけが気づいた。


天井の梁の上に、黒い影が潜んでいるのを。


キースだ。


彼は完全に気配を消し、ガルシア伯爵の頭上から、獲物を狙う豹のように身構えている。その手には、どこから調達したのか、小型のナイフが握られている。


(馬鹿! ここでやる気!?)


ルシアンは焦った。


今、彼が飛び降りれば、伯爵の首は胴体とさよならするだろう。


そうすればキースは捕まる。


止めなければ。


でも、どうやって?


大声を出して「逃げて!」と叫ぶ?


いや、それでは自分が捕まるし、キースの居場所もバレる。


(……私に注目を集めるしかない)


ルシアンは覚悟を決めた。


彼女は扇をバチンと閉じ、ガルシア伯爵に向かって一直線に歩き出した。


優雅に。


かつ、威圧的に。


モーゼが海を割るように、貴族たちが道を開ける。


ルシアンは伯爵の目の前で立ち止まった。


「……あ?」


ガルシア伯爵が気づき、ニタニタと笑う。


「おやおや、噂のルシアン嬢ではないか。待ちきれずに自分から会いに来たのかな? ん?」


伯爵がルシアンの腰に手を回そうとする。


その瞬間。


天井のキースから、凄まじい殺気が放たれたのが分かった。


(待って、まだ待って!)


ルシアンは心の中で叫びながら、伯爵の手を扇でピシャリと叩き落とした。


「……気安く触らないでいただけますか」


会場が静まり返る。


「私の肌はデリケートなのです。脂ぎった手で触れられると、蕁麻疹が出ます」


「な、なんだと……!?」


伯爵の顔が赤くなる。


「貴様、誰に向かって口を利いている! 私はお前の未来の夫だぞ!」


「訂正させていただきます」


ルシアンは冷徹な声で言い放った。


「貴方は私の夫ではありません。ただの『騒音源』です」


「そ、騒音……!?」


「ええ。貴方の笑い声は品がなく、耳障りです。それに、その体臭。香水で誤魔化していますが、加齢臭とワインの腐臭が混ざり合って、公害レベルです」


ルシアンは一歩踏み出した。


「私は静寂を愛する女。貴方のようなやかましい豚に、私の平穏を乱す資格はありません」


「き、貴様ぁぁぁ!!」


ガルシア伯爵が激昂し、手を振り上げた。


「親の教育がなっておらん! ここで躾けてやる!」


彼の手がルシアンの頬に迫る。


人々が悲鳴を上げる。


だが、ルシアンは動じなかった。


なぜなら、知っているからだ。


彼が、見ていることを。


ヒュッ。


風切り音がした。


次の瞬間、伯爵の振り上げた腕が、見えない何かによって弾かれたように空を切った。


いや、違う。


伯爵のベルトが、謎の衝撃で切断されたのだ。


バツン!


「あ?」


ズルッ。


伯爵のズボンが、重力に従って落下した。


中から現れたのは、趣味の悪い真っ赤な下着。


「…………」


会場に、一瞬の沈黙が訪れる。


そして。


「きゃあああああ!!」


「変態だー!!」


「衛兵! 衛兵をつまみ出せ!」


会場は大パニックになった。


伯爵は「ち、違う! ズボンが勝手に!」と叫びながら、慌てて下着を隠すが、時すでに遅し。


ルシアンは天井を見上げた。


梁の上で、キースがナイフをしまい、小さくサムズアップしているのが見えた。


(……ナイスコントロール)


殺すのではなく、社会的に抹殺したのだ。


これなら、犯罪にはならない(たぶん)。


ルシアンは呆然とする伯爵を見下ろし、最後のトドメを刺した。


「……露出狂の趣味まであるとは。謹んで、お断り申し上げます」


彼女は踵を返した。


背後で伯爵が衛兵に取り押さえられ、連行されていく騒ぎをBGMに、ルシアンは颯爽と会場を後にした。


(さあ、帰ろう)


テラスに出ると、夜風が心地よかった。


「……派手にやったな」


すぐ横の闇から、キースが現れた。


いつもの黒ずくめだ。


「貴方こそ。あんな場所からベルトだけ切るなんて、人間業じゃありませんわ」


「……殺すな、という合図だと思った」


「当たり前です。貴方が捕まったら、誰が私の朝ごはんを作るのですか」


「……違いない」


キースは口元を緩め、ルシアンの手を取った。


「……帰るぞ」


「ええ。……でも、馬が限界です。お尻も」


「……なら」


キースはルシアンを軽々と抱き上げた。


お姫様抱っこだ。


「ちょ、ちょっと!?」


「……俺が走った方が早い」


「人間業じゃない!」


「……捕まるな」


キースはテラスの手すりを蹴り、夜の王都へと飛び出した。


「きゃああああ!」


ルシアンの悲鳴(小声)と共に、二人は闇に消えていく。


夜会復帰?


そんなもの、ほんの一瞬の余興に過ぎない。


彼らの帰る場所は、あの静かな森だけなのだから。

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