第13話

   ■


 数十分後、ミドリたちはファミリーレストランにいた。おあつらえ向きに麗子の学校の目の前にあった店に入り、おあつらえ向きに窓際の席に案内されたところだ。まだ昼前という時刻を考えると、下校まで数時間は店に居座ることになるだろう。二人はドリンクバーを注文し、昨晩から食事を摂り損ねて腹ぺこだったミドリはランチセットのハンバーグ定食も頼んだ。

「ところで」と、改まった様子で五木が口を開いた。ソファに座り直し、乾いた口を潤すようにアイスコーヒーを啜る。「おまえの、今の相棒って。どんな奴なんだ?」

 躊躇いがちに発せられた予想外の台詞に、「は?」とミドリは思わず声をひっくり返す。

「いや、ほら。俺が復職したら、またおまえの相棒になれるのかとか、気になってよ」

 なれるのか、と言ったか。つまり、またミドリと相棒になりたい、ということだろうか。あの五木が? 信じられない。

「女か」

「まあ、女の子だけど」

「歳下?」

「歳は知らない。けど同じくらいじゃないかな」

「前からいる奴か」

「いや。わりと最近入った子だよ。彼女が初めて組んだのが俺だったはず」

「へえ。新人におまえをあてがうとは、上も酷なことするな」

「そりゃ、せっかく育った社員を使い潰したくないんでしょ。どうせ潰すなら新人の方がまだましだ」

「新人なんかにおまえの相手ができんのかよ」

「結構優秀だよ。俺が踊る舞台は彼女が全部整えてくれるし、トラブル対応も万全。ぶっちゃけ、ゴキちゃんと組んでた頃よりずっと仕事は楽だよ」

 ミドリは五木の顔も見ず、ハンバーグの切れ端を口に運びながらそう言った。これは牽制のつもりだった。もし仮に彼が本気で望んでいるのだとしても、一度寝た相手と再びコンビを組もうだなんて、ミドリにはとても思えない。今のところダイヤとは順調だし、このまま彼女が相棒でいてくれるのが一番ありがたいのだ。

「惚れてんのか?」

 本社の前に突然五木が現れてから、ずっとミドリは彼の目を直視しないように気をつけていた。しかしその言葉を聞いた瞬間、ついミドリは顔を上げてしまった。

 ばちり。と音が立つかのように、彼と目が合う。

 ああ、なんだ。結局、そういうことだったのか。正気に戻ってくれたのかと、少しは期待したのに。

 その目は、あの日ミドリを見下ろしていた女の目と同じ、澱んだ色をしていた。

 不意に吐き気がして、ミドリは慌ただしく席を立った。「ごめんトイレ」と発声できたかどうかは定かではない。

 呼び止める五木の声にも振り返らず、ミドリは半ば駆け足になりながらトイレに駆け込んだ。


   ■


 出すものを出して楽になると、自然と気分も落ち着いてきた。

 よく考えたら、五木は何も悪くはない。悪いのは壊してしまった自分であって、諦めて手を出してしまった自分だ。そう思えば、慈愛の心で彼と接することができるのではないか。

 もう二度と以前のような相棒には戻れはしないが、彼の望みに応えるくらいはしてやってもいいかもしれない。それが壊した張本人の責任というものだろう。

 鏡で自分の顔色を確かめてから、ミドリはトイレから出た。とはいえ求められるまでは手は出さないでおくべきか。彼も理性では抗っているかもしれないから。でも、求められたらその時には、などと、身の振り方を考えながらだ。

 席に戻ると、先程まではなかったはずのスープがテーブルに置いてあった。取手つきのカップに注いである、コンソメらしき琥珀色の液体だ。

「あれ。ゴキちゃん、スープ頼んだんだ」

 ミドリが言うと、五木は勢いよく振り返った。高校の授業はまだ終わらないであろうこの時間から彼は律儀に張り込みの責務を果たそうとしてくれているのか、窓から遠くの方を見ていたようだった。

「ああ」と言いながら、五木は姿勢を元に戻す。「それ、おまえのだよ。ランチセットのスープバー。おまえ取るの忘れてたみたいだから、自分の飲み物のついでに取ってきた」

「ありゃ。そりゃあ気が利くね」

 せっかくのドリンクバーなのに五木は一杯目と同じものを持ってきたらしく、彼のグラスにはアイスコーヒーが入っている。余程喉が渇いていたのか、その量はミドリが席を立つ前よりむしろ減っている気がした。

「じゃあ、せっかくだから。いただきます」

 少し濃い塩分がミドリの舌を刺激した。何分前に持ってきたものなのか、スープは既に程よく冷めていて、せっかくのハンバーグを吐き出してしまって腹を空かせていたミドリは、ついぐびぐびと飲み干した。

 その間、五木がじっとミドリの顔を見つめていた気がするが、気にするのはもうやめた。

「外の様子はどうだった?」カップを置きながら、さりげない風を装ってミドリは尋ねる。

「外? ああ、外な」五木はどこか上の空だ。

「学生は、まだ帰る時間じゃないか」

「ああ、そうだな」

「下校時刻って何時だろうね。しばらく暇だな」

「ああ、そうだな」

「あ。彼女って部活とかやってるのかな。だとしたらもっと遅くなるかもね」

「ああ、そうだな」

 あまりにぼんやりとした五木の返答が気になって、ミドリは彼の方へ視線を向けた。

 その瞬間だった。

 ぐらり、と視界が回転した。

 なんだ、急に? 五木の顔が見えない。ぼやけて、捩れて、消えていく。白い、黒い、白い。

 ガシャン、と食器がぶつかるような音が聞こえた。硬い。硬いのは、テーブルか? 唾液が垂れた気がする。重い。頭が上がらない。

 脳が引っ張られるような感覚がある。足場が崩れていくような不安定な感覚。だがそれが、不思議と心地良い。

 暖かい。落ちてゆく。抗えない。

 五木の声が遠い。


 ミドリ。ごめん、ごめんな。ごめん。

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