【生配信】深夜2時の廃病院探索中、チャット欄が「逃げろ」で埋まったので振り返ったら
@zeppelin006
配信開始
スマートフォンの画面に、自分の顔が映っている。
LEDライトに照らされた顔は青白く、目の下には隈ができていた。三日ぶりの配信だ。
「はい、というわけで来ちゃいました」
俺——配信者名『ヨルノ』——は、できるだけ明るい声を作ってカメラに向かって笑った。背後には、錆びついた鉄柵と、その向こうに佇む灰色の建物。かつて『聖邦会総合病院』と呼ばれていた廃墟だ。
七年前に閉鎖されて以来、心霊スポットとして地元では有名な場所だった。有名、といっても県外の人間は誰も知らないレベルの、ローカルな有名さだ。俺みたいな弱小配信者がネタにするには、ちょうどいい。
チャット欄が流れ始める。
KuroNeko_22:きたああああ
眠れない人:ついにやるのか
ゲスト14:廃病院ってマジ?
「マジマジ。ほら見て、これ」
俺はスマホを反転させ、背後の建物を映した。五階建ての病棟が、月明かりの下で黒々と影を落としている。窓ガラスはほとんど割れていて、風が吹くたびにカーテンの残骸がはためいていた。
赤月:うわ、ガチじゃん
KuroNeko_22:行くの?中
ゲスト23:通報されない?
「大丈夫大丈夫、ちゃんと下調べしたから。警備とか巡回とかないっぽい。つーか誰も来ないんだよ、こんな場所」
俺は鉄柵の隙間を探しながら、ちらりと画面を確認した。
同時視聴者数、47人。
少ない。いつもの配信より少ない。深夜二時だから当たり前といえば当たり前だが、もう少し人が集まると思っていた。
まあいい。今日は「廃墟探索」という新ジャンルへの挑戦だ。心霊系は当たればでかい。この配信がバズれば、登録者1,000人の壁を越えられるかもしれない。
「お、ここ入れそう」
鉄柵の一部が歪んでいて、体を横にすれば通れそうな隙間があった。誰かが前に入ったのだろう。
俺は深呼吸をして、その隙間に体を滑り込ませた。
病院の中は、想像以上に暗かった。
スマホのライトだけが頼りで、床には割れたガラスや落ち葉が散乱している。足を踏み出すたびにガラスを踏む音が響いて、そのたびに心臓が跳ねた。
正直、怖い。
だが、配信者として怖がっている姿を見せるわけにはいかない。いや、適度に怖がるのはアリだが、本気でビビっているのがバレるのは恥ずかしい。
「いやー、雰囲気あるねえ」
俺は軽い口調を維持しながら、廊下を進んだ。壁には『受付』『外来診療室』などの案内板が残っていて、かつてここが普通の病院だったことを思い出させる。
赤月:なんか落ちてる
KuroNeko_22:足元、足元
眠れない人:カルテっぽいの見える
「ん? どれどれ」
俺は足元を照らした。確かに紙が散らばっていて、拾い上げてみると、かすれた文字で患者名らしきものが書いてあった。
「うわ、本物のカルテだ。やば、これは映しちゃダメなやつか」
俺は慌ててカルテを裏返し、文字が映らないようにした。個人情報的にまずい気がする。
ゲスト31:配慮できるの偉い
KuroNeko_22:いい人じゃん
通りすがり:奥の方行ってほしい
「奥ね、了解。ちょっと進んでみるか」
俺は階段を探して廊下を進んだ。この手の廃墟探索では、上の階に行くほど「何か」が出やすいというのが定番だ。まあ、定番というか、ただの迷信だが。
階段はすぐに見つかった。非常階段らしく、コンクリートむき出しの無機質な空間だ。
ライトで上を照らすと、踊り場の先は完全な闇だった。
「よし、行くか」
俺は一段ずつ、慎重に階段を上り始めた。
◇ ◇ ◇
三階に着いた頃には、俺はすっかり調子に乗っていた。
何も起きない。当たり前だ。心霊現象なんてものは存在しない。この配信は「雰囲気」を楽しむエンタメであって、本当に幽霊が出ることを期待している視聴者なんていない。
「いやー、静かだねー。誰もいないねー」
俺は病室のドアを一つずつ開けながら、中を映していった。ベッドの骨組みだけが残った部屋。天井が落ちかけている部屋。壁一面に落書きがされた部屋。どれも「廃墟」としては絵になるが、「心霊スポット」としては物足りない。
KuroNeko_22:なんも出ないな
眠れない人:やっぱガセか
赤月:もうちょい粘って
「だよなー、なんか欲しいよなー。よし、もう一個上行ってみるか」
同時視聴者数は62人に増えていた。少しずつだが、人が集まってきている。このまま何か「絵になる」ものを見つければ、もっと増えるかもしれない。
俺は階段に戻り、四階を目指した。
そのとき、視界の端で何かが動いた気がした。
「……ん?」
俺は足を止め、ライトを振り向けた。
何もない。廊下の先は闇に沈んでいて、物音一つしない。
「……気のせいか」
ゲスト45:どうした?
KuroNeko_22:なんかあった?
眠れない人:ビビりすぎwww
「いや、なんか見えた気がして。まあ気のせいだろ」
俺は笑って誤魔化し、階段を上り続けた。
四階。五階。
最上階に着くと、廊下の突き当たりに大きなドアがあった。プレートには『特別病棟』と書かれている。
「お、なんかありそうじゃん」
俺はドアに手をかけた。鍵はかかっていない。
ゆっくりと押し開けると、ぎぃ、と長い音が鳴った。
中は広いホールのような空間で、かつては談話室か何かだったのだろう。窓際にソファの残骸が置かれていて、床には新聞紙やビニール袋が散らばっている。ホームレスが住み着いていた痕跡かもしれない。
「誰かいる……?」
俺はライトで室内を照らした。人の気配はない。
だが、部屋の奥に、何かがあった。
壁に、何かが貼ってある。
「なんだ、あれ」
俺は近づいていった。
それは写真だった。
大量の写真が、壁一面に貼り付けられていた。
スマートフォンで撮影された、ピントの合わない写真。暗い廊下。階段。病室。そしてこの部屋。
どれも、この病院の中で撮られたもののようだった。
「え、なにこれ……」
俺は写真に顔を近づけた。
全部同じ構図だった。廊下を撮った写真。階段を撮った写真。病室を撮った写真。まるで、誰かが探索ルートを記録したかのように、順番に並んでいる。
そして、一番右端の写真。
この部屋を撮った写真。
その写真の中に、人が映っていた。
俺だ。
今、ここに立っている俺が、映っている。
「は……?」
頭が真っ白になった。意味がわからない。なんで俺が映っている? いつ撮られた? 今この瞬間? そんなわけがない。
チャット欄が流れる。
KuroNeko_22:え、ヨルノこれやばくない?
赤月:なにこれなにこれなにこれ
眠れない人:写真まだ増えてない?
ゲスト52:後ろ
後ろ。
俺は反射的に振り返ろうとした。
KuroNeko_22:後ろ
赤月:後ろ
ゲスト58:後ろ
眠れない人:後ろ後ろ後ろ
ゲスト61:逃げろ
通りすがり:後ろ
ゲスト67:後ろにいる
KuroNeko_22:後ろ!!!!!
ゲスト70:逃げろ
赤月:振り返るな!!!!
ゲスト73:逃げて
眠れない人:走れ!!!!!!!!
チャット欄が埋め尽くされた。
同じ言葉で。
後ろ。
後ろ。
逃げろ。
逃げろ。
画面が見えなくなるほどのコメントが、滝のように流れていく。
俺は振り返った。
白い。
白い何かが、そこにいた。
人の形をしていた。顔は見えない。ただ白い。輪郭がぼやけていて、霧のようで、だけど確かに「いる」と分かる何か。
それが、俺を見ていた。
「ひっ——」
声にならない悲鳴が漏れた。
俺は走った。
考えるより先に体が動いた。ドアに向かって走り、廊下に飛び出し、階段を探した。ライトが激しく揺れて、視界がぐちゃぐちゃになる。
チャット欄が流れ続けている。
KuroNeko_22:右!右の廊下!
赤月:そっちじゃない!!
眠れない人:階段は使うな!!!
ゲスト80:左、左に曲がって
通りすがり:非常階段がある
ゲスト85:左の突き当たり!
KuroNeko_22:そこから下に降りられる
「左……っ」
俺は指示に従った。考える余裕がなかった。視聴者たちが教えてくれる方向に走るしかなかった。
左に曲がると、確かに非常口のマークが見えた。俺はそこに飛び込み、階段を駆け下りた。足がもつれそうになる。手すりに掴まりながら、三段飛ばしで降りていく。
ゲスト90:次の階で降りて
赤月:二階から出られる
眠れない人:窓がある!!
KuroNeko_22:二階の窓から外に出ろ!!
「二階……っ」
俺は二階で階段を降り、廊下に出た。
窓。窓はどこだ。
ライトで照らすと、廊下の突き当たりに大きな窓があった。ガラスは割れていて、冷たい夜風が吹き込んでいる。
ゲスト95:そこから飛び降りろ!
通りすがり:下は草むらだから大丈夫
KuroNeko_22:いけ!!!!
俺は窓枠に足をかけ、外を確認した。
確かに草むらだ。高さは……二階だから、三メートルくらいか。飛べる。飛ぶしかない。
俺は飛んだ。
一瞬の浮遊感。
そして、草と土の感触が体全体を包んだ。
「っつ……!」
受け身を取り損ねて、肩を強く打った。だが動ける。骨は折れていない。
俺は這うようにして立ち上がり、病院から離れた。鉄柵の隙間をくぐり、道路に出て、そのまま走り続けた。
息が切れる。心臓がうるさい。でも止まれない。あの白い何かが追ってきている気がして、俺は自分のアパートに着くまで、一度も振り返らなかった。
◇ ◇ ◇
部屋のドアを閉め、鍵をかけ、チェーンをかけた。
そこでようやく、俺は床にへたり込んだ。
「はぁ……はぁ……」
手が震えている。足も震えている。体中から汗が噴き出していて、シャツが肌に張り付いていた。
生きてる。
俺は生きてる。
出られた。あの病院から出られた。
視聴者たちのおかげだ。チャット欄の指示がなければ、俺はあの場所で——
スマートフォン。
俺はポケットからスマホを取り出した。配信はまだ続いているはずだ。視聴者たちにお礼を言わなければ。
画面を見た。
配信画面が映っている。
俺の顔が映っている。
LEDライトに照らされた、青白い顔。
……おかしい。
俺は今、部屋の中にいる。電気をつけていない。LEDライトも消している。
なのに画面の中の俺は、LEDライトに照らされている。
背景が、暗い廊下だ。
コンクリートの壁。割れたガラス。
病院の中。
俺は病院の中にいる。
画面の中の俺は、病院の中にいる。
チャット欄が流れている。
KuroNeko_22:え?
赤月:ヨルノ?
眠れない人:なんで止まってるの
ゲスト102:まだ中じゃん
通りすがり:なんで動かないの?
ゲスト108:ヨルノ、聞こえてる?
KuroNeko_22:おい、走れよ
赤月:なんで座り込んでるの
眠れない人:立てよ!!
ゲスト115:後ろ見ないで
通りすがり:お願いだから振り返らないで
KuroNeko_22:後ろにいる
ゲスト120:後ろ後ろ後ろ後ろ後ろ
俺は自分の手を見た。
震えている手。
その手が持っているスマートフォン。
画面に映る、廃病院の廊下に座り込んでいる俺。
俺が見ている部屋は、どこだ。
俺がいる場所は、どこだ。
目を上げた。
見慣れた自分の部屋——ではなかった。
コンクリートの壁。
割れた窓ガラス。
散らばった新聞紙。
壁一面に貼られた写真。
俺はまだ、あの部屋にいた。
五階。特別病棟。最初にあの「それ」を見た、あの部屋。
俺は一歩も動いていなかった。
逃げたと思った。階段を降りたと思った。窓から飛び降りたと思った。
全部、嘘だった。
俺は最初から、ここにいた。
チャット欄が流れている。
KuroNeko_22:後ろ
赤月:後ろにいる
眠れない人:振り返らないで
ゲスト130:後ろ後ろ後ろ
通りすがり:ごめん
ゲスト135:ごめんね
KuroNeko_22:逃げられないんだ
赤月:俺たちもそうだった
眠れない人:ずっとここにいるんだ
ゲスト140:ようこそ
通りすがり:ようこそ
同時視聴者数を確認した。
247人。
配信開始時の五倍。
俺の知らない間に、視聴者がこんなに増えていた。
いや。
視聴者じゃない。
視聴者なんかじゃない。
彼らは、全員——
背後で、何かが動く気配がした。
冷たい何かが、首筋に触れた。
チャット欄が、最後のメッセージで埋まる。
ゲスト247:振り返って
配信は、まだ続いている。
【配信中】
【生配信】深夜2時の廃病院探索中、チャット欄が「逃げろ」で埋まったので振り返ったら @zeppelin006 @zeppelin006
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