第10話 もう一人の救世主

 3年間は何があっても絶対に諦めないと決めていた舞香だったが、想像以上に辛い毎日に早くも自分の心が消耗していくのを感じていた。


 そんな時、舞香は二人目の救世主に出会うことになる。CWエンターテインメントの新たな練習生として、チャンミが入社したのである。


 チャンミは舞香と同い年で、幼い頃から日本のゲームや漫画、ボカロ曲が好きだったことから、流暢な日本語を話す子だった。


 CWにスカウトされたのも、彼女がYouTubeに主に日本のボカロ曲を中心とした「歌ってみた」動画を投稿していたことが、CWエンターテインメントのスカウト担当者の目に留まったことが最初のきっかけとのことだった。


 見た目はどこか冷たそうな印象が滲み出ているシャープな印象の美人で、なかなか近寄りがたいオーラが出ていたが、実際に話してみると全くそんなことはなく、どちらかというと「どうしてこの子がこんな性格に?」と疑問に思ってしまうくらい自己肯定感が低く、少し卑屈に見えてしまうほど謙虚な子だった。


 ありがたいことに、事務所内に日本人の練習生がいることを聞いたチャンミの方から、日本語で舞香に話しかけてくれたことによって、舞香は彼女とあっという間に仲良くなっていった。


 チャンミの歌声を初めて聞いた時の衝撃を、舞香は今でも覚えている。「こういう人がプロの歌手になるんだろうな」と痛感させられたから。


 あらゆる能力値がトップレベルだったミンソンを含め、他にもボーカルを得意とする練習生はいたが、チャンミの歌声は明らかに別格だった。


 囁くような繊細な声と、爆発的に力強い持つ声を完璧に使い分けることができ、地声は低めなのに超高音までカバーできる音域の広さは間違いなく天性の才能。


 音程の正確さやビブラートなどの技術面も言うことなしで、エッジボイスやがなり声はもちろん、ホイッスルボイスまで余裕で使いこなしてしまう。


 でも何よりすごかったのは、チャンミの表現力だった。技術の高さや音域の広さだけでは説明できない特別な何かを、彼女は持っていた。


 普段は「私、性格暗いから」、「私なんかがスカウトされたのも、今、アイドルの練習生をやってることも、いまだに現実とは思えない」といったネガティブな言葉を連発するチャンミだったが、歌っている時だけは心から楽しそうで、自信に満ちあふれていた。


 「この子にとっての歌は、私にとってのダンス」だと舞香は思った。でも自分のダンスが彼女の歌と同等のレベルにあるかについては確信が持てなかった。


 しかし、ダンスを苦手とするチャンミは逆に初めて舞香のダンスを見た時に圧倒されてしまったようで、「私は100年経っても舞香のようには踊れない」と言っていた。その言葉に対する舞香の返事は「私も100年経ってもチャンミのようには歌えないよ…」だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 舞香とチャンミは社内で「あの二人はセット」と言われるほど仲良しになった。


 当時はまだ韓国語がうまく話せなかった舞香が、何の問題もなくコミュニケーションを取れる唯一の練習生だったのがチャンミだった上に、そのチャンミが最初から舞香に非常に友好的だったので、ある意味自然な流れだった。


 チャンミはまるで舞香の専属通訳になったかのように、社内におけるコミュニケーションの部分で積極的かつ献身的に舞香をサポートしてくれた。


 そしてその後、チャンミは舞香に、舞香はチャンミにお互いの母国語を教え合いながら成長したことから、今の舞香は韓国語を、チャンミは日本語をほとんど訛りのないネイティブレベルの発音で話せるようになっていた。


 舞香が完璧な韓国語を話せるようになった今も、チャンミとは出会った当初のコミュニケーションの名残りで、二人きりの時は日本語で会話をしている。


 異国の地、それも常にとてつもなく激しい競争にさらされる厳しい世界で戦っている中、チャンミと日本語で会話をする時だけが、舞香にとって自然体でいられる癒しの時間だった。


 また、チャンミは自分の歌のスキルも一切の出し惜しみをすることなく舞香に教えてくれた。もちろん、チャンミの歌声は教えてもらったからといって真似できるようなものではなかったが、チャンミの指導によって舞香のボーカルは明らかに改善されていた。


 だから舞香もせめてもの恩返しとして、チャンミのダンスの実力の向上のための協力を惜しまなかった。二人はまさにお互いを高め合う理想的な関係だったのである。


 舞香にとってチャンミは単なる仕事仲間以上の存在だった。親友であり、デビュー直後は約2年間、同じ部屋で寝泊まりしていた元ルームメイトでもあった。


 一緒に過ごした時間は家族と同じくらい長く、舞香の人生の重要な一部を占めている特別な存在だった。


 チャンミは舞香にとって恩人でもあった。チャンミがいなかったら舞香は韓国での生活に馴染むことも、デビューすることもできなかったはず。舞香はそんなチャンミに対しては深い感謝の気持ちを抱いていた。


 だからこそ、舞香は契約を更新せずに芸能界から引退する意向であることを、誰よりも先にチャンミに伝えるべきだと考えていた。そして引退の理由も、チャンミには、チャンミにだけは本当の理由を正直に伝えようと決めていた。


 それによってチャンミに失望されるとしても、嫌われるとしても、最悪の場合、縁を切られるとしても、チャンミにだけはすべてを正直に話しておきたかった。


 それが家族同然の存在で、恩人でもあるチャンミに対する礼儀で、誠意だと思ったから。

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