第9話 合格
苦しかった中学1年生の頃から状況は劇的に変化し、中学2年生から卒業までの期間は舞香にとって人生でもっとも幸せだったといえる2年間になった。
もちろん、アイドルになってからの人生も楽しかったけど、アイドルとしての毎日はものすごいプレッシャーやストレス、そして他人からの剥き出しの悪意や執拗な攻撃にも耐えなければならない日々でもあった。
その点、中学時代の2年間は舞香にとって何の心配もなく、ただただ幸せな毎日を過ごしていた特別な日々だった。
その幸せな毎日が突如として終わりを迎えてしまったのは、舞香が「受かるはずがないけど、腕試しのつもりで」応募した、あるオーディションだった。
幼い頃からダンスは得意だった舞香だったが、「いつも綺麗だけど、踊っている時は特に綺麗」と優に言われ続け、さらに夢中になって練習を重ねたことで、彼女のダンスは初めて彼女のダンスを見た時の優の感想通り、本当にプロのダンサーを目指せるレベルにまで成長していた。
そんな舞香は中3の冬休みに、あくまでも興味本位で、どこまで自分のダンスが通用するのかを試してみるつもりで韓国のCWエンターテインメントが開催する日本オーディションに参加した。
しかし、記念受験に近い感覚だったそのオーディションで、舞香はなんと1,000人以上の参加者の中からたった一人の合格者に選ばれてしまった。
その結果に誰よりも困惑したのは舞香本人だった。自分のダンスの実力が高く評価されたのはもちろん嬉しかったが、舞香には芸能人になるつもりも、韓国に渡るつもりも全くなかったのである。
最初は「ごめんなさい、まさか合格するとは思っていませんでした」と正直に伝え、CWへの入社を辞退しようとしていた舞香だったが、CWエンターテインメントの担当者が舞香本人や舞香の両親に対してCWがどんな会社で、CWでどんな未来を目指せるかを具体的に説明し、真剣に入社を勧めてきた。
そして元々「好きなことをやるのが一番」という教育方針だった舞香の両親はCWエンターテインメント側の説明に納得したのか、「舞香は踊ることが何よりも好きなんでしょう?大学には後からでも進学できるけど、アイドルにチャレンジできるのはこれが最初で最後のチャンスかもしれないよ」と入社を後押しするようになっていた。
徐々にK-POPアイドルへの挑戦に心が傾いていた舞香だったが、最後まで彼女を悩ませていたのは優との関係だった。
しかし、舞香がオーディションに合格したことを恐る恐る優に伝えてみたところ、彼は迷うことなく「悩む必要なんかない。それはきっと二度とやってこないチャンス。絶対逃しちゃダメだと思う」という返事をしてきた。あまりにも淡々としている優の様子に、逆に舞香がショックを受けるほどだった。
内心、優が引き留めてくれることを期待すると同時に、もし引き留められたらどうしようと悩んでいた舞香にとって、優の言葉は最後の一押しであると同時に、悲しい別れを意味する言葉でもあった。
そして舞香は優に対して「さようなら」ではなく「行ってきます」という言葉を残し、港南学院高校には進学せず、中学卒業直後に韓国に渡ってCWエンターテインメントに入社した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
オーディションに合格したものの、舞香は自分が本当にアイドルになれるとは思っていなかった。調べれば調べるほどK-POPの練習生は厳しい世界で、デビューできるのは練習生の中でもほんの一握りだけだった。
CWの担当者は「うちは社長の方針でアイドルとして成功できる見込みがあると確信した子にしかオファーを出さない会社。ある程度の素質が見えたらとりあえず練習生としてお迎えして鍛えてみようというスタンスではない」と説明していたが、「ただし、だからといって練習生全員がデビューできるわけではないので、デビューを確約することはできない」ことも明確に言及していた。
だから舞香は韓国に渡る前に、自分の中で3年間という期限を決めていた。3年間、他のすべてを諦めて死ぬ気で努力して、デビューを目指す。でも3年経ってもデビューできないなら、その時は潔く諦めて日本に帰国する。
その後は高卒認定試験を受けるなり元K-POPアイドルの練習生という肩書きを使ってダンススクールの講師をやるなりしながら、できれば優とよりを戻す。もし自分が日本に帰国した時に優に彼女がいたら、彼の恋愛の邪魔はせず、ただただ自分に再びチャンスが巡ってくるのをいつまでも待つ。
それが舞香の描いていた現実的な将来像であり、舞香はその将来像を玲佑と美咲だけに伝えていた。
優本人にはそれを伝えなかったのは、自分が優ではなく夢を優先して結果的に彼を捨てるような形で別れたことに負い目を感じていて、自分の存在が優にとって苦しみや邪魔になることを望んでいなかったから。同じ理由で、舞香は韓国に渡ってからは一度も優と連絡を取っていなかった。
玲佑だけではなく、美咲にも「デビューできなければ3年で戻って優とよりを戻したい」という思いを伝えたのは、もちろん中学時代の2年間で美咲とも親友に近い間柄になったことも理由の一つだったが、「優に手を出さないでね」という牽制の意味もあった。
「我ながら性格の悪い女」と思うと同時に、自分が韓国に渡った直後とも言える高1の夏休みには美咲の積極的なアプローチによって優と美咲が交際するようになったことを玲佑から聞かされたことから、「さきちゃんも十分性格悪いからこそ、同じ人が好きなのに仲良くなれたのかも」と、舞香はある程度納得していた。
韓国に渡ってからの最初の3ヶ月は、舞香にとってとてつもなく苦しい時間になった。
まず言葉が通じないということは「授業についていけない」のとは比べ物にならないくらい辛いことで、毎日のトレーニングや月末評価も想像を絶するほど厳しいものだった。
特に月末評価は、自分の心がすり減っていく音が、リアルタイムで聞こえてくるような感覚に陥ってしまう悪夢のような時間だった。
そして「成功できる見込みがあると確信した子にしかオファーを出さない」というCWの担当者の言葉通り、CWの練習生は全員、容姿も実力も非常にレベルが高かった。
特に月末評価で毎回、当たり前のように総合評価で1位を獲得し続けるナ・ミンソンは、自分とは別次元の存在に見えた。
ダンスだけは最初から練習生の中でもトップクラスの実力を持っていたことが唯一の救いだったが、ボーカルの方はなかなか向上せず、舞香は自分がアイドルとしてデビューできる未来をますます想像できなくなっていた。
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