第6話 疑問

 サッカー観戦と優との食事を終えて帰宅した優が郵便ポストを確認すると、数枚のチラシに混ざってその日も手紙が届いていた。手紙は直接ポストに投函されたらしく、送り主の記載も宛先の記載もなかった。


 優は、軽くため息をついてからチラシをマンションの共通の郵便ポストの近くに設置されているチラシ専用のゴミ箱に捨てて、手紙だけを部屋に持ち帰ることにした。


 その手紙は、愛莉からのものだった。あの事件以降、しばらく愛莉が優のストーカーのような状態になっていた。


 ある日、耐えかねた優から「次、自分の前に現れたら警察に通報する」と伝えたところ、愛莉は優の自宅や職場に直接訪れることはやめてくれたものの、その日から一日も欠かさず手書きの反省文を優の自宅マンションの郵便ポストに投函し続けていた。


 浮気発覚後、自分の家族には婚約破棄とその理由を優から報告した。愛莉は愛莉で自分の親に婚約破棄を伝えたらしい。


 どうやら愛莉は自分の親に婚約破棄の理由を馬鹿正直に伝えたらしく、愛莉の両親が謝罪のためにわざわざ愛知県から横浜に訪れるという、優にとっては迷惑なイベントが発生した。


 愛莉の両親は愛莉の行動を弁明したり、愛莉との復縁を求めたりすることはなく、「自分たちが慰謝料を支払う」との言葉まで出てきた。


 優は丁重にお断りし、慰謝料を求めるつもりは全くないが、その代わり可能であればこれ以上、愛莉が自分に近づかないようにしてくれるとありがたいと言う希望を伝えた。


 しかし、自立した大人で、都内で一人暮らしをしている愛莉の行動を、愛知県在住の両親がコントロールすることは不可能だった。


 優のストーカーに近い状態になりながらも、一応まだ都内の会社で働いている愛莉を無理やり退職させて実家に連れていくわけにもいかないんだろうから。


 愛莉の両親は自分たちの娘にきつく注意しておくと言っていたが、正直、優はあまりそれを当てにしていなかった。


 結局は優が自分でなんとかするしかないだろう。愛莉の本性を見抜けなかった自分にも問題があったわけだしと、優は半ば諦めていた。


 もう一つ、優にとって最悪だったのは、婚約成立後に中学・高校時代から仲が良かった同級生たちが集まる飲み会があったことだった。大規模な同窓会ではなかったものの、そこそこの人数が集まっていた。


 その場で優が婚約したことが中学・高校時代の友人たちに発表され、その場にいた全員に祝福されていた。


 柄にもなく飲み会で感謝のスピーチをさせられていた記憶も、今の優にとっては苦々しい黒歴史だった。今頃、自分の婚約破棄は港南学院時代の同級生に広く知れ渡ってしまっているだろう。


 自宅に戻ってから、優は愛莉の手紙を読み始めた。


 手紙は心がこもっていることが分かりやすく伝わってくる丁寧な手書きの字で、優への謝罪、優が許してくれるならなんでもする、優が許してくれるまでいつまでも待っているし、最後まで許してもらえなくても愛莉は一生優のことだけを想いながら生きていくなどの内容が書かれていた。


 優は、本当はその手紙を読まずに捨てるべきだと思っていた。でも、彼は届いてしまった手紙をどうしても最後まで読んでしまう上に、その手紙を捨てることもできずにタンスの中の空きスペースに保管していた。もうそのタンスの空きスペースがほとんどなくなるくらい、愛莉は一日も欠かさずに優に手紙を届けていた。


 その手紙を捨てられないような、優柔不断で未練がましいところがまさに自分のダメなところで、こんな性格だからこそこんな目に遭っているんだろうな、優は自嘲した。しかし、そんな自分を変えようと挑戦してみる気力も、今の優には残っていなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 優が愛莉の手紙を読んでいた頃、韓国ソウル某所の高級マンション。


 その日のスケジュールを終えて帰宅した舞香は、着替えることもメイクを落とすこともせず、すぐにスマホの操作を始めた。彼女が送信したメッセージは「今家に着いた。電話してもいい?」というもので、送信先は玲佑だった。


 彼女が慌てて玲佑に連絡を入れた理由は、先ほど「今日会ってきたよ。暇な時にでも連絡して」という内容のメッセージが玲佑から届いていたから。


 玲佑は「誰に」会ってきたのかに全く言及していなかったが、その相手が誰なのかを、舞香はよく理解していた。


 すぐにでも玲佑に詳細を聞きたかった舞香だったが、日本語が堪能なマネージャーの運転する車内で話せる内容ではなかったことから、「ありがとう。帰ったらすぐに電話する」とだけ返信していた。そして、帰宅後に舞香は本当に「すぐに」玲佑に電話をしようとしていたのである。


 しばらくして、玲佑から「了解」という短い返信が届き、舞香はすぐに玲佑に電話をかけた。


 彼女がテキストメッセージではなく、音声電話を使っている理由は、誰かに見られたらまずい内容の会話を、目に見える形で記録に残したくないというものだった。万が一ハッキングなどで会話履歴が漏洩されてしまう可能性もあるから。


 もちろん、舞香の部屋自体を盗聴されている可能性も否定できないから、音声通話が完璧な方法と言えるかというと微妙だったが。


 舞香に連絡をくれたことに対するお礼を言ってから、舞香はすぐに本題に入っていた。


「どうだった?」

「相変わらずひどいものだったけど、前よりは少しはマシになってた」

「そっか…そりゃそうだよね。簡単には立ち直れないよね」


 舞香はまるで自分のことのように落ち込んでいた。その言葉を聞いた玲佑は内心、「お前にとってはラッキーなことだろう」とツッコミを入れながらも、もちろんそんなことは一切口にしなかった。


「あ、でも12月上旬には今のところ長期出張とかは入ってないって言ってたよ」

「本当?良かった。じゃあ、それまでに私はこっちでやるべきことをやらなきゃ」


 意気込みが伝わってくる舞香のセリフを聞いた玲佑は、素直に自分の疑問をぶつけてみることにした。


 中学時代からの付き合いで、今では世界的なスーパースターになってしまった友人が、彼女の元カレで自分の大親友である優とよりを戻すためだけに、アイドルを引退してしまって本当に後悔しないかということを。

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