第1話 発覚
その夢を見たのは、ずいぶんと久しぶりだった。美しい思い出のシーンがそのまま再生されるタイプの夢。美しいものとはいえ、どちらかというとその夢もまたほろ苦い思い出ではあるが、それでも優は「この夢でまだよかった」と考えていた。
目が覚めた直後から、激しい頭痛が優を襲う。昨日も意識が飛ぶ寸前まで一人で酒を飲んでいたから、ある意味当然の報いだった。
最近の優は、二日酔いではない状態で朝を迎えたことがほとんどなかった。このままの生活を続けたら間違いなく早死にするだろうなと思いながらも、彼は「それならそれでいいや。逆にその方が良いかもしれない」と考えていた。
彼の部屋には酒瓶があっちこっちに転がっており、物も散乱していた。本来の優は家事もできる人間で、部屋はかなり綺麗にキープできるタイプだった。
しかし、この1ヶ月の優の生活は荒れに荒れており、彼の部屋の状態は泥棒でも入ったような酷い有様になっていた。生ゴミだけはちゃんと出していることが、唯一の救いだった。
なんとかベッドから立ち上がった優は、すぐに冷蔵庫から水を取り出し、空腹のまま二日酔いの頭痛を止めるための頭痛薬を2錠飲んだ。
市販薬の中では最も効き目が強いとされる薬で、薬剤師によると空腹の状態では飲まない方が良いらしいが、今の優にとってそんなことはどうでもよかった。
彼は、自暴自棄になっていた。その日は土曜日で、彼にとっては休日だったこともあり、前日に会社から帰ってきてから完全に酔い潰れて眠ってしまうまで、優は一人で黙々と飲酒を続けていた。
そして、その週末も予定は一つもなく、おそらく近くのコンビニに酒と弁当を買いにいく以外は、何もせずに酒ばかり飲んでしまう週末になるはずだった。
「いつまで持つんだろうな、俺…」
カーテンが閉まったままの薄暗い部屋で、優はボソッと一人でそんな独り言を呟いていた。まだなんとか仕事は続けているものの、もう何のために働いていて、何のために生きているのかがよくわからない状態になっていた。
「無職になるのはさすがにまずいのでは?」という最後の理性でかろうじて仕事を続けているものの、その理性がいつまで持つかは彼にも分からなかった。
今日の「ほろ苦いけど青春の1ページ」の夢なら、毎日見てもいいと優は本気で考えていた。でもそれは、その思い出が優にとって美しい思い出であることが主な理由ではなかった。もちろん、それも理由の一つではあったけど。
優が「できれば今日の夢を毎日でも見たい」と考えている理由は、先ほどの夢に出てきた「初恋の終わり」の時とは比べ物にならないほど衝撃的で、ただただ辛くて苦しかっただけの最近の出来事のフラッシュバックと、それに関連する悪夢に毎日のように悩まされていたからである。
それを考えた瞬間、またしても忌々しいフラッシュバックが優を襲ってきた。それを無理矢理にでもねじ伏せようと、優は再び冷蔵庫を開け、酒を飲み始めた。幸か不幸か、冷蔵庫には十分過ぎるほどのアルコール類のストックがあった。
優をアルコール依存症に近い状態にしてしまった悪夢のような出来事は、彼が1ヶ月前に受け取った謎のレターパックから始まっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
1ヶ月前、自宅の郵便受けに届いていた謎のレターパック。送り主は「
しかしながら、宛先の住所と名前が間違いなく優のものだったことから、怪しいと思いながらも優はそこまで深く考えずにレターパックを開封することにした。
優が「なんかの広告かな?」と思いながら比較的軽い気持ちで開封したレターパックの中身は、あまりにも衝撃的なものだった。数週間前に婚約して両家への挨拶まで済ませていた婚約者の
そして添付されている手紙には「あなたの婚約者は、私の夫と浮気をしていました。本日お送りしたもの以外にも多数の証拠を持っています。詳しくは直接お会いしてご説明しますので、もしよろしければこちらの電話番号またはメールアドレスにご連絡をいただけますか」という衝撃の内容と共に、レターパックの送り主の同じ女性のものと思われる電話番号とメールアドレスが書いてあった。
最初は現実を受け入れられず、AIを使った新手の詐欺の可能性を疑っていた優だったが、送り主が自分の住所やフルネーム、電話番号まで丁寧に記載していることや、AI生成だと考えるにはあまりにも自然かつ鮮明に写っている愛莉の不倫の証拠写真の数々を見て、優は「話を聞いてみるしかない」と判断し、メールで菜月にコンタクトを取ることにした。
菜月からの返信はすぐに届いた。彼女は唐突にショッキングな写真を送りつける形になったことを謝罪しながらも、優には何があったかを知る権利があり、また知るべきだと思ったとのことで、何があったかを直接会って説明したいと言っていた。
菜月が持っている資料は興信所を使って収集したものだったようで、彼女には今回送付した写真以外にも不倫の証拠を大量に持っているとのことだった。そして、優の今後の人生のためにも優は辛くてもその資料をすべて見て、何があったのかを理解すべきだと菜月は主張していた。
結局、菜月と直接会って話を聞くことになった優は、写真以外にも愛莉と浮気相手の生々しいメッセージの履歴を含む大量の証拠を見せられ、愛莉の浮気が事実であることを受け入れざるを得なかった。
「
菜月は30代半ばくらいの、知的で落ち着いた印象でありながらも、どこか柔らかい雰囲気の女性だった。しかし、彼女の言葉からは自分の夫と愛莉に対する強烈な憎悪と軽蔑、そして静かな怒りの色が滲み出ていた。
「でも何も知らないままあんな女と結婚するのは、乾さんがあまりにも可哀想だと思ったのも事実です」
優はあまりの衝撃でまともに返事をするもできず、ただ茫然としていたが、菜月はそれでもその日、自分が優に伝えると決めた内容を伝え切るつもりでいるようだった。
「今日、乾さんと話してみて、その思いがさらに強くなりました。私の夫やあなたの婚約者のような人間は、絶対に変わりません」
「……」
「余計なお世話なのも、私に言われる筋合いはないのも重々承知しています。でも、それでもあえて伝えさせてください。乾さん、今の婚約者との結婚は考え直した方が良いと思います。……離婚よりは婚約破棄の方がまだ浅い傷で済みますから」
菜月の声は、自分の夫と愛莉の不倫を説明した際の氷のような冷たさからは少しトーンが変わっていた。冷酷な事実を告げてはいるものの、その声はどこか弟を心配する姉のようだと優は感じた。でも、菜月は少し違う立場で優に再考を促しているようだった。
「これは『失敗者の先輩』としてのアドバイスです。実は私、結婚前にも一度、夫の浮気を許しちゃってるんですよね。そしてその結果がこれです。…だから、乾さん。少なくとも一度は婚約を白紙に戻してから本当に結婚するかどうかをよく考えた方がいいですよ」
続く菜月の言葉は、明らかに「あなたは私のようになるな」という意味の込もった、とても重い宣言だった。
「ちなみに私は、これから離婚します」
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