第10話 志を継ぐ者

『漆黒の騎士は在りし日に想いを馳せ、暗き希望を胸に立ち上がる。その願いも共に』

(デトラント王後記より)



 グラディスの体調は、その後一日を過ぎても回復の目処が立たなかった。


 森の中に運び入れ、最初に飛ばされた小屋のベッドに横たえて二日目の夜、黙り込んだまま考え込むロッシュと、まだ多少体の痛むラクシュリ、そしてジュリアの四人は、それぞれ思うものを口にすることなく、夜を過ごしていた。


「それにしてもグラディスの奴、一体いつまで寝込むつもりだよ」

「仕方がないさ。呪いの翼が一つ広がった。こいつは命を食って羽を広げる。その時の痛みや苦しみで死ぬ奴だっているって話だ。正直、グラディスはよく耐えてるほうだと思うけどね」


 額の汗を拭い、ジュリアは憎らしく呟く。

 多少落ち着いてきたとは言え、まだ息は荒く熱は下がりきってはいない。

 時折辛そうに呻く声が、ラクシュリにはたまらなく辛かった。


「さて、アタシは食べ物と薪を探してこようかな」

「じゃ、オレは水汲んでくる。ロッシュ、後任せたからな」


 ラクシュリの言葉にも、ロッシュの返事はない。うつむき、壁に背を預けたままだ。

 だが、そんな彼を誰が責められただろうか。

 育ての兄であったファウスを、失ったのだから。


 出て行った二人を見送り、その足音が消えるまで、ロッシュは耐えていた。

 そして、人の気配が消えた頃に立ち上がった。

 手には聖剣。

 それを抜き、横たわるグラディスの上へとかざしたのだ。


 握っている柄に、汗をかく。

 ずっと自問自答を繰り返していた。

 憎しみと、仲間だという意識と、罪悪感でいっぱいだった。

 それでもこの悶々とした気持ちをどうにもできなくて、行動を起こしたのだ。


 聖剣を完成させ女王を倒すには、女王の血が必要だ。しかも少量の血では駄目なのだ。

 そうなると、女王に一度深手を負わせた後で、もう一度止めを刺さなければいけない。

 そんなことは可能なのか。

 ずっと考えて、自信をなくした。


 振り上げた剣を、振り下ろすことがどうにもできない。

 少しの仲だが、グラディスはどこかファウスと重なる部分がある。

 同じ魔術師だからだろうか。それとも、もっと深い部分なのか。

 そんな彼を傷つける行為を、躊躇う。

 結局は剣を下ろして床に座り込み、苛立たしく髪の毛を掻き回すことになった。


「……どうして剣を、振り下ろさないのです」

「!」


 絶えそうな弱い声に驚き、ロッシュは顔をあげる。

 眠っていると思っていたグラディスの瞳とぶつかった。

 こうなるともう、自嘲気味な笑みしか出てこなくて、ロッシュは力なく笑った。


「起きてるなら、止めろよな」

「……犠牲を払わずに女王を止める方法を探し、無理だと思っていたので」

「だとしてもだろ。お前殺して、聖剣を完成させるつもりだったんだぞ。肉親のお前なら、血が繋がってるってさ」


 女王の血は、女王自身の血でなければならない。そんなものはどこにもない。

 会話を聞く限り、グラディスは女王の肉親だろう。それならば、流れる血は同じではないかと。

 あまりに身勝手な理由で、それを利用できないかと悩んでいた。


 そんなこと、グラディスにはお見通しであった。

 むしろ、望んでいた。

 グラディスも、女王を止める自信が持てずにいたのだ。

 ならば、信頼する仲間に命ごと託そうと、身勝手に考えていた。


「願わくば、死にたくなんてない。やっと得た仲間と、もっといたい。けれど、女王を止めることは難しいのです。私の力が完全な形で戻ってきても。だから」

「俺がお前を殺して、この剣を完成させて、それで女王を殺してもらおうと思ったわけか。……考えが一致してるから、それでいいって?」


 グラディスは頷く。

 だが、向けられたロッシュの、辛く暗く悲しげな鋭い瞳に、この考えが間違いだと知る。

 身勝手なことだろうとは思っていたが、まさかこんなに辛く、言い表しようのない顔をされるとは思わなかった。


「……やっぱ、俺もどうかしてたな。色々あって、おかしくなっちまってたんだ。仲間殺そうなんて、馬鹿な話しだ」


 そう言って聖剣を納めたロッシュの手が、まだ熱のあるグラディスの額に触れる。

 そして、甘やかすように撫でて、力ない笑みを浮かべた。


「お前を殺すのは、まるでファウスを殺すみたいで嫌だからな。生きて、もっと沢山楽しいことも知らないと」


 ひやりとするロッシュの手に甘えながら、グラディスは瞳を閉じて笑みを浮かべた。

 誰からも愛されず、誰からも理解されず、ただ孤独に全てを背負って生きていくものだとばかり考えていた。

 だが、そうではなかった。

 得たものの幸福を感じて、グラディスは嬉しそうに笑っていた。


◇◆◇


 凍るような城内の、西の塔。

 ここはかつて、幽閉に使われていた場所だ。

 現在はこの塔の階下を、ウェインが使っている。

 質素な部屋にはテーブルセットとベッド、サイドボードがあるだけ。

 そんな室内に一つだけ、不釣合いな肖像がある。

 椅子に座った幼いファウスと、その両隣に同い年くらいの少年が二人。

 片方はウェインだ。


「ファウス、カーマン太子、私もそろそろ行かねばならない」


 肖像に軽く手を触れ、ウェインは妙に穏やかな笑みを浮かべた。

 手には剣を、身に纏うのは漆黒の鎧。

 戦いに出向く井出達なのに、心はとても穏やかだった。


 ウェインとファウス、そして王太子でありロッシュの兄であるカーマンは、幼馴染で親友だった。

 ウェインは何の疑問も抱かず、志を同じくするファウスを親友とし、カーマンを主とした。

 気さくな友二人はウェインにとって誇りで、仲間。

 日々が楽しく、色鮮やかな時間だった。


 やがて、ファウスは師匠と共に城を離れることとなった。

 カーマンもウェインも、別れを惜しんだ。

 ウェインは今でもはっきりと覚えている。


― 何があっても、この絆は切れはしない。約束だ、友よ。


 その誓いの言葉は、今になって胸に刺さる。

 結局、約束など守れはしなかった。

 絆は、切れてしまったのだから。


 ファウスが城を離れてからも、ウェインはよく会いに行った。カーマンの手紙や、自分の近況を話しに。

 ファウスはそれを楽しそうに聞いていた。

 最後に会ったのは、丁度実妹であるジーナと、カーマンの婚約が決まったくらいだった。


 思えば、その頃がウェインにとって一番輝いていた時だった。

 四将軍の一人に任じられ、大切な妹と親友の結婚が決まった。

 順風満帆で、言うことはない。

 しかも、妹に子がいると分かった時には、夜通しカーマンと飲み明かしたものだ。


 だが、数年前のある日。

 突如東の塔に落雷があり、塔が吹き飛んだ。

 解き放たれたのは、幽閉していた女性、今の女王だ。

 カーマンはすぐに、ジーナをウェインに託して逃げるようにと言った。

 だが、それは叶わなかった。


 瀕死の傷を負ってもなお、妹と親友の願いを守ろうとしたウェインの前に転がったのは、無残な姿になったカーマンと、その両親。同僚の姿だった。

 発狂したように悲鳴を上げるジーナを庇いきることもできず、ウェインも親友と同じ運命を辿る覚悟を決めていた。


「私が今日から、この国の女王になる。女王には、優秀で見栄えのいい側近が、必要だろ?」


 その声は、突然とウェインに向けられたものだった。

 睨みつけるように見上げた先で鮮烈なまでの鮮やかな笑みを浮かべた女王の姿を、ウェインは今でも覚えている。


「お前、私の側近にならない?」

「誰、が……っ」

「勿論、ただでなんて言わないわ。そうね……そこのお嬢さん、随分大事そうに守っていたみたいだから、助けてあげましょうか?」


 忠義、友情。

 その言葉が、一瞬ぐらついた。

 背後で悲鳴を上げて泣き叫び、発狂したような妹を見る。

 大切な肉親であり、友の願い。

 その腹には、忘れ形見がいる。

 捨てられるものではなかった。


「それで、私の忠義を買おうと?」

「えぇ、そうよ」

「……承諾した」


 思えばこれが、人生において一番の間違いだったのだろう。


 ジーナはそのまま西の塔に幽閉された。

 ウェインは女王の側近として、何も言わずに命令に従っていた。

 何度か、自害も考えた。

 だが、それも契約のうちなのかどうしてもできなかった。

 逆らうことも、自ら死を選ぶこともできない。


 ウェインはゆっくりと、塔を登る。

 そして、虚空を眺めるジーナに、弱々しく声をかけた。


「すまない、ジーナ。長い間、お前にも辛い時間を強いた。無力な兄を、許してくれ」


 返る答えなどない。

 わかっていながらも声をかけ、ウェインは広間へと向かった。


◇◆◇


 かつての王都は一面の銀世界となっている。

 それを裏付けるように、城の中もひやりと冷たい。

 青い蝋燭の炎に照らされる石造りの白い壁など、見ているだけで寒気がする。


 ファウスが教えてくれた秘密通路を抜けた一行は、今は使われていない食堂の暖炉から這い出した。


「相変わらず薄気味悪いわね」


 埃やらを叩き落としながらぼやいたジュリアは、真っ先に扉へと近づいて敵の有無を確認する。

 そこはとても静かな場所で、気配すらない。


「ここから東に行けば大広間、その奥には玉座の間があります。女王はおそらくそこでしょう」


 グラディスの言葉に、ジュリアも頷く。

 ラクシュリは拳を作って気合をいれている。

 ロッシュはどこか不安そうだ。


「じゃ、さっさと女王ぶっ飛ばして終わらせようぜ。この間の借りもあるんだ」

「待ってください、ラクシュリ。実は、お願いしたいことがあるんです」


 気合満々に歩き出すラクシュリを呼び止めたグラディスは、進行方向とは逆の西へと、指を挿していた。


「貴方とジュリアさんには、このまま西の塔へと行ってもらいたいのです」

「なんで!」

「そこに、私の力を封じた玉があるんです」


 グラディスの話しに、ジュリアも耳を貸す。

 全員の注目が集まる中で、グラディスは苦笑しつつ事を説明した。


「西の塔は、かつて私が幽閉されていた場所です。そこで、私は日に日に強まる力に怯えていました。いつか、この力が暴走して多くの人を傷つけるのではないかと。だから、私は玉の中に少しずつ、力を貯めて一定の魔力を保ったのです。ですが、数年前の混乱の時には、それを持ち出す時間がなかった。今でも、塔の最上階にあるはずです」

「本当にあるの? そんなたいそうな物、もうとっくに処分されてるんじゃないの?」


 腕を組んで訝しげにするジュリアに、グラディスは首を横に振る。

 そしてきっぱりと、その可能性を否定した。


「それはありません。あれは強い火の力。女王と女王の手下には、触れることすらできません。人間も同じです」

「おい待てよ。そんなんオレらにどうしろってんだよ。触れないんだろ?」


 今度はラクシュリが物言いをつける。彼女の言うことも、もっともだが。


「貴方の持つそのラカントの短剣で、壊して欲しいんです。そうすれば、力は主である私のところに戻ってきますから」

「そんなら、いいけどさ」


 渋々といった様子で承諾したラクシュリに、グラディスは優しく微笑みかける。

 ジュリアも異論はないらしく、グラディスとロッシュに背を向けた。


「拳くらいの大きさの真紅の玉です。赤い瞳の竜の石像が守っています。お願いしましたよ」

「分かった。気をつけろよ」

「……えぇ」


 頼りないグラディスの声を背にして、ラクシュリはジュリアと共に走り出す。

 見送ったグラディスとロッシュは、ゆっくりと広間へ向かって歩き出した。


「ねぇ、ロッシュ。一つ、お願いしてもいいですか?」


 少し歩き出して、二人の足音だけが聞こえるようになって、突然グラディスはそう話しかけた。

 ロッシュは目も見ずに、「なんだ」と返す。

 ろくでもないことなのは、声のトーンで察しがついた。


「もしも、他に選ぶべき選択肢がなかった場合は、躊躇わないでください」

「それは、やらないと言ったはずだが」

「私も選ばないように、全力で行きます。それでも……それでも駄目だった場合ですよ」


 そんな最悪の事態なんて、考えたくはない。もうこれ以上犠牲者なんて出したくはないと、散々考えたのだ。

 そして、全力で戦うと決めた。

 その先なんか、知るものか。


「くだらないこと言ってないで、行くぞ」

「はい」


 率いられて、その背を見ながら共に歩むグラディスは、切なく寂しげに笑う。

 どこかで予感しながら、それでも一緒に歩いている今を、嬉しく思うから。


 二人はやがて、大広間へと到着した。

 かつてはここに数百人の人を集め、宴を催した場所。

 中央に敷かれた赤絨毯、大きなシャンデリア。

 その全てが、今では埃をかぶったままになっている。


 そこで、そこで彼は待っていた。

 漆黒の鎧に身を包み、長い黒髪を一つに束ねたウェインは正装をしていたのだ。

 ただその胸に、四将軍の証であるエンブレムだけはしていなかったが。


「ロッシュ陛下、グラディス様、ようこそいらっしゃいました。ですが、ここから先一歩も、通すことはできません」


 通るテノールが広い空間に響く。

 ロッシュは眉をしかめたが、堂々と歩き出す。

 その後ろを、グラディスは少々不安そうについていった。


「何度か、ファウスに会いにきていたのを見たことがある。四将軍ウェイン殿に、相違ないか」

「はい」

「……国を裏切り、仕えるべき王家を裏切り、女王についたか」


 その容赦のない氷のような言葉は、ウェインの胸に突き刺さった。

 だが、弁明などない。

 できるはずもない。

 彼の言うことは正しい。

 事情はどうあれ、裏切りに変わりはない。


「グラディス様、貴方だけは通すようにと、女王より言付かっている」


 射るようなロッシュから視線を外し、グラディスを見たウェインは静かに告げる。

 それを聞いて、グラディスは動揺を隠せなかった。

 それでも、戦うのだと決めたのだから、尻込みなどできない。


「行ってきます」


 「あぁ」と短く低く返したロッシュを置いて、グラディスはウェインの隣を通り奥の扉へと消える。


 残った二人の間には、痛いくらいの緊張感がある。

 だが、殺意という明確な感情はどこか置き去りのようだった。


「一つ尋ねたい。お前はあの夜、花街に行ったか」

「あぁ」

「ファウスに、会ったのか?」


 言葉がない。

 重苦しい沈黙がしばし続いた。

 ロッシュはどうしても、知りたかったのだ。ファウスがどのように死んだのかを。

 その、犯人を。


「……彼を殺したのは、私だ」


 その瞬間だ、素早い斬撃が一瞬にして、ウェインに突きつけられたのは。

 もしも剣を抜くのを躊躇っていたら、首がなくなっていただろう。

 間近に見たロッシュの憎しみに光る瞳を見つめて、ウェインは柔らかな笑みを浮かべた。


「親友じゃ、なかったのか」

「遥か昔のこと。忠義も、何もかも捨てた」


 ギリギリと刃鳴りがして後、双方共に一度間合いを取る。

 だが、すぐにまた切り結ぶ。

 右に左に、上から下から、ロッシュの剣はとても的確にウェインを捉える。

 その腕は特定の師についていなかったはずなのに強かった。


「どこでここまでの剣を」

「お育ちの悪い剣だが、人殺しに流儀なんてものないからな」


 何合か交わしたウェインは、ロッシュを真っ直ぐに見る。

 ファウスの育てた子。気性も真っ直ぐだ。

 情に厚く、仲間思いで、でも少々短気だろうか。

 こんな王ならば、もう一度仕えてみるのも悪くはなかっただろう。


 上から下に切り下ろした剣を、ロッシュは下から素早く切り上げる。

 そもそも迷いを抱えたウェインの剣に力などなかった。

 剣は弾かれて高く飛び、石造りの床に深々と刺さる。

 そして、問答無用で切っ先は、ウェインの首へと向けられた。


「ファウスが信じたお前を、俺は信じていたかった」


 小さく呟いた言葉を、ウェインは聞かないことにした。

 聞けば気持ちが揺らぐ。

 もう、後戻りもできない。

 それに、今更何を尽くせというのか。

 差し出せるものなど、もうこの命くらいのものだ。


「貴方の仇だ、陛下。私は国を、貴方の兄を、そしてファウスを裏切った男。信じる価値などどこにもない。ファウスの仇を、とるがいい」


 ロッシュの瞳は揺らいでいた。その心もまた、揺らいでいた。

 目の前の男は、そんな軽薄な男ではないだろう。


 ファウスの話しでは、忠義に厚く情の深い優しい人だと聞いている。

 その彼が国を裏切ったのは、何か事情があるだろう。

 それに、本当にこの男がファウスを殺したのか。

 遠く離れた場所までわざわざ会いにきていたこの男が、本当に?


 だがそんな迷いなど、ウェインの一言で砕かれた。


「……ファウスの首を落としたのも、この俺だ」


 ロッシュの中で何かが音を立てて切れた。

 そして、突きつけていた剣に力をこめて、ウェインを突き通した。

 その手には躊躇いも、余計な感情も何もなかった。

 あったのは、明確な殺意だけだった。


 迫る切っ先を凝視し、ウェインはようやくこの地獄から解放される安堵に笑みを浮かべた。

 瞳を閉じ、息を吸う。

 そして、その剣がこの胸を貫き通す時をまった。


 切っ先がまさにウェインの命を奪わんとした、その時だ。

 突如強い光が二人の間に落ちた。

 目が眩むほどの白色の光。

 その衝撃でウェインは後ろへと尻餅をつき、ロッシュは数歩後退する。

 光が徐々に、ゆっくりと落ち着きを取り戻す。


 そして二人の目の前に現れたのは……二度と会えないと思っていた人だった。


「ファウス……なのか?」


 ウェインの前に両手を広げ、庇うようにしているファウスは、生前と何も変わらない様子で、背後のウェインを見る。

 その表情は少し怒っているようだった。


「ファウス!」

『陛下』


 声が少し薄い感じがする。いや、その姿も半分は透けていた。

 そのままゆっくりとロッシュへ歩み寄ったファウスは、驚き声のないロッシュの前で膝を折り、頭を垂れた。


『最後のご命令を守れず、このような姿での再会となったことを、お許しください』

「……一目でも会えたなら、もういい。俺こそ、お前を一人で逝かせて悪かった」


 押し殺すように辛く苦しく出た言葉は、思いのほか硬い。

 でも、満足そうに笑みを浮かべて顔を上げるファウスの表情に、彼の心が見えた気がした。


『陛下、最後にお願いがございます。どうか貴方に尽くした十八年間の恩賞と思い、聞き届けてはくださいませんか?』


 改まった様子で言うファウスは、背後を気にしているようだった。

 ロッシュもまた、そちらを見る。

 呆然としたウェインが、ファウスを凝視している。


『ウェインを、どうかお傍に。あの男は忠義に厚く決して人を裏切るような人間ではありません。傍に置けば、必ず貴方の役に立ちましょう』

「だが、国を裏切り、そしてお前を裏切った過去はどうする」

『私を裏切った?』


 とても疑問そうに首を傾げるファウスは、ばつの悪い表情を浮かべるウェインを見て察した。

 そして、本当に穏やかな笑みを浮かべた。


『それは誤解です。そもそも、あの街の魔方陣を全て発動させた時点で、私の命などなかったのです。彼は私の最後を見取った人。私の友情そのままに、私の死に涙してくれた男です。おかげで、私は一人で逝かずに済んだ』


 ファウスは立ち上がり、床に座り込んだままのウェインの傍に行く。

 そして、そっと抱き寄せるように首に腕を回す。

 当然実体などないのだから、その腕は透けて通りぬけてしまうのだが、それでも構いはしなかった。

 大切なことはこの行為で、伝わるのだから。


『有難う、ウェイン。私は十分にしてもらった。けれど、あと一つ叶えてくれるのならば、どうか陛下の傍に。貴方はまだ死んでいい人間じゃない。貴方は生きて、新たな世界を支えてください』

「私にはそんな資格はない」


 国を、友を裏切り続け、たった一人の肉親すらも不幸にしている自分に、新たな世界など荷が重い。


 ウェインはロッシュを見つめる。

 ロッシュの瞳からは先程の怒りも殺気も消えてしまっている。

 厳しい表情は、崩れないままだが。


『貴方は国を裏切ってもいなければ、我々を裏切りもしていない。太子の願いを叶え、肉親を守った。貴方が一番苦しんだことでしょう。もう、その苦しみから解放されていいはずです。死のほかに』


 ファウスの説得は、頑ななウェインの罪悪感をゆっくり包むようだった。

 本当は、こんなところで死にたくはない。

 今更ながら、仕えるべき人物も見つかったように思える。

 この世界が変わるというのならば、その世界を見てみたい。



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