第7話 愛しい人

『聖剣。それは試練によって与えられるもの。本当の勇気を持つ者にだけ、与えられるものである』

(楽園の伝承より)



 ジュリアが落ちたのは、とても広い場所だった。

 中央には場違いな大鏡。

 その前に立ったジュリアは、思わず笑いが出た。


 そこに佇む長身の男を、ジュリアはよく知っている。

 青みがかった短髪に、広い肩幅。頼れる胸。いつも慈しむように、温かく穏やかに見守ってくれた人。

 会いたいと願う人。


「久しぶりだな、アシュレー。元気してたか?」


 引きつった笑みで出てくる言葉。

 手を伸ばす。その手に、鏡の中のアシュレーが触れる。

 温かい体温を感じたように思った。


 けれどそれは、勘違いではなかった。

 触れた手を、アシュレーが掴んだ。

 そしてそのまま、彼はジュリアの目の前に現れたのだ。

 生きた、生身の体を持っているように。生前の姿のまま、そこにいる。


 そして、平然とジュリアに剣を向けた。


◇◆◇


 ジュリアがアシュレーとコンビを組んだのは、もうずっと昔の話しだ。

 ジュリアの無茶をアシュレーがカバーして。二人でなんだかんだと楽しく過ごした。


 つい、数ヶ月前までの話しだったが。


 ジュリアとアシュレーに、冬の女王からの依頼が来たのは数ヶ月前の話。

 アシュレーはこれを断ろうと言ったのだが、なにぶん実入りがいい。

 それに、断りきれるものとも思えなかった。


 結局女王の下で傭兵として抱えられたのだが、やはり反りが合わなかった。

 弱い者苛めがどうのというわけじゃないが、やる事があまりに非道だった。

 抵抗できない相手を殺すことは、さすがに抵抗がある。

 そして報酬は、それに見合うものとは思えなくなっていた。


「もう付き合いきれない。アシュレー、出るよ」


 そう言って立ち上がったジュリアを、アシュレーは慌てて止めた。

 止めたところで止まる人ではないと分かっていたが、とにかく一度冷静にならなければいけなかった。


「待てジュリア、抜けるにしても考えて動かないと」

「こんなの繰り返してたら、本当に人間失格だ。抵抗しない相手に剣を向けるのは、アタシの流儀に反する」

「それは分かっている。だが、もう少し考えよう」


 本当に短気というか。思い立ったら即行動という彼女を助けながらきたが、それは並大抵の力ではなかった。

 溜息をついて、それでもそんな彼女が好きで、アシュレーは結局苦笑する。


「夜になれば見張りが減る。交代の時間を狙って、ひとけの少ない裏門から出よう」

「いいわ、それで。言っとくけど、阻む奴は切るわよ」


 勇ましい言葉に苦笑し、勇気付けられ、アシュレーは笑う。

 こんな日々が、もっと長い時間続くのだと、疑いもせず信じていた。


 夜になり、二人は見張りをかいくぐって裏門へと回った。

 数ヶ月ここにいて、城の内部もくまなく見回っていたのだから、そう難しい話ではない。

 裏手へ回り、門を前にして、二人は逃げられると信じていた。


 その声が、かかるまでは。


「二人とも、仲良くどこへお出かけですの?」


 背を氷が伝うように、冷たいものが撫でた。

 二人は勢いよく立ち止まり、同時に剣を抜いて身構えた。


「女王……」


 夜気の冷たい中に不似合いな、青と白の薄いドレス。

 武器などは一切持っていない。

 長く優雅な金の髪を靡かせた綺麗な女性は、その青い瞳に深く冷たいものを浮かべていた。


「困りますわ二人とも、勝手に出て行かれては。よもや、裏切りではないわよね?」


 冷たい笑みに見られると、背筋が凍って動けなくなる。

 それでもジュリアはどうにか剣を構えて、逆らう姿勢を見せた。


「ジュリア、先に行け」

「え?」


 思いがけない言葉に、ジュリアは驚いて隣のアシュレーを見た。

 表情に浮かぶ覚悟の色。伝う汗。

 どうみても、勝てるものとは思っていないようだった。


「馬鹿言え、殺される」

「先に行って、門を開けてくれ。そうじゃないと逃げられない。大丈夫、少し時間を稼げばいいんだ」


 その少しが問題だ。

 門まではまだある。守りの兵を倒して開けるにも、時間がかかる。

 ほんの少しに思える時間が、この相手では命取りになるのだ。


 それでも、アシュレーは譲る気配がなかった。

 そしてジュリアにも、これ以上最良の選択肢は思いつかなかった。

 二人で挑めば、二人とも死ぬのは見えている。


「必ず、二人で出よう」


 その約束を胸に、ジュリアは走った。

 城門までは数十メートル。アシュレーも城門へと走る。ジュリアの援護だ。

 ジュリアは鬼神の如き勢いで多くの兵を切った。

 だが、女王の兵は不死身。死なぬ兵士をどう退けるかなんて、まったく分からない。


「無駄なことをするのね。諦めて、戻ってきてはいかがかしら? 今ならまだ、許してさしあげてよ」


 アシュレーは構える。余裕の女王がこれ以上、近づいてこないように。


 女王は優雅に嘲笑する。

 そこには余裕があった。

 だからこそ、自分は手を出さずに少し下がった。


 代わりに闇夜から現れたのは、長身の男だった。

 長い黒髪、夜を固めた鋭い黒い瞳。黒い衣服を纏う彼は、白銀の長剣をスラリと抜いた。


「……国王直属の四将軍であった貴方が、今では女王の言いなりとは。なんと嘆かわしいことか、ウェイン将軍」


 静かなその言葉に、ウェインは一瞬表情を歪める。

 だが、戦う意志は消えてはいないようだった。


「最強と言われる傭兵、アシュレー。相手にとって不足なし。尋常に、参る」


 黒い風が吹きぬけるように、俊敏な白刃がぶつかり合う。

 響く金属の高い音、気合の声。それぞれが夜を賑わせた。

 ウェインの攻撃をアシュレーはかわし、時に受け、一撃を加える。

 だが、ウェインもそれをよく見ている。

 二人は対等ではない。アシュレーが僅かに劣っている。


「アシュレー!」

「ジュリア、逃げろ!」


 倒れぬ兵に強敵。その強敵を倒したところで、その背後にはそれ以上の相手がいる。

 アシュレーは考えていた。この場を逃げるいい手段を。

 体力も気力も削られる。それでもどうにかしようとするのは、たった一つ大切な者を守りたいという一心だった。


「何をしている、隙だらけだ」

「っ!」


 激しい一撃が、高い音と共にアシュレーの剣を弾き飛ばす。

 武器を失ったそこへ追い討ちをかけるように、ウェインの剣がアシュレーの腕を貫く。

 激痛に声を上げたアシュレーに、ジュリアは気を取られてしまう。

 駆け寄ろうにも、不死身の兵がそれを阻んだ。


「あら、可哀想に。ウェイン、そこまでにしておやりなさい」


 女王の、心を凍らせるような声。

 アシュレーは傷を負った肩を庇いながら、女王を見上げる。

 すくみ上がるような、見下ろす瞳。心の底が冷たくなる。


 女王はまったく何の警戒もなく、アシュレーに触れた。

 そして、魅惑的な瞳で見つめ、笑みを浮かべる。


「戻る気になったかしら?」

「誰が……」

「貴方だけでも戻るなら、彼女を逃がしてもいいのよ?」


 その言葉は、アシュレーの気持ちを揺らした。

 自分一人を犠牲に、彼女を救えるならば安い。

 そう思った。だが、響く約束の言葉が呪縛する。


 ― 必ず、二人で出よう。


「……分かりました」


 アシュレーは庇っている手をどける。自分の血で濡れた手を、そっと胸に当てる。

 それはあたかも恭順の印のようにも見えた。


「アシュレー、諦めるな!」


 強い女神の声が響く。

 当然、諦めてなどいない。

 もしも可能性があるのならば、本当に一瞬しかない。そこを逃せば……。


「いい子ね、貴方は」


 満足そうに女王は微笑む。そして、誘惑でもするように更に体を近づけたその時。


『封じられし力、今この時解放を求める!』


 胸に当てたその手の内には、赤い宝石があった。

 その昔、立ち寄った町で見知らぬ魔術師が、お守りだといって渡したものだった。

 何の役に立つのかと思っていたが、まさかこんなところで役立つとは思わなかった。


 眩い閃光。炎が一気に吹き上げ、辺りの全てを赤く飲み込んでゆく。


 アシュレーは立ち上がり、よろけながらも走った。

 その手を、ジュリアが握り走り出す。

 炎によって不死身の兵士も灰に消えた。

 もう二人を阻むものはなにもない。


『おのれ、小ざかしい真似を。我を傷つけたその報いは己が身に注ぐと知れ!』

「くっ!」


 強い呪いの言葉が、アシュレーを呪縛する。

 その背に焼けるような痛みと、急速な脱力感。その後は意識が混沌として、足の一歩も踏み出すことが出来ない。

 ジュリアはその体を担いだ。そして、必死に足を前に出した。


「諦めるな! 私達はこれからまだ、ずっと一緒に旅をするんだぞ!」


 その言葉が、消えかける希望と気力を奮わせる。

 動かなくても必死に、逃げようと足掻く。

 そうして、二人は城門をどうにか出ることができたのだった。


 その後、二人に追っ手はなかった。

 だが、アシュレーの状態は思わしくなく、負った傷は回復の兆しを見せない。

 そして、背に羽をつけた骸骨が不気味に浮き上がっていた。

 それが、命を内から食いつぶす恐ろしい呪いだと知るのは、もう少し後のことだった。


◇◆◇


 アシュレーの死から、既に数ヶ月がたっている。

 最後まで、辛いも苦しいも言わず、こんなに我儘を言ったジュリアを責めることもしなかった。

 責められた方が、よかっただろう。


 今も、どこかで嬉しいのだ。もう二度と会うことはないと、その温もりを感じることもないと思っていた人が、今目の前に、体温を持っている幸福。

 幻だと知っていてもなお、ただ嬉しかった。


「懐かしいな、この感じ。よく、二人で剣を交えたっけ。お前はいつも、アタシに勝ちを譲ったわね」


 懐かしい記憶。

 鍛錬といって、二人でよくこうして戦った。

 結果はいつも分かっていた。

 アシュレーは決して、ジュリアに本気を出さなかった。

 それが原因で喧嘩にもなった。それが今では、懐かしい。


 剣を構える。その剣が、激しく鳴った。

 アシュレーの剣は予想以上に重たい。腕にビリビリとくる。

 それでも返せないわけではない。ジュリアは上手く弾き、逆に剣を突き出した。


 突いた剣を弾かれ、逆に上からの斬撃を受けて、かわして、薙いで。

 一進一退の攻防が続く。

 明らかにジュリアの旗色は悪かった。


「ジュリア!」


 背後で声がする。

 振り返る必要なんてない。少年のような、少女のような声。

 そしてもう一つの足音。今一緒にいる仲間。


「手ぇ出すんじゃないわよ! これはアタシの戦いなんだから!」


 駆けつけたラクシュリとグラディスは、実体を持つそれに驚く。

 二人には、こんな実体なんてなかった。ただ、鏡があっただけ。


「軍神の、試練でしょうか」

「手を出すなよ。これはジュリアがやんなきゃ、意味ない」


 見守ることを決めた二人は、巻き込まれないように一歩下がる。


 ジュリアは考えていた。

 このままやりあっても、解決の糸口なんて見えない。むしろ体力を削られてしまう。

 そうなれば、無茶も通らない。


 太刀筋は間違いなく、アシュレーのものだ。

 力があり、重たいが直線的で、防ごうと思えば防ぐことができる。

 だが、隙がない。


 トンと地を蹴ったジュリアは、相手の斬撃などまったく無視で向かってゆく。

 それは一見無謀でしかない。

 容赦なく、剣は突き出される。

 それに対し、ジュリアは防ぐ動きもかわす動きも一切見せなかった。


「無茶です、ジュリアさん!」

「あいつ!」


 アシュレーの剣が、ジュリアの左肩を深々と貫くのと、ジュリアの剣がアシュレーの胸を深々と貫くのは、ほぼ同時だった。

 血が、腕を伝って滴り落ちる。

 アシュレーの体が、ゆっくりとジュリアに向かって倒れた。


 物言わぬ体を抱き締め、地に尻をついたジュリアは、その温もりを愛しく抱いた。

 言葉はなくとも、温もりだけでかまわない。

 そう、瞳を閉じて言い聞かせた。


『ジュリア……』


 声が上から降りてくる。耳元に、心に落ちる。

 ジュリアは目を開け、その顔を見た。

 生前の、柔らかな表情が浮かんでいる。


『ジュリア、ごめん』

「謝るな、馬鹿……」

『すまない……』

「謝るなよ! 私が悪いって、言えよぉぉ」


 胸が潰される。声が出ない。

 どうしてこんなに苦しい思いを、二度もしなければいけないのか。

 ジュリアは、零れそうになる嗚咽をこらえた。


『ジュリア……』

「……なにさ」

『愛していたよ』


 ふわりと、体に重なる重みが消える。

 それはまるで泡のように、光に透けて浮かび上がって、消えていった。

 腕には何も残らない。残ったのは、体を貫いた剣のみだった。


「……知ってたわよ、そんなこと。とっくの昔に」


 気付いていたけれど、確かめなかった言葉。時間は延々にあると思って疑わなかった。


 それが、覆るまでは。


 もしもこの気持ちを、互いに確かめ合っていたならば、この結末は変えられたのだろうか。

 それだけが、悔やまれる。


 肩を震わせ、身を小さくして震えるジュリアに、グラディスは近寄ろうとした。

 けれどそれは、ラクシュリに止められてしまう。

 不満げに見下ろすグラディスに、ラクシュリは静かに口を開いた。


「野暮なことするなって。戦士は泣き顔を見られるのが、嫌いなんだぞ」


 強くあろうとするならば、弱い自分を見せたくはない。

 もしも見せるのならば、それは特別な相手だけにだろう。


 やがて、静かな黙祷の時間が過ぎて、ジュリアは立ち上がる。

 刺さった剣を抜き去ると、不思議と傷は消えていた。

 その剣を天高々と掲げた彼女は、背後の二人に向き直った。


「時間、取らせたわね」

「いいえ。もう、よろしいのですか?」

「えぇ、いいわ。アタシにはこんなところで立ち止まってる時間なんて、ないもの」


 剣を丈夫な布で包み、革紐で縛る。

 そうして背負うと、ジュリアはまったく変わらない様子で二人の前に立った。

 そして、晴れやかな笑みを浮かべた。


「さて、二人の目的を果たすとしましょうか。そこに、扉があるみたいだけど?」


 指差したその先を見れば、確かにそこに扉がある。

 三人は連れ立ってそちらへ向かった。


 扉の先は、少し休める程度の小さな部屋。その部屋からまた奥に続いているようだった。

 不思議な部屋で、なんだかとても心が落ち着く。

 天井から透明な光の差す感じがある。


 そしてそこに、小さな苗木があった。


「もしかして、これ?」


 大樹ユグドラ。

 そう聞いていたから、もっと大きなものを想像していたラクシュリは拍子抜けしたような声を上げる。

 それはジュリアも同じだったらしく、二人は一斉にグラディスを見てしまった。


 静かに、グラディスは近づく。

 そして、苗木に手を添えて深く息を吸った。

 だが既に、その苗木からは生命の息吹は感じられず、ただ朽ちるだけのものになっていたのだ。


「駄目です。これはもう、死んでいる……。育たなかった」


 肩を落とすグラディス。

 希望はついえたように、場が静まる。

 だが、それを打ち破ったのはラクシュリだった。


「じゃ、城に行くしかないんだな。ぐずぐずしてると、手遅れになるぞ」

「え?」


 肩を落としていたグラディスの顔が上がる。

 驚いた顔で、ラクシュリを見てしまう。

 堂々とそこに立つラクシュリが、大きく見えたように感じた。


「あんた、大胆なこと言うのね。分かってる? 城は今女王の根城よ?」

「でも、そうしないと死ぬんだろ? あるのに手を出さないで、諦めるのかよ」

「あの、でも……」


 期待してはいけない。行きたいなんて言えば、どうなるのか。

 付き合うつもりだろうラクシュリまで、巻き込んでしまう。きっと、死んでしまう。

 分かっている、結末なんて。

 それでも、願ってしまう自分がいる。生きたいと、願ってしまう。


「グラディス、お前はどうしたいんだよ。このまま諦めて死にたいのか? それとも、無謀と分かってても生きたいのか」


 願いを口にすることは、許されてこなかった。誰も聞いてはくれなかった。

 だからこのとき初めて、グラディスは願ったのだろう。

 ただ一つ、この生を。


「生きたい……。私は、まだ……」

「それなら、決まりだな」


 ラクシュリの笑みが、グラディスを引き上げる。それに向かって、立つことができる。

 グラディスは立ち上がり、しっかりと前を向いた。


「んじゃ、方針も決まったし行こうか。私も付き合うから、とりあえず依頼主の所まで行こう」

「はぁ?」


 今度はラクシュリが素っ頓狂な声を上げる。

 だがジュリアの方は当然という顔で、二人を見て笑った。


「やっぱ、アタシも女王に一太刀入れたくなったのよ。それに、この剣が聖剣なら、これを渡す相手もきっと同行するしさ。そうなったら、立派なパーティーになる。女王討伐の、立派なパーティーさ」


 その言葉に、グラディスは考え込んだ。

 運命は巡る。

 それを運命と受け入れずとも。

 そうなることに抗い、諦め、逃れようとしていた。

 でも、定められたものを変える力は、ちっぽけな自分たちにはないのだろう。


 女王討伐の声は、今この時小さいながらも、確かな力を持って上げられたのだった。




    

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