第6話 記憶の少女
『美しき国、オルトレイ。そこに巣食うものは、古の聖者か、それとも……』
(オルトレイ創世記より)
ラクシュリは強い衝撃を受けて落ちてきた。
辺りは明るいのに、何かとても嫌な雰囲気がある。
辺りに警戒しつつ、一緒に落ちてきたはずの二人を視線で探していた。
だが、そこに二人の姿はない。あったのは、姿身の鏡だけだった。
警戒しつつも、ラクシュリはその鏡に近づいた。
曇っていて、何も映していない鏡。
だが、その表面にラクシュリが触れた瞬間、鏡はとても鮮明にそれを映し出した。
「!」
驚いて、手を引っ込める。その顔には驚きの他に、後悔が映し出されていた。
鏡に映ったのは、可憐な少女だった。
白いドレスを纏い、美しい黒髪を長く伸ばした少女。
彼女は鏡の中で微笑み、ラクシュリの手を指差した。
ラクシュリの手は、真っ赤だった。
殺めた命の数、奪ったものの数。背後にはいつの間にか屍が積み重なった。
「嘘だ、こんなの……」
頭を抱え、耳を塞ぐ。
眩暈がして、蓋をしていたものが溢れそうになって、ラクシュリは声の限りに叫んだ。
「嘘だぁ!」
鏡の中の少女は笑う。
それは、捨て去った全ての幸せを誇らしげに湛えて。
◇◆◇
ラクシュリ。本名はリルカ=アド=アビスという。
アトラス大陸の東にある、オルトレイ王国の王女として命を受けた。
闊達な少女で、利発でもあった。
同い年くらいの少年達を従えて、悪戯をするくらいの元気な少女だった。
リルカには五つ年上の兄王子がいる。
体が弱く激しい運動の出来ない兄は、それでも国の王子であると父王を支えていた。
リルカはそんな兄が大好きで、よく兄に古い話しや不思議な物語をせがんだものだ。
だが、権力を欲した奸臣がこの機を逃すはずがない。
彼らは徒党を組み、保守派を取り込んで、声高に訴えた。
「体の弱い王子に次期王の器なし! 王女リルカにその地位を譲らん」と。
勿論これを王ははね除けた。
女子に王位を継ぐ権利はない。
王家は祖王の血を継いだ男児のみが受け継ぐものと、古より決まっていたのだ。
だが、声は日ごとに増すばかり。
王もはね除けるだけではゆかなくなった。
そうして、とうとうリルカと王子の双方を招いての審議会を開かざるをえない状況にまでなってしまったのだ。
「まったく、あいつら腹が立つわ! 兄様こんなに頑張ってるのに!」
兄の執務室でドスドスと音がしそうな程に足を踏み鳴らして怒るリルカに、兄は苦笑する。
そして、纏まった書類を閉じて、やんわりと彼女を手招いた。
「リルカ、そんなに怒ることではないよ」
「兄様は優しすぎるのよ! 私ならあんな奴ら、ばっさり斬ってやる」
「これこれ、そのように口が悪いと、貰い手がなくなるよ」
白い手が触れて、まだ幼いリルカをあやす。
ムスッとするものの収まった彼女は、大きな緑の瞳に沢山の不安を浮かべていた。
「兄様が王位につくのは、天の定め。体が弱いって言っても、剣を握らないだけでちゃんと仕事は出来るわ。それに、義姉様との子が男児なら、一安心じゃない」
数年前に結婚し、数ヵ月後には子が生まれる。
跡取りの問題だって、そう心配なわけではない。
それなのに持ち上がった跡取り問題に、どうしてもリルカは納得がいかなかった。
だが、兄王子は分かっていた。
奴らが本当に欲するものは、リルカの更に先。
リルカを女王の地位につけ、その婿養子に自分達の息子をつけ、そして……。
「リルカ、覚えているかい? 創世の物語」
不意にされた話に、リルカはきょとんと目を丸くする。
けれど、頷いてみせた。
「我らの偉大な祖王は、悪しき神よりこの地を解放した。三人の聖人と、神器の力によって闇を切り裂き、光を導いた。その偉大な神器は王家の宝。封印の地にある」
「知ってるわよ、兄様。その神器を、王家は守り続けているのよね」
「目覚めてはならない力だからね。神をも殺す恐ろしき力だから」
優しく頭を撫でる兄王子の瞳には、不安な色が浮かんでは消えている。
それを、リルカは知らなかった。
その夜、リルカの部屋を訪れる者があった。
扉をあけると、線の細い綺麗な女性が、とても不安そうに立っていた。
「義姉様! そんな薄着で何をしているんです。大事な体だっていうのに」
戸口に立っていた女性は、沈んだ表情でリルカを見ている。
口は重く、言おうとしていることを躊躇っているようだった。
そんな義姉を前にして、リルカは言わんとしていることを察した。
「とりあえず、入って。今お茶を淹れるから」
「ごめんなさい」
招かれるまま室内に入った義姉は、椅子に座り何度も言いかけては、口を閉ざす。
それがとても可哀想で、リルカは見ていられなかった。
お茶を出して、対面に座る。
ぎこちなくそれをいただく義姉は、リルカをまともに見られない様子だった。
「心配、しなくてもいいわよ、義姉様。私は兄様から、何も奪ったりはしないわ」
見かねて、リルカのほうから口を開く。
それに、義姉は弾かれたように顔を上げ、次には涙を流した。
「ごめんなさい、リルカちゃん。私、不安で……。あの人からこの場所を奪ってしまったら、どうなるのかと」
義姉は決して、権力に固執するような女性ではない。聡明で淑やかな女性だ。
それでも、身重の体を考え、夫の体のことを考えれば、不安になるのも当然のことだろう。
リルカは傍に寄って、その肩を軽く抱き締める。
不安を拭う方法は、これしか知らないのだ。
「大丈夫、こんな天意を無視したことは通らないわ。兄様がこの国の王様よ。そして、この子は私の甥っ子になるの。楽しみなのよ、今から。だから、元気な子を産んでね」
リルカは誓った。
明日の審議で何が何でも、守ってみせるのだと。
誰がなんと言おうと、大好きな兄の幸せを奪うようなことだけはさせないと。
翌日、審議会が行われた。
奸臣達は声高に言う。兄王子に国を支える力はないと。
時が悪く、他の国々が領土を広げようとしているさなかだった。
平和なこの国も、いつそれに巻き込まれるか分からない。
その中で、弱い王では勤まらないと。
兄王子は何も言わなかった。父王は便宜した。
だが、味方はそう多くはない。そのように奸臣どもが作り上げたのだ。
苛立ちが募る。
馬鹿馬鹿しい話しにしか聞こえない。
兄の表情が徐々に硬くなり、色をなくしていくのが分かる。
実際体が弱いというのは、動乱の時代ならば十分に王位の剥奪理由として成立する。
声が大きくなり、とても審議とは思えない騒々しさが響く中、リルカの中で何かが音を立てて切れた。
一歩前に踏み出すリルカ。
そして、よく通る声で宣言でもするように胸を張った。
「この国において、女子が王位を継ぐなどということは、過去の歴史を振り返っても一度だってありはしない! 王子があり、子がじきに産まれるというのに、何の不満があるのか! それほどまでに私を王位につけ、己が腹を肥やしたいのか!」
厳しい声音に、場は一瞬静まり返った。
兄王子もまたリルカを見る。
そしてその背に、国を負えるほどの度量を見た気がした。
「私は兄を天意のままに王に据えることを願う。私の存在がその妨げとなるならば、見るがいい!」
リルカは指にはめていた指輪を乱暴に取る。
そして、止める間もなくその指輪を、炎の中に投げ入れてしまった。
指輪は青い炎を上げて燃え上がった。
それを、父王も兄王子も唖然としてみていた。
今この目の前で行われた事が信じがたく、絶望的なことだったのだから。
「天は私の王位を否定した! 私、リルカ=アド=アビスは、今このときをもって王家を捨て、この国を捨てます! そして……」
腰に差した短剣を抜き、結んでいた髪に刃を入れる。
自慢の黒髪だった。
綺麗だねって、兄王子が梳いてくれる髪だった。
だからずっと、伸ばしていたのだ。
けれど、その兄を守るためなら、躊躇いなどない。
パラパラと落ちる黒髪。何もかもを捨てた少女は、今確かにその足で立った。
「そして、女を捨てます!」
この事態に、場は騒然とした。
そして、それ以上に家族はショックを隠せなかった。
焼かれて消えた指輪は、古から魔術師が作る特別な証。
王家の子供は生まれてすぐに、魔術師に指輪を貰う。
王家に相応しくない者ならば、炎にくべれば燃えてなくなるという言い伝えのある指輪だった。
リルカの指輪は、燃えて消えた……。
「なんてことを。リルカ、お前は!」
「いーの! 私は自由に生きたいって思ってたもの。兄様がここには相応しいのよ。私が本当に王家に相応しい子なら、指輪は燃えなかったわ」
非難の表情をする兄王子を軽く流して、リルカは笑う。
実際、やることは多い。
旅をして回りたいのも本当だ。
「……リルカ」
背を向けて立ち去ろうとしたリルカを、兄王子が止めた。
そして、その首に自分がつけていた小さなメダルのペンダントをつけてやった。
「兄様これ!」
それは、聖人が残した神器へと続く鍵。王家に伝わる大切なもの。
現王、王太子、大司教の三人が一つずつを持ち、王位継承の時にはこれらを使って扉を開け、継承の王冠を取りに行くのが戴冠の習わし。一つでもなくなれば道は閉ざされたまま、儀式が行われない。
それを、兄王子はリルカへ贈ったのだ。
「これを伝えた聖人の名は、ラクシュリ。リルカ、お前がこれをもっておいで。そして、決して誰にも渡してはならない。見せてもならない。何があっても」
真剣な瞳で、諭すように言われたリルカは、呆然としたまま頷いた。
きっと、何かがあるのだろうと察して。
この日、リルカ=アド=アビスは名をラクシュリと改め、旅路へと出たのだった。
◇◆◇
あの時、あのまま王家にいれば、これほどの血を流さなくてもよかったのだろうか。
これほどの命を奪わずに済んだのだろうか。
胸に手を当ててみる。
そこには服の中に隠し持っている、聖人のメダルがある。
これを受け継いだとき、ラクシュリは自分に誇りを持った。
兄を守るために出てきたと。
これがここにある限り、国を奸臣どもに渡すことにはならないと。
「戻りたいなんて、もう思っちゃいない。オレは綺麗じゃなくても、大事なもんはここにある!」
胸を張って言える。間違ってはいなかった。
会いたい人に会えなくなっても、心は繋がっている。同じ空の下、確かに。
だから、この姿は恥じるべきものじゃない。
鏡にヒビが入り、砕け散る。
そこには他に何もない。
消えた鏡と入れ違いに、扉が出てくる。
そしてその扉を、外から開ける人がいた。
「あ、よかった。無事ですね、ラクシュリ」
「グラディス」
穏やかに笑う人。
兄王子に比べれば謎が多くて危険な匂いもするけれど、けれど思い出せる。
だからこの人の傍が、好きなんだ。
「オレを誰だと思ってんだよ! あったりまえだろ」
強がりを一言。
そうして笑って、ラクシュリはグラディスの隣に並ぶ。
そして、残る一人を探しに出た。
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