第6話 操る
王城の鐘が、遠くで鳴っている。
兄は、机の上に広げた地図から視線を上げ、静かに言った。
「そろそろ、向こうに報告が上がる時間だ」
妹は頷き、板に書いた文字を一つ消す。
「王城の執務室。文官が二人、軍部が一人。
たぶん、あの人は――少し黙る」
兄はその言葉に反応しなかった。
否定も肯定もしない。
「黙るのは、悪いことじゃない」
そう言って、紙を一枚引き寄せる。
「選択肢が多すぎると、人は止まる。
止まったときに差し出された答えは、“自分で選んだもの”に見える」
妹はくすりと笑った。
「ひどい言い方」
「事実だ」
兄の声は淡々としていた。
扉が小さく鳴る。
メイドが入ってきた。
「報告です。王子殿下は、国境と国内の同時進行について、判断を保留されています」
妹は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
「予定通り」
兄は頷く。
「こちらから“提案”を出す。
ただし、命令ではない」
メイドは一瞬だけ視線を上げた。
「ご助言、という形ですね」
「そうだ」
兄は紙に走り書きをしながら言う。
「選択肢を三つ並べ、そのうち二つは危険に見えるようにする。
残った一つを、自然に選ばせる」
妹が補足する。
「言葉も大事。
“可能性があります”じゃなくて、“恐れがあります”を使う」
メイドは、二人の言葉を一つずつ頭に刻む。
「承知しました」
彼女はそれ以上何も聞かず、紙を受け取った。
その紙には、王子の口から発せられるはずの言葉が、すでに並んでいる。
数刻後。
王城の執務室では、重い沈黙が落ちているはずだった。
兄は目を閉じ、想像する。
――視線が集まり、
――誰も決めきれず、
――そこに、あの声が入る。
「軍を動かすのは、相手に口実を与える恐れがあります」
メイドの声。
控えめで、しかし確信を含んだ調子。
妹は、兄の横顔を見ていた。
「……あの人、きっと迷ってる」
「知っている」
兄は目を開ける。
「だからこそ、表に立ってもらっている」
冷たい言葉だった。
だが、そこに侮蔑はない。
「迷いながらも、命令を実行できる。
それが、あの人たちの強さだ」
妹は一瞬、何か言いかけて、やめた。
代わりに、板に新しい線を引く。
「噂の流れ、切り替えたよ。
“若き王が動いた”って」
「十分だ」
兄は時計代わりの砂時計をひっくり返す。
「もうすぐ、決断が下る」
――そして。
その予想は、外れなかった。
メイドが戻ってきたとき、彼女は一礼した。
「王命が出ました。
監察団派遣、国内への緊急食糧放出。
すべて、ご自身の判断として」
妹は小さく息を吐いた。
「うまくいったね」
兄は、椅子に深く腰掛ける。
「“うまくいく”ようにしか、動かしていない」
その言葉は傲慢にも聞こえる。
だが、事実だった。
兄妹は、表の玉座に座る二人を操っている。
直接顔を合わせることなく。
声を交わすこともなく。
メイドという、一本の線を通して。
「……ねえ」
妹が、ふと声の調子を変えた。
「もし、あの人が違う答えを選んだら?」
兄は、少し考えてから答える。
「そのときは、国が壊れる」
あまりにも即答だった。
妹は黙り込む。
「だから、選ばせない」
兄は静かに続けた。
「壊れる選択肢は、最初から消しておく」
窓の外で、鐘が鳴った。
祝福の音だ。
人々は、光の玉座を見上げている。
そこに、英雄がいると信じて。
影の玉座に座る兄妹は、
その音を、ただ聞いていた。
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