第8話 値札のつかない相棒と、路地裏の噂話

 洞窟の奥で響いたあの力強い咆哮の余韻が、地上の喧騒に掻き消されていくのがもどかしかった。


 夕暮れのギルド・ホールは、一日の成果を換金しようとする冒険者たちの熱気と、汗と酒の匂いで満ちていた。

 俺は列の最後尾に並び、背中の革袋を床に下ろした。

 ゴトリ、と重い音が響く。

 中には丁寧に解体されたジャイアントフロッグの皮と、余った肉、それに道中で採取した薬草類が詰まっている。

 ソロでの初探索にしては上出来すぎる成果だ。


 足元にはグルがいる。

 中型犬サイズになった彼は、慣れない人混みに落ち着かないのか、俺の脚の間に体を擦り付けてくる。

 その姿を見た前の列の戦士が、露骨に顔をしかめて一歩退いた。


「うわ、なんだそのリザード。色が気色悪ぃな」


 男の視線は、グルの濡れたような濃紺の鱗に注がれていた。

 カエルの粘液質を取り込んだ「粘体皮膚」は、知らない人間が見れば、病気か腐敗に見えるのかもしれない。

 俺は無言でグルを引き寄せ、男から隠すように立った。

 説明したところで理解されないだろう。この鱗が、鉄の剣すら弾く弾力を持っていることなんて。


「次の方、どうぞー」


 受付の声がかかる。

 俺は革袋をカウンターに持ち上げた。

 担当は、以前「銀の牙」の精算手続きも担当していたベテラン職員のミランダだった。

 彼女は俺の顔を見るなり、少し意外そうな表情を浮かべた。


「あら、アレンさん。……ソロでの登録でしたね。ご無事だったようで」

「ああ、なんとか」


 俺は愛想笑いを浮かべながら、革袋の中身をトレーに広げた。

 ミランダの目が丸くなる。

 艶やかな緑色のカエル皮。傷一つなく、保存状態も完璧だ。


「これ、ジャイアントフロッグ……しかも上質ですね。ソロでこれを狩ったんですか?」

「罠と、地形を利用してね」


 嘘ではない。詳細は伏せるが。

 ミランダは手早く査定を進め、計算機を弾いた。

 提示された金額は、金貨二枚と銀貨数枚。

 以前のパーティでの分配金よりも、遥かに多い額が手元に残る。

 俺は安堵の息を吐き、そして足元のグルを指差した。


「ついでに、この従魔(テイムモンスター)の登録変更も頼みたいんだが」


 ミランダが身を乗り出し、カウンター越しにグルを覗き込む。

 グルは「きゅう」と鳴いて、愛想よく舌を出した。

 だが、ミランダの眉間に深い皺が刻まれる。


「……アレンさん。これ、どこで拾いました?」

「裏路地のゴミ捨て場……いや、正規の譲渡だ」

「種族の特徴がデータベースと一致しません。リザードの一種でしょうけど、この皮膚の質感……悪い病気を持っている可能性も否定できませんね」


 病気扱いか。

 俺は拳を握りしめ、包帯の感触を確かめることで怒りを逃した。

 彼女は悪気があって言っているわけじゃない。マニュアル通りの反応だ。


「病気じゃない。変異種(レア)なんだ。戦闘能力もある」

「変異種認定には、Aランク鑑定士の証明書が必要です。現状では『種族不明・Fランク相当』として登録するしかありません。市場価値も……まあ、愛玩用としても見た目がこれでは、値はつきませんね」


 値がつかない。

 つまり、ただの「荷物」だと言われたも同然だった。

 俺の横で、グルが不思議そうに首を傾げている。

 こいつがさっき、岩を砕く水弾を吐いたことを、この場の誰も知らない。


「……分かった。登録だけでいい」


 俺は更新されたギルドカードを受け取り、逃げるようにカウンターを離れた。

 背中に突き刺さる「落ちぶれたテイマーが、気味の悪いペットを連れている」という嘲笑混じりの視線。

 俺はグルを抱きかかえるようにして、出口へと急いだ。


 ***


 外の空気は冷えていたが、ギルドの中よりはずっとマシだった。

 俺たちは大通りの喧騒を避け、馴染みの商店街へと足を向けた。

 懐には金がある。

 誰に文句を言われる筋合いもない、俺とグルが稼いだ金だ。


「気にするなよ、グル。あいつらは見る目がないだけだ」


 歩きながら声をかけると、グルは俺の顔を見上げ、尻尾で俺のふくらはぎを叩いた。

 慰めてくれているつもりらしい。

 俺はその頭を撫で返し、香辛料を扱う店の暖簾をくぐった。


 店内には、胡椒、クミン、唐辛子といった鼻孔をくすぐる香りが充満している。

 俺は棚の間を歩きながら、次の「献立」に必要なものをカゴに放り込んでいった。

 高級な岩塩。臭み消しのハーブ数種。そして、以前は高くて手が出せなかった「火蜥蜴のオイル」。

 これがあれば、火力を必要とする料理の幅が広がる。


 会計を済ませて店を出ようとした時、入り口付近で話し込む二人の冒険者の声が耳に入った。


「おい聞いたか? 『銀の牙』の連中、また撤退したらしいぜ」

「マジかよ。あそこ、中堅筆頭だったろ?」

「ポーション切れだってさ。物資管理してた奴が抜けてから、ガタガタらしいぜ。装備の手入れも行き届いてなくて、ガイルの野郎、剣を折ったとか」


 俺の足が止まった。

 『銀の牙』。俺を追放した元パーティだ。

 ガイルが剣を折った? あいつは武器の手入れを人任せにする癖がある。俺が毎日、砥石で研いでいたことを知らなかったのか。

 ポーションの在庫管理だって、消費ペースを計算して補充していたのは俺だ。


「……へっ、ザマアミロだな」


 小さく呟いてみる。

 もっと胸がすくような快感があるかと思った。

 だが、実際に胸に去来したのは、虚しさと、そして「やはり俺の仕事には意味があったんだ」という静かな納得だけだった。

 彼らが落ちぶれるのは勝手だ。

 俺にはもう関係ない。俺には、俺を必要としてくれる相棒がいる。


 足元のグルが、俺のズボンの裾を引っ張った。

 見下ろすと、通りの向こうにある串焼きの屋台を指差している(正確には鼻先で示している)。

 あそこから漂う脂の焼ける匂いに、目が釘付けだ。


「……そうだな。俺たちも腹ごしらえするか」


 俺は屋台で串焼きを二本買い、一本をグルにやった。

 グルは瞬時にそれを丸呑みし、もっとよこせと催促してくる。

 俺は苦笑しながら、自分の分をかじった。

 硬くて筋張った肉だ。

 今の俺たちには、こんなものじゃ足りない。


 俺は、さっきのギルドでのミランダの言葉を思い出した。

 『種族不明・Fランク相当』。

 『値はつかない』。


 ふざけるな。

 こいつはジャイアントフロッグを一撃で沈め、俺の料理で進化する、唯一無二の竜だ。

 その価値を証明するには、Fランクダンジョンの浅層で遊んでいる場合じゃない。


 俺は食べ終わった串をゴミ箱に投げ捨て、グルに向き直った。


「グル。明日は中層へ行くぞ」


 中層エリア。敵の強さが跳ね上がり、連携のとれたパーティでなければ危険とされる領域。

 今の『銀の牙』が苦戦している場所だ。

 そこを俺たちが踏破すれば、文句なしの実績になる。


 グルは俺の決意を感じ取ったのか、力強く「ギャオ!」と吠えた。

 その声に、通行人が驚いて振り返る。

 見ろ。気味悪がればいい。

 次に戻ってくる時、お前らが腰を抜かすような獲物を引きずってきてやる。


 俺は重くなった革袋のベルトを握り直し、夕闇の迫る街を、安宿へと向かって大股で歩き出した。

 明日食う「最高のご馳走」のレシピを、頭の中で組み立てながら。

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